青の一族

第1章 出雲と青銅器の時代——なぜ出雲は特別なのか


1 なぜ出雲は特別なのか


 私が出雲を特別だと思う理由は、『古事記』(以下『記』と略す)の中での出雲と大国主の記述の分量が格段に多いということだ。『日本書紀』(以下『紀』と略す)ではこれはほとんど抜け落ちている。『紀』は当時の貴族の編集委員会のようなものがまとめた公式な国の歴史書なので、一地方に偏った記述は好ましくないとの考えがあったと想像するのは難しくない。ではなぜ、ほぼ同時代に書き上げられた『記』のほうには出雲の記述が多いのか。
『記』の内容でも出雲は他とは異なる内容を含む。
 まず上巻では、アマテラスと須佐之男の話の舞台である高天原や神武の祖の地である高千穂が実際の地名との関連が薄いのに対して、出雲だけは実に具体的な地名が話に多く出てくる。
 大国主は出雲の王なのに、彼が国譲りをすると葦原中つ国、つまり当時の日本全体が譲られたことになっている。
『紀』でも、
 大己貴命(おおなむちのみこと/=大国主)は国中を平定した後、出雲に至ったとされ、その詳細は語られないが、天孫の段で大己貴命の国譲りが大きなテーマになる。一書(あるふみ/別伝)によれば大己貴命が譲れば他の首長もこれに倣うという表現まで出てくる。
 三諸山(みもろやま)の大物主は大己貴神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)だとし、大己貴命と少彦名命(すくなひこなのみこと)は療病の方法を定め、害獣・虫をまじないはらう法を定めたとある。天皇でもない首長が法を定めたとはかなり例外的な扱いなのではないか。
 さらに『紀』崇神段では大物主の祟りの話がある。上に記したように大物主は大己貴だ。また出雲の大神の宮に天上から持ってきた神宝があって、これを出雲振根(ふるね)が朝廷に献上したという。なぜ天の宝が出雲にあるのか。『記』には神宝献上の話はない。
『記』垂仁段では、息子の本牟智和気(ほむちわけ)が大人になっても口がきけず出雲の大神に参拝することで正常になったという。つまり出雲の神には天皇も及ばない力があるわけだ。この話は『紀』では、白鳥を見て誉津別(ほむつわけ)が口をきいたので出雲(または但馬)まで鳥を追いかけて行って捕らえたという話になっている。この段では出雲の神宝を検校する話がある。

 出雲は主に『記』の古い言い伝えの部類に入る話に出てきて存在感を見せる。これは日本の村々が連合して大きな共同体を作る歴史的過程で、文字による歴史の編纂が始まる前のある時期に出雲の力が大きかったということの反映だと私は考える。それはいつなのか、そしてなぜ出雲の存在は大きかったのか。この謎を探るには、弥生時代まで遡る必要があるだろう。