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稲生平太郎インタビュー

1・小中学生の頃 2・絵画と英文学と〈UFO超心理研〉 3・英文学者としての自分 4・なぜ書いたのかわからない  5・オカルト的なもの  6・日本文学のこと   7・ラディカルに生きたい  8・ヴィジョンに吸引される  9・佐々木喜善の実像

1・小中学生の頃
――宮澤賢治がお好きだとか。
稲生 賢治は好きです。賢治の体験に関しては人並み――人並み以上かな。でもよくあるパターンですよね、小学校の時にすごく熱心で、そのまま中学も高校も大学までずっと続いた(笑)。たぶん高校生ぐらいまでは定期的に好きな作品は読み返してたし[補遺1]、大学に入ってもたぶん。『校本宮澤賢治全集』が出たでしょ、あれは高校の時やと思うんですけど、親に頼んで買ってもらって、いまだに持ってます。
――お子さんの頃は賢治以外には何を読まれたんですか。
稲生 あの頃はまだはっきり文学のキャノン(正典)があったでしょ、だからそういうのも読んでたわけね、小学校の六年か中一ぐらいのときに、島崎藤村とか志賀直哉とか。同時に、小学校の終わりぐらいに、たまたま友だちのお父さんが《世界大ロマン全集》を全巻そろいでもってて、その子に何かあげて、順番に全部貸してもらった。向こうの怪奇とかエンターテインメント、そういうものに触れたのはあれが最初かな。
――本ばかり読んでいる子供だった?
稲生 まあね、そうでしょうね。それは意外性がないというか(笑)。
――運動できなくてとか?
稲生 そうそうそう(笑)。というかこれも典型的なパターンで、僕はずっとからだが弱かったから、幼稚園もほとんど行っていないし、小学校も一、二年の頃はかなり行っていないときが多い。喘息が重くて生き延びられないとまで言われたんですよ。だからそういう意味では典型的に家に閉じこもって、本を読んでるという。本と模型しか楽しみがない(笑)。
――絵に描いたようですね!
稲生 そう、絵に描いたよう(笑)。意外性に乏しい人生。
――元気になったらそういう情況から脱却しようとは思わなかった?
稲生 だからそれはますますひどく……。中学のちょうど二、三年ぐらいの時に夢野久作とか小栗虫太郎とかが三一書房とか桃源社からいっぺんにわーっと出だして、そういうのにもひっかかちゃって、逆にそっちばっかりになっちゃったんだよね。ちょっと上の世代だったら、それは高校の終わりとか大学で、普通の本を読んでからそういうのがあるということを知った。だけど、僕の場合は、普通の純文学系も読んでましたけど、わりと早い時期にそういうのに入っちゃったから、そういう意味では情けないぐらい典型的というか(笑)。
――最初に買った洋書がアーカムハウスだったとか。
稲生 そうそう。でも、今でも僕はミステリ――探偵小説が好きでしょ、ミステリと並行はしていましたね。探偵小説は、小学校の途中までは子供向けにリライトしたポプラ社のとか読んでましたけど、小学校の後半ぐらいから、いわゆる大人向けのを読んでたからね。怪奇小説も、イメージとしてはミステリのつもりで。怪奇小説もわりと好きだったな。
ただ僕らのときには怪奇小説はほとんどなかったからね。だって読めると言ったら《大ロマン全集》の『怪談傑作集』とか、早川書房のアンソロジー(『幻想と怪奇』)があったくらいで、あとは『ミステリマガジン』が特集やるとか、そういう形でしかなかったから、怪談なんて読もうと思って読めるものじゃなかった。逆に岡本綺堂みたいな日本の怪談なんか、大学に入ってからじゃないかな。
だからまだ戦前的だったのかな。要するにミステリの一部の中にそういうものが一部入っている感じだったのかなとも思うよね。考えたら僕はサイエンス・フィクションも読んでましたね。小学校の終わりから中学校の始めにかけて。
――その頃はちょうど日本SFの隆盛期に当たるんですよね。
稲生 そう、だから『果しなき流れの果に』とか中学一年かその頃に、ともかく新刊を買って読んだ覚えがある。こんなのがあるのかと。クラークの『幼年期の終り』とか読んでへーっと思ったり。『SFマガジン』は中学の一、二年の時にずっと買ってたと思う。大ざっぱに言えば中学の前半ぐらいでSFは終わっちゃって、ミステリだけになっちゃったのかなと思いますね。
――中学の終りぐらいから怪奇とミステリの方に傾いたという感じですか。
稲生 いや、そう単純でもなくて、同時代の純文学系の小説とかも読んでたりはしましたね[補遺2]。武田泰淳があの頃はまだ元気だったし、石川淳も。石川淳なんかは遡って読んでましたね。
――稲生さんって読まないものないんですか?
稲生 いやいや。それとミステリは昔はイギリスが主流という意識があって、アメリカはハードボイルドとか違うタイプのミステリだったんで、イギリス系を最初にわーっと読んだし、またずっと読み続けたんです。だからイギリス文学を実感したのはむしろそれなんですよね。それで高校の終りぐらいに英文学をやろうと思った。
同時にややこしいんですけど、白水社の世界の文学シリーズって白い本あったじゃない、あれをばーっと読んでいったわけ。それでイーヴリン・ウォーに当たってさ、なんかあのシリーズのドイツとかフランスとかと全然雰囲気が違うでしょ、吉田健一の訳だったし、ああいうのを読んでそのへんにひっかかった部分がある。それでそっちに行こうというのが、高校生ぐらいからありましたね。

2・絵画と英文学と〈UFO超心理研〉 ――日本文学も相当に読んでらしたのに、英文学へ行こうと思われたのは、そういうのがおもしろいなと思われたからですよね。
稲生 日本文学は日本人だから読めるだろうと思ってたから、それだったらちょっと芸がいるやつをと思って。
――芸がいるものをと思って英文学を選ばれた……。
稲生 もちろん英文学が好きでしたよ(笑)。英文学を研究すれば、同時に日本文学もちょっとぐらいわかるだろうからと思って。ウォーはその当時は大人の文学という印象があったんでしょう。チェスタトンも僕は好きだったんですよね。チェスタトンはミステリと言っても、全然ミステリじゃないところもあるから。『木曜の男』はわりと早い時期に読んでて、ああいうのも好きだったから。要するにちょっと変な話が好きだったけど、変というのは別に怪奇幻想文学というわけじゃなくて、感触として今まで知らなかった世界があるということで、そっちの方で魅かれた部分が大きいかと思いますけどね。ちょっとは意外性が出てきたかな(笑)。
――うーん。本当によく文学を読んでいらした方なんだなと思います。どうしてそこにオカルティズムが関わるんですか?
稲生 それは……。考えたら無気味な少年だと思うけど、大学に入ったら英文学を勉強して、サークル活動ではオカルトの方を研究するのを自分で作ろうと思ったんですよ。でも高校の時はずっとクラブ活動は絵や音楽をしていたから、どうしてそんなふうに考えたのかわからないですね。どういう契機でそんなふうに決意したのか、記憶が曖昧なんだけど(笑)。
――絵もお描きになるんですか?
稲生 絵は熱心に描いてましたよ、大阪は事情が特殊でね、体力勝負の美術部でしたね。合宿なんて朝6時に起床して、ずーっと日が沈むまで描いて、帰ってきて合評会があって、遅くまでみんなでやる。かなり厳しかったんです。その時、百号の絵とか描いているんだよね。それで僕は賞をもらって、京都市立美術館の展覧会に出したんだよ。ウィーン幻想派が初めて来た頃で、あんなの見ててへえっと思ったから、ああいうのの影響がすごく強い絵ですね。いつも冗談で言っているのは、中学の時には詩人になりたくて、高校の時は絵描きか音楽家になりたかったんだけど、どれもなりそびれてだんだんおちぶれていったと(笑)。
マンガを描くのもちっちゃいころは好きだったから、中学の時に『COM』に投稿して、ひとこまマンガが載ったような記憶があります。高校の頃は『ガロ』とか熱心に読んでましたね。20代後半くらいまではわりと熱心にマンガを読んで、大学時代はかなり。マンガばかり読んでたような気がする。
――幅広い趣味と……。
稲生 そういうふうに概括されるとさみしくなるような気もするけど(笑)。スポーツ以外、文化系には何でも手を出すタイプではありましたね。時間的には絵が一番大きかったと思いますね。本は帰ってから夜から読んでましたから、寝ていない生活が続いて、ずっと高校時代は睡眠不足でしたね。読みだしたらずっと読んじゃうから、徹夜したり三時四時まで毎日。授業を全然聞かずに、寝てばかりいたんです。
――なんで京大に受かったんですか?!
稲生 それは浪人しましたんで、浪人のときにちょっと頑張って勉強をした。学校では劣等生だった。
――数学ができなかった
稲生 そう、数学は三年の時は毎考査欠点(赤点)を取って、そんな人はいないと言われましたね。ともかくたいへんな思いをしました(笑)。根気がないんだよね、数学をやる。
――それで京大でオカルトの研究会を作られたんですか?
稲生 入ってみるとそういうのがもろにあったんだよね、それでそこに入っちゃった。〈UFO超心理研〉ってかっこ悪い名前なんだけど(笑)。大学時代はそればっかりやってたんだよね。
今考えると、オカルトの部分がどこから入ってきたのか不思議ですね。そのてのものに興味はあったんだけど、考えたら高校でオカルトのサークルがあるとか、オカルトの話ばかりしているとか、そういうことはないでしょ。でも大学に入ってからそうなったわけじゃなくて、大学に入る前にそう思ったのはまちがいない。でもなぜそういうふうになったのか、今となってはわからない。今現在考えたら、オカルトは自分の中で大きい部分だけれど、どうしてそんな考えを抱いたのか、今となってはわからない。
――オカルトの研究会に入っていかがでしたか。
稲生 あとで振り返ると勉強になりましたね。普通では見聞できないような世界だとか、いろんな変な人に会ったから。本当に北は北海道から南は鹿児島まで行っていましたからね。そのときにいちばん思ったのは、世の中っていうのは自分が想像していたより変な人ばっかりなんだなと。みんな普通のおじさんおばさんなんですよね、地元で特に異常視されているということもなくて、ごく普通に暮らしてはる。ところが口を開けたら異常な、とても信じられないようなことを言い出すわけですよね。だから良い意味で驚きましたね。行動が変な人っていうのは世の中いくらもいるよね。それぐらいは僕も分かってたけど、行動が変というんじゃなくて、世界観自体が、普通のところからは想像もつかないことを言う人がごろごろしている。それがわかってびっくりしちゃったというところはありますね。
――ミステリ研にも入られたんでしょ。
稲生 それは単に入っただけで、あんまり熱心でなかった。ミステリももちろん読むんだけど、ある意味で幼稚な趣味で、謎あてを書くとかしてたけど、僕は謎あてなんて興味もなかったし、聞いても感心もしない(笑)。
――何がおもしろくてそんなにミステリを読まれるんですか。
稲生 ミステリって言っても広いしね。僕はやっぱり乱歩の影響というか、奇妙な味っていうか。初期の「二銭銅貨」とかにはあまり出てませんけど、乱歩がミステリが好きな理由はやっぱりあれやと思うんで、僕もそういうところで見ていましたね。イギリス系のミステリには、一部に、変な感触が明らかにあるんですよ[補遺3]。だからそういうのを探すために読むというのはあるよね。こんなことをこんなふうに考えて書かないだろ、というものを求めて読んでいたところがありますね。そういう意味では謎がどうたらこうたらということに興味がなくて、物語としてそういう風に書けるということに関心があるんじゃないかと思いますね。今でもそれは残っていると思いますね。
――じゃあミステリでなくても、小説全般でもいいわけですよね。
稲生 でもどうなのかな、乱歩的な嗜好というか、そういう体質の人は、アメリカでもイギリスでも結局ジャンルとしてミステリしか選べない情況があるのかどうか知らないけど、そっちの方に流れて行くし、結局そこで出会うような気もするけどね。例えばイギリスのオリヴァー・オニオンズという作家がいますよね、怪談を書いてて、ミステリも書いている。彼の場合は逆にミステリはおもしろくないんだけど、ただし、怪談で食っていけないからミステリに手を染めるという人の書くようなものが、ミステリでも何となく変だというような感じがあるのかな。

3・英文学者としての自分 ――大学院へ行って研究者の道に進もうと思われたのはかなり早い時期から?
稲生 できれば研究したいと思ってましたけど、大学に入ってもほかの英文の人と全然違うし、劣等生だと思っていたし劣等生だと思われていましたから、院にまず行ける保証がなかったわけですよね。院がダメならどうすればいいかなと考えて、そのときはマンガばっかり読んでたから、マンガ評論家の道はどうかと考えたことがありましね。その時はいくら考えが幼稚でも、無謀であろうと思ってやめましたけど(笑)。
――で、たまたま院に受かったわけですか。
稲生 そうそう。受かってからでも研究者になれるとは思っていなかったし、なれればいいとは思ってましたけど、そんなに研究者研究者とは考えていなかったですね。
――なりゆきなんですね、先生になられたのは。
稲生 なりゆきでしたね。
――作家になろうとはお考えにならなかった?
稲生 それは考えなかったですね。画家は考えても作家というのは一回も考えなかった。それはもう自分では無理と思っていましたね。書けるわけはないと。普通の評論家みたいなものもできないだろうと。僕の場合は何でも関心はあるけれども、評論家タイプの関心ではないから。それは早いうちから思っていましたね。本当に才能と言っても限られた範囲しかないだろうと、そういう自覚はあったと思いますね。
――根っから研究者タイプという感じ?
稲生 そうは思わないですね。根っからの人だったら一つのことをこつこつとやるでしょう。こんなに次々いろんなことしませんよ。僕の場合はいろんなことに散っちゃうから、そういうのは研究者タイプとは言わないんじゃないかな。ただ同時に、いろんなことをやる場合でも最低限のレヴェルには達したいと思っているから、それは常に意識していますけどね。自分のことを研究者と考えたことはあまりないですね。英文学に関しても研究者という意識はあまりないですね。
――それじゃ何なんですか? ただの先生?
稲生 商売上そうであるというか。何か専門はと言われたら、イギリス文学をやっていますと一応言えるというところがあるじゃない? 英文学が一生の職業とは思ってないからね、たまたまやっているだけだから。こんな程度の知識で英文学者なんて自分ではよう言わんし。だって英文学なんてこんな長い歴史で、かなり詳しくないと英文学者とは言えない。
――それを言ったら言える人はいなくなるのでは。
稲生 少ないと思うけど、言う以上は自信を持って言いたいじゃない(笑)。英文学が一生の仕事だと思っていると言ったらそれなりのことをしないとだめだけど、僕はそんなことしてないから。ごく限られた範囲しかやっていない。それに今だって、実際、もちろん時間の多くはそっちの方に割かれますけど、頭の中ではこの時点で言えば、ディーの論文を書き直したり、遠野に行って佐々木喜善をやったり、戦前の探偵小説のインタビューに手を入れたり、日影丈吉のこともあるし、そういう意味では別に自分が英文学やというふうには思わない。
――要するにやりたいことやってるんですね……。
稲生 そうとも言えますよね(笑)。人から言われてなるほどと思ったのは、よく円盤の本なんか書いて英文学会で生き延びてますね、と。そうなんですよね。映画の本を書いてもどうということはないですけど、映画と円盤では同じ「え」でも全然違うでしょ、社会的な地位というものが。映画だったら、世間で通る部分で言えばかっこいいというところはあるでしょう。円盤だったら、普通はしんどいですよ。そういう意味では、したいことはしているんです、実際。
――学者としてのお仕事とその他の部分との使い分けがお上手なのかなと。
稲生 それは特に上手ということではなくて、ただそういうふうになっているのかな。客観的には自分では見にくいですね。客観的になろうと努めてみると、確かに特異な状態かなという気はしますね。
――ほかにこういうことをやっている人はいないわけですよね。
稲生 僕みたいな形で関心を向けている人はあまりいないと思いますね。もう少し分かりやすいですよね、関心の置かれ方が。例えば映画と美術と音楽とやっていらっしゃるというのは普通だと思うし、僕みたいに分裂しているのはあまりないでしょうね。
――稲生さんを簡単にまとめると文学とオカルティズムだから、わかりにくくはないですよね。柳田や熊楠が入ってきてもすんなりいく。
稲生 そうだね、そう言われてみれば。ただしそういう人はあまりいないね。ようわからないですね。
――自分にとって価値があるものを研究していらっしゃるわけでしょ。
稲生 僕の行動原理は、自分が関心がある、自分が本当に好きなことしかしない。そうは言ってもいろいろ制約はありますけれども。基本的な方針は好きなことをできるだけ頑張ってやる。だから嫌いなことはあまりしたくないし。
――でも『アーマデイル』の翻訳はしなくちゃいけないし、というようなしがらみがある。
稲生 それはありますね。翻訳は好きじゃないんだ、そもそも。単純に、手間がかかるからです。翻訳は若いときから断っているんですよね。翻訳で時間を取られるのはいやという意識が強いですね。翻訳で取られる時間とほかのことに費やす時間と考えたら、翻訳は割があわない。やっててもつまらないし、出来上がるものは、いくらうまくいったといってもたかが知れてますよね。もちろん翻訳にもスタイルは必要だし、でも同時に全部翻訳者がのさばっちゃったら翻訳している意味なんかないしね。翻訳なんかして快感あるのかなと思う。自分でコントロールできない部分が多いから厭なのかなあ。
――十全に把握しているという感覚がお好きなんですか。
稲生 それは好きですね。できるだけコントロール下に置きたいですね。翻訳でもそれでよけいに疲れるんですよね。そもそも無理に決まってるんだから、あきらめてもいいんでしょうけど。

4・なぜ書いたのかわからない ――完璧に把握していたいという感覚は昔からおありだったんですか。
稲生 誰でもそうだろうけど、完璧への憧れならありますよね。結果はどうあれ、少なくとも完璧を頭に置かずに仕事をしてても意味がない。そんなものは残らないよ。前から言っているけど、残りたいという意識が強いんだよね。
――それはなぜでしょう。
稲生 だって自分が好きな作家はやっぱり残ってるわけじゃない。だから憧れかな。ここまで根性出した作家は残るんだから、俺も頑張ろうか、という気がする。
――でももしかしたら、すごい作品を書いているけど残らなかった人もいるかもしれないでしょ。
稲生 それは世の中うまくできてて、意外とないような気がする。ある程度は残るということに関しては僕は信仰的に信じてますね。自分の体験から言っても、残るものは時間がいくらかかっても結局は浮上してくる。極端な場合は百年二百年かかるかもしれないけど、そのまままったく見捨てられることはないような気がしますね。それを信じないと文章が書けないと思う。僕にとって文章というのはそれが大きいですね。残る、残らないというのが。
――まさかお書きになるときに、残るようなものを書くぞ、とは思われないでしょ。
稲生 そんなことは思わないよ(笑)。でも半年後とか一年後に読み返して、こんなひでえもん書いたらまずいなと思うようなものは書きたくないなと思って書いてるよ。でも後で見たら、なんだこれはってこともあるし。でも書いたものは捨てられないし、だからそうならないように書こうとは思う。
――あとで読み返してみてうまく書けたというのは。
稲生 うまく書けたというのではなくて、要するに、今までの本で言えば、『異形のテクスト』以外は、自分で本にしようというよりは何となくああなっちゃった感じだから。例えばいまだに円盤の本をなんで書いたかわからないんですね。あれは短期的に集中して書いたんですけど、なんで突然円盤にこだわりだして、本一冊分書いちゃったのかわかんないですよね。逆に言えば、ごく当たり前の話だけども、自分の方が引きずられていくような体験が大事で、意味があるんでしょうね。「四谷雑談」の記事、どうしてこんなものを書いているのかとサイトに書いてあったけど、僕もなんであれを書いたかわからない。書く必然性もないし、唐突に書いたわけだから、なんかあったんでしょうね。今やってるディーなんかもそうですよね、とにかく今は、完成をめざしていますから。なぜ突然ディーかと言われてもわからないんですけど。そういうなぜ書いたかわからないというようなものが、自分の中では意味があるような気がしますね。なぜ書いたかわかるようなものは結局つまらないでしょ、理に落ちてるからね。なんでこんなものを書いてしまったんだろうという方が、やっぱり自分にとってもおもしろいですよね。自分にわからないんだから人にわかるわけがないだろう……でも逆か、人の方がわかるかもしれないですね。
――そういうことが多いんですね。
稲生 書くってそういうことじゃないかな、基本的に。例えばずっと関心があって興味があるものがあったとしても、それが書くということに移らない場合も多々あるわけでしょ、いつも自分の意識の中では、そんなに大したことじゃないなと思っていることがばっと前面に出ることがあるから。その方が生きてて退屈しないですよね。だってこれとこれとこれしようって言っててずっと決まってたらおもしろくない。
ただ僕の場合は執念深いところがあるような気がするわけね。だから円盤の本はちょっと例外的やけど、ナチの本だって十年ぐらいかかっているんですよね。今度のディーの本だって、最初は『幻想文学』でしょ、で、ああなっていくわけだから、一回そうなのかなと思うと、拡大するやつは、わりと執念深く――というと語弊があるけど、しつこくやっていくところがある。もちろん日々のレヴェルでは、この一週間、一ヶ月、興味がわいたものとかあるわけじゃない。ある程度次々読んでいくから、ある方向にはどっかに行くようなことが何回も起きているんだろうけど、でもやっぱしそのまま止まっちゃうものがほとんどでしょ、僕の場合。どれかだけが突出して走り出すから。まあそんなものでしょ。
――何かに出会うために読んでいるという感じはない。
稲生 それはない。仕事しようと思って本を読んでいるわけじゃないし、それは絶対したくない。一端仕事が始まれば、そのために本を読んでいきますけどね、日々の娯楽で読んでる本なんてそんなこと考えて読んでもつまらないし、おもしろいなと思えるものがあれば意識的にそっちの方に持っていくけれども、必然的に終息していって、そういうのも読んだなということで終わっちゃうことがほとんどでしょう。
――稲生さんにとっては自分も謎の一つなんですね。
稲生 そこまでかっこいいかどうかは知らないけど、自分が何なのかわからないですね。確かに客観的に見れば変なところ、妙なことに関心を持つよな、という気はしますよね、確かにね。友人なんかでも、Aという人とはイロハの話題を喋ってて、Bという人とはハニヘで喋っててとか。
――その点に関しては誰でもそうなのでは……。
稲生 そうか……。

5・オカルト的なもの ――ご自分の中でオカルティズムは大きいと思われる?
稲生 オカルティズムっていうとヨーロッパ的だけど、なんていうかオカルト的なものですね、大きいのかなあ? 結局オカルトの方がおもしろい、バランスだと思うけれども、文学って逸脱しそうで逸脱しないんだよね。ところがオカルト系で、僕の関心のある方は、とめどなく逸脱していくところがあって、その辺はおもしろいですね。文学はいくら壊そうと思ってもある程度残っちゃうじゃない。ところがオカルトの方はそれがないよね。
――だからやばいわけで……。
稲生 そうそう、やばいやばい。とめどなく崩れていくから。とにかく思いもつかないようなことが起きるのはそっちの方があるような気がするから、そうなると文学はそういう意味でのおもしろさはないよね、意外と出来そうで出来ない。こんな変な話は読んだことがないというのはあるにしても、意外とそんな話ってあったりするんだよね、どこにでも。変な話は実際なかなか書けない。
――オカルティズムの逸脱の仕方にもパターンがあったりして。
稲生 もちろんあります。それは文学と一緒で、評価するわけ、これはおもしろいとかこれはおもしろくないとか(笑)。たいがい常識的でつまらないんだけど、ときどきこういうふうなのあり? これならすごいな、と思うことがある。オカルトは実人生と密接に結びつくでしょ、そうするとその人の人生自体が壊れていくわけで、そういうのに関心があるし、それは同時に脅えでもあるんだけど。やっぱり怖いっていう感覚は常にありますよね。滑っていってしまう恐怖感もあるんでしょうね。ただ脅えと同時に魅惑も感じるから。そういう意味で文学の場合は、脅えを感じることはないよね、あんまり。
――たまにあるかもしれない。
稲生 鏡花には一部やばいやつがある[補注3]よね。ここまで書いていいんだろうかと、ちょっとのけぞるというか、あとずさるというか。ここまでいっちゃうとやばいんじゃないか、と思わずあとずさってしまう感じが好きですね(笑)。そこまでいく人がいるというのは衝撃だしね。

6・日本文学のこと ――こんなに日本文学を読んでいるのに、いわゆる文芸評論家というのでもなくて、英文学者である、というのはやはり変わりだねなんでしょうね。
稲生 どうなのかな。評論って難しいよね、場合によっては自分をどう見せるかということになっちゃうことがあるしね。それはもう僕はあまり関心が無いから。僕の好きなタイプの文学ってあるじゃない。僕の頭の中で判定するわけ、例えば同じようなタイプのイギリス作家がいても、日本の方が上やというふうに思うときもあるわけね。逆もあるけど。そういうのってみんな意外としないんだよね。英文学の作家が向こうで偉ければ偉いだけど、僕は別に向こうとこっちと較べてさ、わりと似ているじゃんと思うしね、似ているところを対比させたいと思うし。そういうのはあまりしないのかなと不思議な気持になりますけど。例えば、日本の戦後文学はかなりレヴェルが高いよね。ラテンアメリカのブームまでいかなくても、戦中あんまり書けなかったのが、戦後にバーッと出て来て、それはかなり文学的なエネルギーが大きかったと思う。世界文学的にも突出して高かったという気がする。例えばイギリスにも戦後文学があるけど、それと同時期の日本文学を塊で見た場合は、明らかに日本の方が上やと思うわけね。そういうふうにはあまりみんな考えないのかな。
武田泰淳って好きなんだけど、『富士』なんてかなりのレヴェルだと思う。あそこまで行けたというのは大したもんだと思いますね。あれもたまたま出てすぐの頃に読んだんだけど、数年前に読み返して、なかなかのもんやった。最初に読んだときの興奮はなかったけど、読み返しても、やっぱりこれはかなりいけてるなという気がしましたね。ここまで行ければすごいなと。武田泰淳はおもしろいよね、乱歩の影響が強いしさ、妙に活劇が多いしさ、変な人だよね。
谷崎も二ヶ月ぐらい前かな、まとめて初期の短篇を読み返したんだけど、やっぱりすごく変な人だよね。「ハッサン・カンの妖術」なんて、こんな話だったかと思ってびっくりしちゃった。傑作なんだけど、妙なことを妙な書き方で書く人だなと思いましたね。
谷崎は『細雪』は好きで、何回も読み返しましたね。昔から思ってるんだけど、ジェーン・オースティンを日本でやってみようとしたんだと思うんだよ。いわゆるイギリスのノヴェル・オブ・マナーズというオースティンみたいなタイプを絶対日本で自分がやってやろうという意識が強かったんだと思う。そのへんはすごく意識的な小説という気がしましたね。それ以外にあの作品は読みようがない。たぶん戦前の蘆屋というのを谷崎は発見して、ここでだったらオースティンの世界を日本化できるという確信を持ったと思うんですよ。谷崎は戦中にそこで一発勝負をかけたという気がしますね。戦前の蘆屋というのは大阪の裕福な人々が別荘、別宅を持っていた別荘地。だから隠居地でもあるわけね、成功した人が引っ込むような。
僕はわりと結婚話って好きなんですよね(笑)。なんか知らないけど中産階級の安定感が好きでさ、そういうことを言うと文学じゃないと言われるけど、あれは好きだなと(笑)。大昔、『細雪』の舞台でミステリを書こうかなと思ったこともあったけどね。『細雪』の登場人物が実在の人物としてその辺を歩いている形でね、単に面白いと思ったから、好きだったから、書いてみたかったわけ。そんな芸はなかった(笑)。
――日影丈吉もお好きなんですよね。
稲生 文体の魅力というとずれちゃう気がするんだけど、彼が描く文章で立ち現れてくる世界にすごく魅かれるところがありますね。だから日影さんも絶対に空気系作家で、空気系作家として尊敬しちゃうんですよ。要するに頭の中に世界があって世界の空気を文章として固定しようとするわけ。日影さんは絶対にそれで、それとして非常に偉い人と思いますね。
――例えばミステリならミステリ、怪談なら怪談というジャンルの塊が好きっていうのとは違うんですよね。ある特定の雰囲気をもって自分を驚かせてくれるようなものなら何でもいい。
稲生 そう何でもいい。それが字で書いてあれば(笑)何でもいいわけ。自分の中の、広い意味での文学――つまり書かれた文字なんて広大無辺じゃない。日本語だけでもそうだしさ、外国まで含めたらそうしたらすさまじいものじゃない、その中で反時代とか何とか言っても意味なんかないんじゃないかという意識はあるよね。例えばディレッタントを気取るというけど、僕なんか気取りようがないんだよ。趣味の世界というのは逆に限定の世界で、僕は限定は大嫌いで、できるだけ広がるのが好きだから、そうすると限定できない瞬間にもう反時代ということの意味なんか飛んじゃうでしょ。むしろ非時代というか。どんなジャンルでもかまわない、自分と引きあうものは絶対あるから。音楽でもそうだし、絵でもそうだろうし。いろんなところであるわけだから。自分の場合、単にそれだけの話で。いろんなジャンルで、いやというほどあるんだから、それとつきあっただけでも時間が経っていくでしょ。それで死んでいくんだろうけど(笑)。それでいいんじゃないかと。
――わかりやすいですね。
稲生 わかりやすいと思うんだよね、基本的には。

7・ラディカルに生きたい
――では、何が稲生さんと引きあうのかということですよね。どんなものに触れたときに引かれるか。
稲生 それは偶然が大きいでしょうしね。何でものめりこむタイプだから、20代前半ぐらいまではオタク的な要素が強かったと思う、オカルトオタクとか怪奇小説オタクのような側面があったと思うけど、あるときそれを意識的な形で変えようという気もあったし、その方が気持いいこともあって、どこかで変わったような気がしますけどね、無差別にいろいろなところでオタクをやってれば、それをオタクとは言わないよね(笑)。
――だってそれは不可能でしょ。
稲生 それは極論だけど、そういうふうな意識を持った。もちろんマンガオタクの濃い人に較べたら、それは知識の精粗で言えば粗くなるだろうけど、粗いのはまあいいか、という気があったから。
――いろんなもののオタクってすごくエネルギーがいるのでは。
稲生 そんなにエネルギーいるかな? 向こうが僕を吸い寄せると思えば、エネルギーは使わずに行ってるんじゃないかと気もするんだけど(笑)。ある程度は疲れるかも知れないけど、基本的には向こうだと思えば、主体が向こうだと思えば。でしょ? それはもう僕のコントロール外だから、行っちゃうんだから、いろんなところに。でも仕事は特定化したほうが注文が来やすいんだよね。同じもので人は安心するから。一端固定しちゃうと、何回も同じようなものばかり読むことになってしまう。
――それはやっぱり厭ですよね。
稲生 僕は耐えられない。でも世の中は変化や多様性を好まない。一定のパターンに収束する。
――人間は保守的です。その方が生きやすいに決まってますから。
稲生 それは僕もあると思う。
――稲生さんは保守的ではなくてラディカルなんですね。
稲生 保守的なところも多いけど、できるだけラディカルに生きようと思ってますね。人のクズはクズと言うとか(笑)。まあ人のクズはどうでもいいんだけど、なんにしてもできるだけ広く、広い方向に行きたいと思いますね。広く行った場合に拡散して何も産まないで終わるというリスクはあるけどね。
――自分の内面に忠実であろうとすると、ある程度の限定は避けられないでしょう。
稲生 それはもちろん無差別に広いわけじゃないからね。いつも自分の中にいろんなものがある。あるんだけど、結局何かが触媒になって形になるんでしょう、それが起きない場合もあるし。例えば僕は昔から言ってて全然書かないんだけど、石の表面の模様が人の顔に見えるとか、シミュラクラというのに興味があってね、書きたいなと思っているんだけど全然進んでない。
――進まないのはあまりに完璧主義だからなんじゃないかと。
稲生 完璧主義とは関係ないけど。僕の場合、メインの内容自体は決まっていることが多いんだよね。ただ、周辺のリサーチが厖大な量になるから、それで結局進まない。「妖精の誘惑」だって、話の筋としては簡単なんですよ。その傍証がために厖大な労力がかかるわけね。だから僕の頭の中ではディーなんて考えてなかったわけよ、当然リサーチやるならそっちの方だと思ってたわけよね、ところがどういうわけかディーの方が出て来ちゃってこうなっている。その辺は自分でもわからない。ずっと考えてたのは別のほうだからね。妖精の方もあきらめたわけではなくて、資料は現実には買ってはいるんですよ、相変わらず。やめてはいない、決して。ただどうなるかはわからない。死ぬまでに結晶化するのかどうかわからない。
――傍証を集めるなんてしないで書いちゃう人もいるでしょ。
稲生 それは絶対にいやなんだ。種村季弘さんとか澁澤龍彦さんのお仕事があるでしょ、ああいうのを読んで僕が思うのはね、こんなにおもしろいことはその関連のことがわーっといっぱい広がっているはずだから、それを全部見せてよ、と。ところが彼らはそういうことはしなかったわけで、もちろんしなくてかまわないんだけど、僕としてはそういうのを全部見せてもらった仕事がいちばん楽しいわけよ。そうすると誰も書いてくれないから、自分がやるときにはせめて、ガガガッといきたいという気持があるわけ。エッセイの形で今言ったようなテーマをぽろぽろ書いていくという手はある。それなら無尽蔵にネタはあるよね。ネタはあるけど、それにはあまり興味がない。自分でやっても欲求不満になるだけ。ここまで書いたんならもっと先があるだろうと思う。
――ちょっと珍しいですよね。
稲生 たぶんね、ちょっと珍しいと思う。あまりいないだろうね。結局そういうものに関しては、自分が読者だと考えた場合に、読んでフラストレーションを感じないものを基本的に書きたい。僕はそんな細切れじゃなくてどーんと読ましてよ、という気持があるから。
――それで幸田露伴が好きなんですか?
稲生 どうして。
――露伴にも背景のすごい広がりがあるから、関係があるのかなと。
稲生 露伴の一部のエッセイも圧倒的な量を誇ってますよね。露伴もしつこいんだよね。「鱸」という後期のエッセイがあって、あれはすごいと思うんだけどね。膨大な、洪水みたいな印象を受けるんだけども、あれって中期に短いエッセイがあるんですよね。それから勉強してたんだろうね、晩年にもう一回書く。ある意味で彼もしつこいやつだなと(笑)。いかにも晩年に学識に任せて書き飛ばしたように見えるけれども、実は一回中期に書いているんだ、そういう意味では、晩年にはスタイルなんかかまっていないように見えるけれども、かなり勉強しているんだなということはわかる。
――お薦めの「太公望」を読みました。おもしろかった。
稲生 あれなんか読むと花田清輝もね、まだまだだなと。技法的にすべらせていくというのは露伴に習っているけど、露伴に較べたらスケールが小さい。露伴の「太公望」ってすごいじゃない、一切太公望が出てこないうちに終わっちゃって、いったい何なんだ、これだけの字数は何のためにあったのか、という気がする(笑)。あれは三好達治が同時代に蜃気楼のような名文だと言って褒めている。本当にそう思いますね。かなり反響はあったみたいですよ、あのエッセイは。あれを読んで驚いた人は多かったんでしょうね。「太公望」を読むと、あそこまで行った人は、日本文学でいないような気がするね。あそこまで行ければ大したもんだと思う。
――「魔法修行者」は?
稲生 あれは澁澤さんとか種村さんとかが日本的オカルティズムとか言ってるけど、実は全然関係ないじゃない。露伴の関心は、そんなことをやっているやつの生き方にあって、それでもいいかみたいな、こういう生き方もあるんだという感じで終わってる。そういう意味では露伴って暖かいところがあるよね。あの暖かさみたいなのはほかの文学では読んだことない。褒めるのはあるけど、あれは褒めてるわけでもない。こういう生き方もあってもかまわない、というところがあって、ふうんと思う。「連環記」にもそういうところがある。だから「魔法修行者」にオカルトを求めても失望するだけですよね。露伴のオカルトと言ったら煉丹術の長い論文があって、読んでも全然わかんないんだけど、何となく凄いなあという印象が残る(笑)。それは本格的に煉丹術のシステムについて本気で考えているんですよね。同時に露伴らしく妙なところでこだわってますけどね。
僕も露伴のおもしろさに最近気づいたから、若い読者に読んでもらいたいと思って、アンソロジーというのを考えた。今まで露伴って解説も難しいことばっかり言ってるでしょ、もっと素朴なレヴェルで露伴って楽しめるって、若い子にわかってもらえれば、と思って。

8・ヴィジョンに吸引される 稲生 好きな作家とか作品と言っても、昔読んだだけのは、今読むと評価が変わるかも知れないから、あんまり言えないな。でもときどそういうふうに読み直して、外国のやつでもね。『木曜の男』も英語でもう一回読み直してみたけど、そうするとだいぶ印象が違いますよね。ただ最初の時にすごく記憶に残ったシーンは、二回目に読んだときも印象があったから。チェスタトンは昔夕焼けのところが好きやったんけど、今度読み返してみてもさ、夕焼けはいいなと。『木曜の男』を読んで夕焼けがいいなというのは何だろうかっていう気もするけど(笑)。そういうような読み方しかできないからね、僕の場合。文学はそこだと思うけどね。テーマでも何でもなくて、夕焼けだっていう(笑)。『木曜の男』でもテーマと絡んでいるところでもいろいろと言えば言えるけれど、同時に、こんなふうに世界が見える作家がいて、見えているものは言語化できないから、空気だけ運んでくる、そこで反応しちゃう。こちらは、ああっと思う。そういうのが文学だ――って言ってもたぶんダメなんだろうね、世間的には。一般にエンターテインメントとか見ていても、そこはみんな反応していないのね。例えばミステリの作家で、それで読まれている人は誰もいないんじゃないかな。
――そういうところは批評できないから、表だっては出にくいのかもしれません。テーマなり何なりを語れば評論っぽくなるから。でも何を求めて読むのかというと最終的にはそういうヴィジョンじゃないかという気がするけど。
稲生 ディケンズに Bleak House というバカ長い長篇があって、そんなにおもしろいとは思わないんだけど、その中にも一箇所そういうシーンがある。たまたま仕事で、あの長いのを時期を置いて二回、英語で読まされたんだけど、そこには反応しましたね。副主人公の女性が高熱が出る直前で、からだが変なんですね、そのときに丘の上からロンドンを見て、光の効果で、主人公の意識が変になっているから、その変容している感じが、すごく特殊な感じ。そこは二回目読んでも反応するのね。
――チャールズ・ウィリアムズが好きなのもそういうこと?
稲生 そうだね、それは確かにありますね。ウィリアムズの場合はいろいろあるけれども、それもやっぱり大きいでしょうね。ウィリアムズは三つ訳したいんですよ。The Place of The LionMany Dimensions、それと Descent Into Hell。T・S・エリオットなんかはこれがベストやと言ってますけど、アクションがなくて内面のヴィジョンだけなんですよ、起きてることは人が会うことぐらいで、中でいろんなことが起きてて、それがあの文章で延々と続くから。読む方も訳す方も大変だという気はするけど、異様な感動が来る本ではありましたね。順番としては『ライオンの場所』、Many Dimensions。ただMany Dimensions はトールキンとの引っ掛かりがあるから、それにひっかけて訳せないかなと思って。Many Dimensions を読んでからトールキンを読むと、あれはやっぱしテーマをパクったんじゃないかという気がします(笑)。

9・佐々木喜善の実像 ――最後に佐々木喜善の話を。遠野まで行かれて日記を読まれたら、彼にあっては夢と現実が等価であったということですが。
稲生 喜善の日記は三段組で六百ページくらいあるんだけど、ともかく夢ばっかり見てるんだよね。日記と言い条、部分的には夢日記みたいなところがありますね。ヴィジョナリーと呼んであげたいんだけど、ちょっとね(笑)。ものによってはおもしろいです。かなり性的なものが強いけど、それにしてもおもしろい夢も含んでますね。喜善は夢によって人生を決めたりしているわけ、こういう夢を見たから悪いとか、こういう夢を見たから人生は上向くんだとかそういうことばっかり考えている。途中で反省するんだよね、こんな迷信ではいけないと。反省してその二週間後には、同じことの繰り返し、今日はこういう夢を見たからきっといいことあるにちがいない……驚くべき人だよね、それで村長やってたんだから。村長やっている時代でも、夢見が悪いから役所に行かないとか、そういう調子で。
それともう一つ今回はっきり確認できたのは、前からちょっとわかっていたんだけど、彼の文学者としての当時の客観的な地位と彼の意識。喜善はいいところまで行ってたんだよね、もう一歩だった。北原白秋とは後半まで付きあっていて、彼は「朱欒[ざむぼあ]」にも書いているし、もう一息でブレイクしないこともなかったんだけど、まあ才能がなかった。でも彼は間違いなく当時の新進作家ではあった。かなりあとまで文壇にガーンと出る夢を捨てていない。その辺がなんであんなにみごとに今までの佐々木喜善像から脱落したのか。調べればわかることだったのに、田舎の民話のおじさんみたいに言われちゃって、可哀想だよね。驚くべき捏造だと思う。
結局、『遠野』が出てから五年間くらいは、文壇に出たいと思うけどうまくいかなくて、同時に柳田の方はそっちをやれって言ってくるから、それに関して迷うわけ。最終的には文壇の夢も危うくなって、こっちでいこうと決意していくんですけれども、その途中では、愚痴ばっかり書いている。「昔話」をやれというけどこんなことをして生きて行くのはいややとか、柳田先生は言ってくるけどうんざりだとか、そういうことばっかり書いている。ようやくわりきるまでにだいぶかかってるんだよね。
それと『遠野』が出てから初めて近所のフォークロアを聞いているんだよね。彼はそんなに詳しくなかったんだよね、ちょっと驚きましたね。
――『遠野物語』崇拝にはすごいものがあって、民俗学者だけじゃなくて、文学者にも強固にある。
稲生 神話なんだよね。
――そういう意味では喜善は浮かばれないのかもしれないけど。
稲生 浮かばれないんだよ。大江健三郎も平成九年か十年に遠野に行って、講演をしている。それがパンフレットになっているんだけど、大江はね、今までの柳田の文章を褒めているのはおかしいと言うわけ。士大夫の漢文の文章ではおかしい。本来の常民の言葉があったと言うわけ。彼の頭の中で佐々木喜善というのは朴訥たる東北弁でしゃべった若者であって、それを柳田は伝えていないと言うわけで、そういうのってすごいなと。怖いですね、あそこまでいくと。僕が何を言っても無駄じゃないかと思うけど。
――ルサンチマンの多い人生を送ったんでしょうね、喜善は。
稲生 本当にたいへんな人生ですよね。後半は生活が苦しくなっていって、破産しちゃうから、逆に柳田にすがっていくわけですね。よけい哀れでね。『遠野』のために何回か柳田邸に行っているんだけど、そのことは日記にはあまりないんだよね。最初に水野葉舟と行ったときだけちょっと残っているんだけど、昔話という意識がないから単に行っただけだし、彼の日記の主な記述は、帰り道に水野葉舟とした猥談のこと。喜善は女癖が悪いんですよ、それで道を誤っていくんだと思うけど。性的な夢も多いし、そういう意味では問題がある人だと思うんだけれど、女の事件が終わって、落ち着いて気づいたら『遠野』の本を送ってきて、えらいハイカラな本やなと、それしか感想がなかったんですよね。それからしばらくして柳田の方から言ってきて……。
――水野葉舟の作品集の解題でお書きになるんですね。
稲生 ほかに言う場がないでしょ。たまたま今回本としては水野葉舟になるけれども、佐々木喜善というのが大きいですね。鎮魂というと大げさだけど、ちゃんとしてあげたいという気持があるよね。水野葉舟には「北の人」という喜善を書いたものと遠野紀行があって、これがおもしろいんですよ。柳田より先に行ってるんですが、これが唯一の当時の遠野の実像を伝える珍しいものなんですね。そこに出てくる喜善というのは、東京に行きたくて仕方がない。水野葉舟と別れるときも暗い顔して、いいなあお前は、と。これを読んでいただければ、ああそうかと納得していただけると思うんですよね。田舎の長男で、家を捨てられないから、ものすごく鬱屈してるんだけど。それでもものすごく野心を持ってて……。
――そういう人がいっぱいいたんだろうなと思ってしまいますね。
稲生 いっぱいいたんだろうね。田舎の素封家の息子でちょっと書いてはみたけれど、というのは大勢いたろうから、そういう意味では日記まで出る喜善は幸福かもしれないね。柳田とかすめなかったらそういうことにはならなかったと思うから。柳田は別にひどいやつとも思わないけどね、僕はね。柳田は妙な感受性を持った、ずいぶん二重性がある人ですね。僕の感じとしては柳田こそヴィジョナリー系であって、ただ彼は出せなかったから喜善を使ったという印象がある。人をテコにして自分を出した。柳田の見たものはよくわからないですよね。
(2001/5/18 於お茶の水・山ノ上ホテル)

[インタビュー補遺]
[補遺1]
賢治では「銀河鉄道の夜」はやはり好きな作品。たとえば、「注文の多い料理店」、「やまなし」はまったく別系列だけれども、どちらの系列も好き。御多分に洩れず、「貝の火」は恐かったけれど、魅かれた。筑摩版新全集で確定した「ペンネンネネムの伝記」(「グスコーブドリ」の前期形態)は、賢治の最高傑作かもしれないとも思う。「雁の童子」も好きだな。
詩では「小岩井農場」などの長篇に高校時代に傾斜しました。
小学生の頃、繰り返し読んだのは、賢治以外では、『西遊記』、それに白水社から出ていた『キュリー夫人伝』。偉人伝というのは結構好きなのかもしれない。人間には――自分にも可能性がある、と思えるからかな。

[補遺2]
 小学校終わりから中学の間は、井伏鱒二や内田百間にも熱心だった。井伏は今では読む気も起こらないけど、百間は大人になっても読み続けています。
中学、高校のあたりは人並みに安部公房なんかも読んでいた。気に入ったのは『石の眼』とか。大江はひとつふたつ読んでみて、これはいけないと見切りました。三島は大江に較べれば読んだけれど、結局肌が合わない。
ところで五、六年前に中島敦を全作品読み返したんですが、やはり楽しめた。「わが西遊記」とか、好きだね。

[補遺3]
奇妙なミステリと言えば、ピーター・ディキンソン。設定が変でしょ。決して好きというのではないけれど、びっくりした。『眠りと死は兄弟』とかね。それからミステリじゃないけど、アラン・ガーナーというのも奇妙な作家だよね。過去が現代に繰り返されるというようなファンタジーを最後に小説を書くのをやめちゃったんだけどね。

[補遺4]
あとじさるしかないと思わせるのは『懸香』。癩で病んでいる婦人がゴムを着ているという、ここまで醜悪下劣変態猟奇をきわめた作品は世界的にも存在しないのでは? 『酸漿』なども病気。
鏡花で不思議なのは、どうして長篇もうまいのかということ。『風流線』に『由縁の女』、とりわけ前者の畳みかけるようなドライヴ感はただ事ではない。
短篇では『伯爵の釵』『沼夫人』あたりが好き。