●影響を受ける● 2001年3月21日
谷澤森くんが石堂さんは横山さんの影響を受けているのでしょ、と言う。嗜好が似ているところがある、と話したときのことだ。それはないだろう、と答ると、でも尊敬しているのだから、影響を受けて似てきたんじゃないの、と重ねて言う。それはまったく受けないということは考えられないことだが、影響を受けたから似ているところができるわけではない、と。むしろ似ているもの、似ていながらはるかにすぐれているものからより多く影響を受けるのだ、と考え直してみる。もともと相容れないような発想からは学ぶことはあっても、影響を受けたという感じにはならないのではないか。もちろん影響を受けるという言葉の意味にもよるが。
文学の上で自分に最も影響を与えたのは誰か。誰から書くことを学んだのか、そのように言われてちょっと考えてみた。まったく見当がつかない。だいたいその誰かを一人どころか多数にしても特定できるものではないのではないか。小説も詩も……中学生の頃から書き始めたのだから、もはや何が何だかわからない。評論は、高校の頃、詩の評論から始めたのだから、複数の詩人の文体や書き方から影響を受けたのはまず間違いのないところだ。しかしそれは誰だろう。当時は「詩とは何か」というような本を片端から読んでいたが、もう誰が何を書いていたのかさえ忘れ果てている。大学生の頃には井上輝夫という詩人に師事し、詩の読み方をはじめさまざまなことを教わったのだが、影響を受けたとかいうこととは、どこかちがうような気がする。
いずれにせよ、詩人から影響を受けているのは確かで(詩の評論はもっぱら詩人が書く)、ということは、当然のことながら、ある時期までは、評論そのものが詩的であるということを目指すということにつながる。成功したかどうかはともかく、そういう意識ははっきりとあって、たぶん私の文章というのはそういう意識の中から形づくられた文体なのだろう。
だが、『幻想文学』の仕事というのは詩的たることと相容れない。あまりにも短い字数で内容の説明などをしなければならないからである。そこでたぶんいつしかそういうものを切り捨てるような感じになり、今のような形に落ち着いたのではないか。本当のところはよく分からないのだが。
まあ、書いている内容は今も昔もあまり変わってはおらず、自分の興味というのは非常に狭い範囲にあるのだなあ、と思う。世界の見方も偏っているし。そういうところから脱したいという思いがあり、一方でそれは自分とは縁がなくなるということだと思ったり。
こうした世界の見方は誰に教わったというのでもない、いつしか形作られてしまうもので、自分ではなかなかコントロールしがたい。こうなりたくてなったわけではない。影響を与えられた著作物などはたくさんあるだろうが、むしろ時代の雰囲気や生活環境が大きいのではないかと思う。書物は単にそれを追認してくれただけではないのかと思うこともある。
作家論では、「誰々の影響下に出発し……」などということがさも当然のことのように語られることがある。例えば神林長平について語るとき、ディックからの影響を語りたくなるような誘惑はすごく大きい。だが、それがどんなにインチキなことかは、こうして自分のことを少し思い返してみてもすぐにわかってしまう。影響関係――批評では、つい安易に語りたくなるようなそれは、実はさまざまな問題をはらんでいる。だからこそ文学研究者は影響関係を云々するときにきわめて慎重な態度を取る。文学のフィールドでは、誰もが誰かから何かしらの影響を受けてそこに立っている。だがそれは空間四次元的な関係の網の目であって、単純に空間化して図示することなど不可能なのだ。