Isidora’s Page
古雛の家

       ●亡月王のこと●           2001年12月22日

 亡月王は西村有望(のぞみ)さんの雅号で、アトリエOCTAで作った画集では私や東のエッセイもこの呼び名で統一したのだけれど、文章の中で「ぼうげつおう」と呼ぶのは私にはなんだか奇妙で、「さん」づけで「ぼうげつおうさん」などと呼べばさらに奇妙で、やはり西村さんと呼ぶほかあるまい、と思う。この小文は本当は「西村さんのこと」なのである。そう言えば、画家のためには「画伯」などという言葉もあって、「西村画伯」などという呼び名も考えられなくはないが、西村さんにはそんな気取った言葉はまったく似合わない。だいたい「画伯」など、現代ではほとんどからかいの言葉にしかならないのではないか。まあたとえどのようなニュアンスで使われるにせよ、西村さんは画伯とは呼ばれたくないだろう。とはいえ、相手がそう呼びたいのならば、それを強いてやめさせようとはせずに、聞かなかったふりをしてやりすごすにちがいない。それが西村的なやり方、敢えて言えば美学である。美学を持たぬことを美学とする。そういう機微のわかる人にはわかってもらえることだと思う。
 「亡月王」という号は「望」を分解したものだということは誰にでもすぐにわかることだろう。西村さんは「それに気付かない人が結構いるんですよ」と言うけれど、そんなことがあるだろうか、と私は思う。西村さんの言うことは、どうも私には信じられないことが多いのだ。当然のことのように懐疑をこめて「嘘でしょ」と言うと、西村さんは笑いながら「本当ですよ」と答えるので、ますます信じられない。そして西村さんの方でも、私が何か言えば「信じられませんねえ」と疑わしげな顔つきでのたもうのである。そういう、あたかも傷付けあうのに似た言葉のやり取りが私と西村さんの普通の会話であり、私たちの関係である。それにしても、本名の「望」を分解しただけで、それがいかにも西村さんの絵にふさわしいような名前になってしまうということが、とても不思議で、しかも西村さんらしいことと思う。
 まずは西村さんに最初に出会ったときの話。これは既に書いたことなのだけれど、少し詳しく繰り返す。
 『幻想文学』47号「怪談ニッポン!」で、巻頭の一書一会を小池真理子さん(たいへんに麗しい方である)にお願いし、渋谷でインタビューをさせてもらったあとのこと。東と打ち合わせで、話が表紙に及んだとき、「美蕾樹(ミラージュ)で個展を開くと案内状が来たでしょ、あの人の絵がいいんじゃないかと思うんだけど」と東が言う。私も漠然とあの人の絵がいいなあと思っていたので、「それでいこう、いま渋谷にいるんだから、美蕾樹に行こうよ」と、アポイントも何もなしに美蕾樹に押しかけたのである。今から思えば西村さんが画廊にいるとは限らなかったのだが、私はせっかちなので、考えつくとまず行動してしまうのだ。ともかくも運良く西村さんは美蕾樹にいて(彼は個展の時たいがい画廊にいるようだ)、会うことができたうえ、新作を描いてくれるということにもなったのだった。西村さんは私と同年齢なのだけれど、長年の『幻想文学』読者だったのである。そうして出来たのが47号の表紙画というわけである。
 西村さんに会う前に、西村さんのことをどのように想像したかは何も覚えていない。個展の案内をくれるくらいだから、きっと絵を使わせてくれるだろう(画廊に何か適当なものがあるにちがない)、とごく簡単に、軽く考えていた。西村さんが偏屈でドケチな人かもしれないなどという可能性は、かけらも考えていなかったようだ。実際に西村さんは人あたりが柔らかくて、偏屈という感じではまったくなかった(もちろんケチでもなく、そういうことを多く気にしないタイプの人である)。おつきあいしてみても、まあ変人かも知れないが、出版業界などにいる人が多かれ少なかれそうであるように変わっているというだけのことだと思う。
 私の西村さんについての第一印象は背の高い人という間の抜けたものだった。今でも、会えば、背が高いなあといちいち感心することになっている。そんなに頻繁に会うわけではないので、その背の高さの感覚をちょうど忘れたころに会うということなのだろう。こういう背の高い人があの絵を描いているのかと、アトリエでの姿を想像してみようとするが、うまくいかない。いつでもその背の高さがうまくいかないのだ。
 一方、西村さんが私や東をどう思ったのかはよくわからない。だが、まだそんなに親しくないころの私について西村さんが語ってくれたことがあって、それによると私は彼の絵をとても上手に褒めたのだそうである。「この絵のような文体で書かれた小説を読みたい」と。この発言についての記憶は完全にないから、そんな気の利いたことを言ったという自信はない。本当にこんなふうに言ったのだろうか? 多少の疑いが残る。しかしどうやらこの褒め言葉のおかげで西村さんは私に好感を持ってくれたようで、その結果として今のように親しく友人としてつきあうようになったと言えるだろう。
 西村さんの絵を見た人の中には、この人はきっとすごく変態的な人にちがいないとか、性差別的な人にちがいない、などと考える人もいるかもしれない。だが、それはあまりにも単純な見方だ。絵を文体で喩えられて嬉しがるような画家は、基本的にはオブジェとしてのものを描くことに興味があるわけではないだろう。彼がいつもこだわるのは「肌理」――鉛筆によって表れてくる表面の質感であって、描かれる世界そのものではない。誤解されることしばしばなので、彼は自ら何度も「肌理」を描いているのだということを明言している。むしろ妖怪や奇形的な女の肢体といったわかりやすい外見は、絵を見る人と自分との微かな接点なのだと。描かれているものは凡庸で、こんなものはありふれている、とも。もちろん作家が自分の作品に対して言った言葉など、「信じられない」と一蹴すべきなのだが、西村さんがあくまでも表面にこだわり続けていることは確かだ。
 最近作は旧作に比べてより黒々とした表面を持っていて、西村さんの言葉を借りれば「よりしつこく」なっているのを見ても、それは実感されるのである。このまま行けば真っ黒になってしまうのではと思うほどだが、描いている本人にも、どこまでいくのかということはどうやら内的な意志によっては決めがたいものらしく、個展などを開くことで、その期日に合わせて「完成である」と区切りをつけるものらしい。言葉を選びながらいつまでも原稿をひねくりまわす文筆家のようである。締切があって、ようやく諦めて作品を手放すのだ。
 描くものはそれならば、幾何学的なものでもいいのではないかという意見もあるだろうが、そこはやはり趣味というものが出る。怪奇幻想文学のファンで、澁澤・種村からモダンホラーまで本もたくさん読んでいるし、もちろんその方面の芸術にもたいへんに詳しい。そのような傾向が絵柄を決定する。その限りでは私と文学的趣味はおそらくはあまり一致しないが、それはどうでもいいことだ。
 西村さんと話していておもしろいことはいろいろあるが、ここではやはり絵に関するエピソードをひとつ紹介したい。
 「××は眼高手低だから……」とある小説家について批評したときのこと。西村さんが「眼高手低って否定的に言うけど、僕は目がすべてじゃないかと思うんだよね。きちんと見ることができなければ良いものはできない」と言う。眼高手低ってのはさあ、頭でっかちで技術がないっていう意味で、そういう意味じゃないだろ! と思う私。西村さんも実はその言葉の意味はわかっている。でも、このように混ぜっ返すのだ。たぶん、「眼高手低」という言葉そのものが、あるいはこの言葉をそのような意味に使ってしまうことが気に入らないのにちがいない。
 「目が大事」というのは彼の持論で、しばしば口にする。いったいに彼ほどの技術を持っている画家など、そうそういるものではない。女と妖怪ばかり描いているが、何を描いても、抜群のデッサン力を見せる。西村さんの絵の出来はかなり均質で、もちろん濃淡はあるけれども、それほどのばらつきはなくて、それは前近代の日本の職人画家にも似ている。腕利きの職人と眼高手低はまったく無縁だ。そのような「手低」とはかけ離れた人が、目が大事だというのはまことにもっともなことである。既に技術があるのなら、あとはもう何をどのように描くかという頭がそろえば良いだけなのだから。彼にはたぶん、技術がないということの現実がよくはわかっていない。
 なにしろ、西村さんは、「どうしてデッサンの狂った絵を描くんでしょうかね~」と言うような人なのである。「出来の悪い絵を描いてるってわからないのかなあ」。わかるわけはなかろう。自分が作り出したものは客観的に見ることが出来ないのが平凡な人間というものだ。だいたい西村さんにしてからが「自分の絵を客観的に見られるのか?」という問いに対しては、「無理」と答えるのである。どうしてほかの画家もそうでないと言えるだろう。
 私にしても、文を書いてからしばらく経って、それが活字になったものを読んでみると、ひどいもんだな、と思うことが良くある。しかし所詮「売文業」というしがない商売であって、こんなものでもそこそこの値段で買ってもらえるのなら、この程度でいいか、と私でも思ってしまう。書いた(描いた)ものがそこそこどころか結構な値段で売れたり、あるいはどこそこで評価されたりすれば、誰だってこれでいいのだ、と思うだろう。最も良く描けたときのことを記憶に留め、自分は絵がうまいと納得して、たくさん描けば描くほど、ときどき出来の悪いのを描いても気にしないようになる。文章でも同じことだが。
 西村さんは誰に頼まれて描いているわけではないから、自分を律するのはただ自分だけだ。自分が良いと思えばそれで完結し、まだまだだと思えば終わらない。精進の道(なんて西村さんに似合わない言葉!)は果てしなく続くのだ。何かにつけて「目だ」というのも、しごく当然のことではある。
 だが、実はこんな観念的な話ではない目の話もある。西村さんは、絵だの字だの描くことにかけては、下手だというのもバカらしいような私を眼の前にして、「絵を描くなんて、簡単ですよ」と言う。「描こうとする対象にグリッドを引くでしょ、それをすごく細かくしていって、対応する点を紙の上に移せばいいんです。それだけのことだから、大事なのは目だけなんですよ。手なんて、ほら」とひらひらと自分の手を振って見せる。「普通の人と変わらないでしょ。手の器用さなんてものはそんなに違わないものですよ、僕の手が特別なわけじゃない」。
 まったくもう! 手がそんなに変わらないというのなら、目だって外見的に特に変わるわけではあるまい。手よりも目の方がはるかに多様性には乏しかろう。だいたい対応する点を移すというのは、口で言うほど容易なことではまったくない。「手の器用さ」だって生まれつき違うだろう。手そのものが違うというのではなくて、手と脳を結んでいる神経が、たぶん違う。だからいかにも器用そうな手が不器用だったり、その逆のことが起きる。脳などは鍛えられるから、子供の頃は不器用でも、大人になれば多少は器用にもなるが、それにも限界というものがあって、やはり、その意味では西村さんの手は、特別な手なのだ。
 どうせ「手なんか……」というのもいつもの冗談ではあるだろう。だが同時に、それを既に持って使いこなしている者には、その本当の価値がわからないがゆえの発言でもあるのだと思う。神林さんや横山さんを見ていてもそう思うことがときどきある。彼らにとって自然なことが、人にとっては驚異である場合があるということだ。そして本人にもそれが特異であることは認識できるし、当然そのことに意識的でもあるが、それを他者と同じように驚異と感じることは決して出来ないのである。
 西村さんの描く行為は、驚異そのものである。彼の絵の凄さは、印刷されたものではきちんとは伝わらない。時に実物よりも印刷されたものの方が感じの良くなる絵などというものもあるが、西村さんの絵では決してそんなことはない。実物を見ていなければ、わからない精密さとそれに伴う精気のようなものがそこにはある。その密度まで高めていく筆力も気力も並ではない。本人はしかしその行為を退屈だと言う。そして絵を描くなんて、何程のこともないと言ってのけるのだ。
 もちろんこれも半分は嘘。何程のこともないけれど、誰にでも出来ることをたらたらとやっているわけでもない。このあたりの機微を伝えようと思うと、気力が萎えるのだが、西村さんの絵に向かう姿勢は、押さず引かずなお退かず、というようなものだと言ってみようか。あるいは日日是好日と言いながらも戦いに赴くようなものだとも言えようか。
 もちろんこんなことを私が言っているのを知れば(西村さんはパソコンをやらない)、「そんなんじゃないって」と苦笑いするだろうが。