●インターネットと本● 2002年10月15日
先日、『幻想文学』の表紙画を持ってデザイナーの伊勢さんの仕事場に伺うと、某出版社の編集者の方がいらして、伊勢さんが最終稿を作り上げてくださっているあいだ、ひとしきり話に花が咲いた。初対面の編集者との話はほぼ百パーセント本の話になる。何が売れるか売れないか。そして意外なものが売れるよね、と。「サイード『戦争とプロパガンダ』が売れたんでちょっと驚いた。だってあれだけネットで流れていたのに。『100人の村』も、本にしたらどうかな、とちょっと考えないでもなかったけど、あそこまでネットでポピュラーになってたらやっぱりだめだよなって……」と編集氏。そう、ネットでポピュラーであるとしても、それはそのままネット外でもポピュラーであるとは限らない。書籍を求める人と、ネットの愛好者とは異なるのではないか。話はそんなふうに流れていった。さて、東京大学社会情報研究所編『日本人の情報行動2000』(東京大学出版会)という統計資料がある。若干古いが、この資料でネットと出版に関わる事項についてざっと見てみよう。
これは13歳から69歳までの統計である。
一日の行動時間のうち、その占める割合を見ると、本を読む6.8分、雑誌を読む3.2分、マンガを読む3.0分となっている。行為者率は順に8.8%.、5.7%.、3.8%。主行動行為者による時間は77.2分、56.0分、77.5分である。5年前と比較すると、本・雑誌の行為者はそれぞれ2%分も減少している。これは出版界の規模を考えると結構大きい数字ではないか。ただし時間的には本が若干減った程度で、読者の質にはさほどの変化はないもののように見受けられる。もっともマンガは20分近くも増えている。いったいどこまで有意な数字なのか、1995年と2000年の比較だけでは実は心許ないものであるのに違いない。いずれにせよ、およそ世の中の9割以上の人は本を読まないのである。また、その中で文学にこだわる人などと言ったら圧倒的少数派であろう。ということが、単純な統計調査でもわかる。
インターネットについては、利用率24.4%、非利用で利用希望無しが33.8%である。(特に60代は非利用で利用希望無しが77.4%にものぼる。)行為者率で見ると9.8%。この落差をどのように判断したらいいのか、素人の私には分らないが、とりあえず、インターネットを利用する人は全体の四分の一と見よう。これはすごい数字だ。もちろん恐らくは主要なユーザーを表す9.8という数字を見ても書籍や雑誌を越えている。急速に広まったことは紛れもない事実であり、たとえ四分の三はこれに関わらないとしても、このようなインターネットの普及が人間の意識に影響を及ぼさないわけがない。
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この統計ではネットと本の関係はわからないが、書籍を読む層はネットとは重ならないのではないかという推測は、実用書の類を除けば主要な読者層は60歳以上なのだろうという出版社側の感触とも響きあうものがある。つまり、60代のネット利用率はとても低い。また、ネットで情報を手に入れて満足でき、それ以上先へと進まないのは、若ければ若いほどリスクに対して無防備(無思慮)であるということと重なることのように思われる。すなわち、ある程度の年齢では、ネットの情報の流動性やいい加減さを理解しているので、ネット外にも情報を求め、結果として書籍を求める行動に出るかもしれない。しかし若い人はおおむねそこで止まる。
この統計資料は、私個人の興味と重ならないため、およそ役に立たない情報で、説得力も何もあったものではないが、とにかく私はネットのオーディエンスが書籍の購買層とは大きくずれる、あるいは小さくしか重ならないのではないかと思っている。もしもそうでなければ、ネット内書店がもっと繁盛してもよさそうだ。
また、以前にも書いたと思うが、ネット内でコミュニケーションが取れるとしても200人くらいの規模より大きくはならないものらしい。おそらくは人間の感性の限界ということなのだろう。
ネットの影響力は大きくて小さい。この中では権力が分散している。しかもテレビのような強制力がない(たとえ24時間ただで使えたとしても、一方的にメッセージを発するということにはなっていない)。結局、積極的に動かなければ、興味のあるところにはたどりつけない。ネットはむしろ自己肯定の道具であり(同じような仲間がどこかにいるから)、自我を肥大させる装置かもしれず(似た者の中に入っていけば、自分を認めてもらえるかもしれない)、ということはつまり、追認的な機能(その人の性格の傾斜を強めるなど)は強いとしても、変革作用は小さい。もちろん、テレビとは異なり、非能動的な人間をも引きずり込むほどの力も持っていない。
しかし追認機能だけでも人間の愚かな本性をあらわにするのには充分で、その影響力の強さはバカには出来ない。ただし、それが広範囲のものであるというのは錯覚でしかないと私は思う。
ネットに接していると、みんながそうしていると思いがちだ。しかし、そんなことはまったくない。16歳以上の日本人の四分の三はネットと無関係なのである。だから、ネット内でも評判になっている、などというのは、一般世間ではまだまだ知られる余地があるということを意味するようにも思われる。
ネットに落ちているコンテンツと同じ本を作っても、売れるわけである。というよりも、まだ今の時期は、ネット外の人間に対して、ネット内のコンテンツを本の形で売るという商売が成り立つということだ。
だらだらとつまらぬことを書いてきたが、私はネットがいろいろな意味でポピュラリティを持っているということを信用していないと言いたいのである。小さなコミュニティを過大視するのも虚しいし、ネット内の考え方がスタンダードだと錯覚するのも愚かしい。やがてはそんな時代になるという可能性もあるものの、結局ネットはネットで、一種のごみ溜めであり続けるのではないかと思うのである。
これを書いてから7年が過ぎ、ネットの利用率は飛躍的に上がり、ネット書店もそれなりにシェアを伸ばしてきた。7割がネットと無関係とは言えなくなった。新聞の危機感は強い。書籍については、今もまだネットのコンテンツを本にすることが商売として成立しているものの、情報的な書物はネットに食われたところも大きいだろう。しかし、大勢は変わっていないと思う。(2010-4-10)