●お受験● 2004年2月6日
新聞の埼玉版を見ていたら、県内で最近のしてきた中高一貫の受験校が、中学生のための寮を造ると書いてあった。信じられないような話だが、目算があるからそんなことをするのだろう。高校の寮というならまだ理解できるが、中学生だなんて。そんなところに子供を預ける親たちは、いったい何と引き換えなら、貴重な子供との時間を切り捨てることができるのだろうか。おそらくは大学受験だろう。私には、受験なんて下らないことのために中学生の子供を手放すなんて到底考えられない。ちなみにその私立は、今や東大に行く生徒も激減した浦和高校のすべり止めの学校だ。武蔵開成といったレヴェルではさらさらなく、早慶にはたくさん入っているが、旧帝大はちょぼちょぼという程度。もちろんこれから受験校として名を馳せるべく努力しようというのだろうが、既にある名声と実績にはかなわないから、この少子化の時代に優秀な子がわざわざ来るわけはない。大した脳味噌を持たないか、あるいは能力はあってもやる気に欠けている子を集めて、鍛えるわけだろう。なんとまあ無残な。
次男はやはり中学もある私立高校に通っているが、高校から入ってくる人たちと、中学から入る人たちとではだいぶ開きがあるようだ。中学のお母さんに言わせれば、とてもではないが地元の公立中学なんかにやれないというのだが……なぜ? よくわからないので、よくわからないままにするが、まあ経済状態が違うことは確かなようだ。うちでは長男は公立高校なので、たった独り私立へやっているだけだが、それでもう気息奄々たる状況である。とてもじゃないが二人とも私立高校なんて無理。まして中学からなんて。次男の通う中学では、修学旅行はハワイである。ちなみに高校の修学旅行は京都奈良。公立だってもうちょっと遠いところへ行くよ。だってこの埼玉の中学の修学旅行は絶対的に京都奈良なんだから。それはいいとして、中学生でハワイというのはやはり私立ならではだろう。そんなものに私はお金を出したくないが、みんな平気で出している(みたいだ)。
〔これは余談だが、京都の修学旅行の中に京都大学の特別講義というオプション(たぶん)があるという。京大なんて、去年は一人しか受かってないのに、そんな大学の見学に行ってどうするんだ? 受験意識を高めようということらしいが、ほとんどの生徒には関係ない、そんな企画を立てて何が楽しいのか。学校にとっては受験者獲得のための宣伝だろうけど、生徒にとっては何の意味もない。もしも強制だったら私は怒る。断固抗議する。〕
とにかく、中学生ぐらいからそんなにもお金をかけて私立にやらなくちゃならないなら、まったく大した脳味噌をもっちゃいないということは、確実である。
受験勉強などは一年もすれば充分ではないか。中学から寮に入れるなんてバカなことをするくらいなら、浪人させた方がマシだ。高校三年間まで普通の生活をし、東大でも何処でも一年間勉強して入れば良いではないか。一年勉強したくらいでは入れないって? ならもともと東大あたりへ無理していくことはないのである。受験でためされるのはひたすら記憶力なのだから。東大なんかは理工でも本試験科目に古文がある。まったく意味がない。とにかく記憶力が良いかどうか、与えた課題をこなせる気力があるかが試されるのだ。そして、東大に行った後も、国家公務員・法律家・会計士・医師などになろうとすれば、またひたすら記憶力が要請される。記憶力でひっかかっているようでは、所詮大したものにはなれないだろう。
理科系でも、科学者としてモノになるような優秀な頭脳があれば、別枠で取ってしまうと聞いている。(京大の数学などは異様な難問である。それさえ解ければあとはどうでもいいというスタンス。ほかの大学にもそういう枠はあるようだ。)そうでもないなら、どこに行ったってそんなに変わるものでもない。中学からそんなにお金をかけられるんなら、早慶クラスの私立大学だっていいわけだよね。私立と決めてしまえば、それこそ一年で充分ではないか。
だいたい受験なんぞ所詮水物である。ものすごく頭が良くて努力家で、でも本番に滅法弱い上がり症の人もいるし(本当にいる!)、試験当日体調が悪かったりもするわけだ。中学から寮に入って勉強してきて、実際にそんな目に遭ったら、六年もかけた目標がそれなわけだから、救われない感じがする。いや、子供は案外親元を離れて楽しい学校生活を送れるかもしれないけど、親の方はそれで満足できるんだろうか。
わが家も今、高三の長男の受験シーズン。七月から勉強を始めたので、難しい応用問題の習熟が足りず、志望校には8割方入れない。子供自身が駄目元の気分で受験しているから親だって気楽なものだ。でも、中学から親元を離れて受験校に入っていたら、こんなにのんびりとした心持ちではとてもいられないのではあるまいか。子供にも親にも多大なプレッシャーがかかるだろう。そしてそのために逆にすべってしまうということもあるかもしれない。それでも寮に入れたい親がいるのだ。まったく不思議なことだ。
受験勉強歴六ヶ月の長男にこの話題を振ってみた。
「中学から寮に入って、飛び級でハーバード大学の法学部とかMITに行くんならかっこいい」
あー、それはかっこいいかも。親は13才から子供はほぼ手放してしまうというわけね。でも、いくらかっこよくても、私はイヤだな。中学生だってまだまだ可愛い。手元において他愛ないおしゃべりをしたりして楽しみたいではないか。ハ大やMITには大学院から行ったって遅くはない!
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留学帰りの知人によると、外交官など、官僚の子らのあいだでは今は、海外の高校・大学に入るのがトレンドになっているそうな。その方がこの世界で生き抜くのに有利なのだろう、きっと。でも何処に行っても差別はあるしなあ。とっても優秀なら、高校から海外へ出ようと大学から行こうと、大学院で行こうと、関係ないしねえ。何が子供にとって良いことなのかなんてわからない。大金を手に入れるだけなら、クズ屋にだってその可能性はある(とクズ屋の娘である私はそう思う)。良い職業口と言っても、可能性はさまざまで、学校にだけ規定されるものでもあるまい。
これはまた聞きの話だが、お受験で入るような小学校では、特に頑張っている風でもなく勉強の出来る子に対して陰湿ないじめをやらかす子供がいるらしい。小さな子供は親の価値観をそのまま反映しているから、「勉強もしないのに僕より出来て憎らしい」というのは、親の考えそのままなんだろうと思われる。
こういう親は、頭の出来が違う人間がいるということをよく理解していないのだ。特別なことをしなくても頭が良い子は頭が良いのだ。記憶力はもともと抜群に良くて、苦労しなくても何でも覚えられてしまうし、頭の回転も早い。そういう、もとが優秀な人間と、自分の凡庸な子供を比べたり、競わせたりしようということが間違いなのである。そもそも子供をそんなつまらぬことでいじめに走る最低な人間に育ててどうするつもりなんだろうか。人体実験を平気でする医者とか国民のことなんか見下すだけの官僚にしたいんだろうね、きっと。
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話はがらっと変わるが、埼玉県立川越図書館が廃館になり、無料で本を配っているというので、二人の子供を連れて早速出かけた。ちょうどセンター試験の一週間前の日曜日。受験生の長男も、うちには全部そろっていない《ミス・ビアンカ》を全巻ゲットすると言いながら、喜んでついてくる。結局、全巻はなかったけれど、何冊かは手に入れることができた。ほんと、児童書は宝の山のようだった。でも持てる冊数には限りがあるので、三人で130冊ばかりもらって帰ってきた。ちなみに次男は『幻魔大戦』とエラリー・クイーンと鉄道模型の本。長男は児童書と科学書(古くて役に立たないものが多い)、私は神林長平の古い本と、資料関係のものをいろいろと貰ってきた。
で、本をもらって帰ってきて、長男はしばらく読書タイムに入ってしまった。受験生のくせに、パディントンを読んでるなよ……。そして、「とにかく読むのが遅くなった。理解力が悪くなっている。受験勉強ばかりしているせいで確実に頭が悪くなっている」などと生意気な口を叩く。
まあ、受験勉強というものは特殊、というか、非常に特化されたものではあろう。とっても頭の良い子は別ろうだけど、やや良、並、それ以下の子供にとっては、脳の中に別の回路を作る感じなんじゃないかという気がする。そんなもののために、やっぱり中学から寮になんか入れたくない。そんな狭い価値観の中に、幼い(今の子は中学生でも非常に幼い。三年生でも私の頃の小学校高学年という感じ)子を閉じこめてしまうのは、やっぱりあほらしい。
*年末、次男の高校で、三者もしくは二者面談というものがあり、私は行きたくなかったので、子供に一任した。担任に、「今のままだと選抜クラスから落ちそうだが……まあお前は気にしないよな、そのことで騒ぐやつがいるが、お前は全然気にしていないよな」と言われたそうな。なんというか……あんまりそんな風でも困るんだけど。仕方ないのかな、てるちゃんだから。