Isidora’s Page
古雛の家

 ●物理の問題●           2004年2月7日 

 センター試験が終わった。例年は問題を見て、数学や国語が解けるかどうかとかやるだけなのだが、今年は長男が受験なので、いつもとは何だか違う。息子よりも点数が低いと厭なので解くのはやめる。
 センター試験については、次男の高校の校長が、センター対策を誤って合格率が落ちた、と盛んに言っていたので、センター試験というのはそんなに大変なのかと思っていたが、どうやら違うようだ。つまり国立合格者が少ないことへの、ただの言いわけだったらしい。代ゼミだの駿台だのの合格追跡調査というものを見ると、センター試験がそれほど大きく物を言っているようにはとても思われない。(ちなみに、センター試験の結果が、高校から予備校に流れることについての記事が、さも大事であるかのように東京新聞に書かれていたのだが―まあ謝礼をもらっちゃマズイだろうが―、予備校はそういう集計機能を請け負っているのだから、当然だろう。子供らは代ゼミのリストなどを見て、出願を最終的に決めていくのであるから。)例えば、たぶん日本でいちばん入るのがたいへんだろう東大医学部で、センター試験の得点率が95%あっても、落ちる人は落ちている。そして80%代(平均は65%)でも、受かる人は受かるのである。つまり二次試験の結果次第なのだ。センター試験が重要な地方の国立大学もあるようだが、それでも、去年の合否追跡を見ている限りでは、決定的に重要だというわけではない。
 長男のセンター試験の結果はかなり良かったが、塾では、あっさり「関係ないから」と言われてしまった。相変わらず受からない可能性の方が高い。まあそれはもちろん子供もよくわかっていることなんだけれど、それでもセンターの自己採点が終わった一日二日はやや狂躁状態で、受験科目ではないセンターの問題などを見て、すごい問題だと爆笑したりしている。
 笑いを取ったのは物理1Aの問題である。いや、確かにこれはすごい。というわけで、話のネタに書いてみる。

人が体内で消費するエネルギーは、aエネルギーとして摂取され、bエネルギーとして体外に排出されている。
 a、bの組み合わせとして最も適当なものを一つ選べ。
1 電気 化学   2 電気 熱   3 電気 光
4 化学 電気   5 化学 熱   6 化学 光

 正解は言うまでもなく5番。電気として摂取されて化学として出るというのもひどく不気味だけど、きわめつけは3番だろう。電気エネルギーとして摂取されて光エネルギーとして排出されるって、お前は蛍光灯か。こんな問題を大学の物理学の教師が作っているのかと思うと、情けなくて涙が出る。
 もう一つ大受けに受けたのが、摩擦に関する問題。

すべり台で物をすべらせたとき、摩擦があるために、下に着いたときの物の運動エネルギーは最初の位置エネルギーよりも小さい。その差は主にどのような種類のエネルギーに変化したと考えられるか。
1 光   2 化学   3 原子力   4 電気   5 音   6 熱

 この問題は人間のエネルギーに関するものよりはまだ普通である。電気、音、熱など、多少は考慮の余地があるから。だが、3の原子力っていうのはいったい何? 手を擦りあわせると原子力エネルギーが起きまくりっ! みたいな?
 いくら非常識だって、これを選ぶ生徒はいないだろう。なぜ、このような選択肢がないといけないのか。なぜ、5つではいけないのだろうか。
 ほかにも、文字の変換によって暗号を作りましょう、とか、電球・電池・スイッチで作るいくつかの回路のうち、指定通りに電球がつくものはどれでしょう、とか、凸面鏡に映るのはどの姿でしょう、とか、レンズと焦点の関係で正しいのはどれ、など、高校受験でもこんな問題は出ないのでは? と思わせるようなものが多い。
 物理1Aというのは、ほとんどの子供が受験しない(全体の0.5%以下)、つまり、それを受験科目にしてもいいよ、と言っている大学がほとんどない科目である。(ちなみにセンターのAがつく科目というのは基本的にそう。私には何のためにあるのかよくわからない。)一種の理科的常識問題というか、物理といえば物理かもね、というような感じでしかない。それでも平均点が65ぐらいなのだから、何をかいわんやではあるが。
 それにしても、こういう問題をひねり出すセンター試験の意義というものがよくわからない。たとえ、この問題で100点を取れたからと言って、大学生に見合う物理の力があるとは到底見なせない。だからほとんどの大学が受験科目に指定していないのだが、ならば、なぜこんなものが設定されているのか? 無駄の極みである。
 ついでに言えば、センターの国語の問題なども、私には、なかなか解きがたいものがある。長男は現代国語は全問正解だったが、はっきり言って私には無理だ。センター対策というのはこのあたりのことかもしれない。一種のパターン認識のようなものなのだろう。長男は「センター問題は脊髄反射で解く」と言っている。
 ちなみに、駿台の疑似問の方は私もやってみたのだが、さすがに予備校が作っているものなので出来が悪く、作品の読み間違いが見受けられた。つまり、根本的に全部不正解という場合がある。何というか、こういう問題ばかりやっていたら、やっぱり文学能力的にはどうにもならない馬鹿になりそうである。だいたい、国語で文学の解釈をやるのが間違っているのである……しかしこれはここで私がわめいてもどうにもならない。現行の新指導要領では、討論、論述などを重視するとなっているもののようだが、その成果がどれだけあるかに期待すべきか。やっぱり虚しいか……。
 さて、新指導要領では、高校で、理科総合A・Bという新たな科目が設けられている。今でもセンター試験には総合理科というのがあるけれども、あまりにもものを知らない子供たちに科学の常識を教えようという試みらしい。どうせ、全体の知力は落ちているのだから、常識だけでも身に付けてくれ、ということなのか。実際、文系で物理が苦手という人はすごく多いから、こういう簡単なものとほかに何か理科一分野を履修すればいいというのはずいぶん楽なことだ。でもこれだと、中学でやったこととほとんど変わらないのでは……と思っていたら、中学の課程もごっそり削られて高校に先送りされているのだった。
 ともかく、もともとの理科四教科の履修も満足に出来ないようなら、大学なんかへ行く必要はないだろう。でもそうすると、就職口のない高卒生が山のように出現してしまい、Uさんの言うように、暴動になってしまうかもね。とりあえず、何でもいいから、子供は大学へ入れておけ、ということか。
                  
 これは藪下くんに聞いた話。
 前にいた設計事務所では、所員に積算士とか一級建築士の資格を取らせようとしたが、ちっとも合格しなくて、無駄なのでやめてしまった……。
 彼らの中には一流と言われる大学の建築科を出ているのもいたらしいが、どうやらどんな大学を出ていようが、そんなことは関係がないらしい。若い子は、どうもモチヴェーションを作り出せないしらい。やる気を自ら起こして努力するということが出来ないもののようだ。藪下くんは、ちょっとやる気になればできることなのに……と言う。
 藪下くんは、あんまり眠らなくても平気な無理のきく肉体を持っているし、刻苦の人だから、多少は割り引いて聞くべきだとは思うけど(つまり、誰でも彼のように生きられるわけではない)、こんなでは、どんな有名大学を出たからと言っても仕方がない。それこそ、前項のように、中学から寮に入れるなんて愚の骨頂。とりあえず行っておく大学などというものも、やっぱり無駄以外のなにものでもない。大学全入時代とは言うけれど、しょうもない大学はつぶした方がいいのかも。でも、そういう大学で友人たちが教師をしていたりして……ああ。