●間違い日本語● 2004年2月7日
「自らの手を汚すこともいとわない男として、組の者たちからも人望の厚い人物だ」
この一文を読んで、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか。長男にちょっと聞いてみたところ、「始末しろ、と命令するだけじゃなくて、いざとなったら自らも手を下して動じないクールなヤクザで、子分たちからも〈かっこいい〉と思われている兄貴分」(爆笑)。
ちなみにこの組の名前は「蠍組」で、土建業が主。だが残念なことにヤクザ屋さんの話ではない。ピラミッド建設現場で働く組の話なのだ。(出典は米山裕子訳によるキャサリン・ロバーツ『セヌとレッドのピラミッド』)。
「自らの手を汚す」は、「自ら額に汗して働く」とか「自分も手にマメを作る」といった言葉でなければならない。労働を惜しまないとdirty なことに直接関わるというのとでは、まるっきり意味が違うが、その慣用的な言い方を知らないと、とんでもないことになってしまう。この訳者は、日本語を書きながら、違和感を感じなかったのだろうか?
日本語が間違っている、としか言いようのないことはしばしばあって、最近見つけた例は服部真澄『GMO(遺伝子組換作物)』。主人公の語りには、実は時間的落差があることを小説の中で感じさせるために、冒頭とラストに同じ一文が配してある。
ぼくは、気がつくと、ある日のことを始終、考えている。
問い 上の文の間違いを見つけなさい。
答え 「気がつくと」と「始終」とは一緒に使ってはならない。
かたはらいたい、というのは、こういう小説を読んだときに感じる気持だろう(はたから見ていてはらはらする。気の毒に思う)。さらにその小説についての記事が新聞などに載っていて、やたらに褒めてあるのを読んだりするときもかたはらいたいわけだ(そばで見ていて苦々しく思う。はたから見ていて滑稽に感じる。笑止である)。
小説の内容はどうということもない。おもしろい題材なんだから、もうちょっとうまく書けないかとは思うが、その程度のものである。たぶん、遺伝子組換食品に関しては、ドキュメントの方が小説よりもよほど恐くておもしろかろう。だが、そんなことはどうでもよい。こういう文章を平気で書く作家がいるということにも驚くわけではない。誰だって拙い文章を書いてしまって、それを「イケテル」と勘違いすることはよくある。しかし、それを編集者も校閲も訂正しないとは! 驚くというよりも呆れ返ってしまう。弱小零細の出版社で、金蔓に逃げられたら困るというわけでもあるまい。新潮社なんだから……。文芸書を出してます、なんて恥ずかしくて言えませんよねえ。
こういう日本語の間違いを羅列した「間違い指摘本」を読むと、本当に笑える。時には呆れてものも言えなくなることがある。そのような本の一つによると、とある国語辞典に「別れ目=別れの時」と書いてあったというが、ほんまかいな。「分れ目」との混同なんだろうけど……。
「仰げば尊し」の「今こそ別れめ」の意味は、今、お別れしましょう、ということ。最後の「め」は助動詞「む」の活用形で、「こそ」が係るので已然形になっている。辞典はともかく、「別れ目」と誤解している人も多いのではないだろうか。
歌の文句って分らないことが多い。かく言う私も子供のころ、「カラス、なぜなくの、カラスは山に……」という歌「七つの子」で、「山の古巣」というのがなんだかわからず、「フールス」という場所が山にはある、と、高校生になるまでずっと信じてきたほどなのだ。
こういう誤解は跡を絶たず、最近発見したものでは、柳田の言う「妹(いも)の力」を、妹(いもうと)の力と誤解しているというものがあった。「妹」はせいぜい姉妹どまりで、恋人や妻としての妹、女としての妹には思い及ばぬらしい……というか、この「妹の力」ということば自体が特殊な意味を持っているんだから、ちゃんと調べて理解してから使えよ、と思うのだが、間違った解釈が平気でなされている。以前はそんなものは、個人の無知で通ったけれど、今は堂々とネットに乗って流通してしまうのが恐ろしい。そうやって、意味が変わっていけばいい、というのとは違うでしょ、これは。だって「柳田が提唱した概念で」みたいな注記はついて回るわけだから。
声に出して読みたい日本語をはじめとして、日本語の素晴らしさを見直そうというのがブームになっているかの如くだけれど、現実的には日本語の豊かさはなおざりにされて久しく、いっかな日本語尊重のきざしは見えない。貧困な語彙と平板な文体ばかりが目につく。凝ろうしても、言葉を使いこなせない。そして、私自身の使う言葉も日々痩せ細っているようにも思える。『ファンタジー・ブックガイド』では、なるべく難しい言葉を使わないようにしたし(それでも長男にはわからない単語があると言われた)、ネットで書くときも、ゆるい言葉遣いにはなる。
もっと佶屈した言葉で語っても良いのかもしれぬと思う今日この頃である。今も充分になめらかじゃないじゃんとは言わないでねー。