●受験日記● 2004年3月22日
長男は東工大前期日程を受験し、第一志望の生命理工学部に合格した。本人も含め、大方の予想を裏切って合格してしまったのであり、受かるべくして受かったというようなものではまったくない。どんな具合だったのか、つらつらと書いてみるが、受験生の参考になるとはあまり思えない。まあ、受験というのは個別的なもので、合格体験記などというものはおおよそ参考になんかならないものだが。長男が通っていたのは県立の中堅校。というのはつまり、東大京大には誰も入らず、東工大は三年前に一人入ったなあ、というようなレヴェルの高校である。国立理系というのは圧倒的少数派で、私立文系が多数を占める。たぶん、私の世代だったら、もうちょっとレヴェルが高かったのではないかと思うが、今はかなり凋落した感じ。もっとも、入るまではそんなことは考えもせず、長男の学力レヴェルにおおむね見合った学校を選んだつもりだった。なにしろ内申点が低いし、ここを選んだときも、教師からは「知りませんよ」的なことを言われたのである。だが、現実は違った。いろいろな面で長男は疎外感を味わうことになってしまった。
そういうレヴェルの、しかも自由放任で生徒の自主性に任せるというような高校に通った長男は普段からろくに勉強をしていない。Z会などは半年で挫折。英語の予習だけはしていて、感心だと思っていたのだが……。
長男「(プリントの翻訳を見せながら)この訳で間違っているところはない?」
私「ここのところは構文を読み間違えているよ。こういうパターンはうんたらかんたら(勉強していると思うので、英文の読み方のコツを一生懸命説明する私)。偉いね、こんなに真面目に対訳したりして」
長男「いやあ、これはコピーして売るんだよ」
私「へ?」
長男「先生が訳をくれないから、買うやつがきっといるよ」
私「えーっ?! こんなもの、売れるのか?」
長男「みんなたくさんバイトしてて金持ちだから。一部100円なら絶対に売れる」
というわけで、私の仕事用のコピー機を使い、もとではゼロでしっかり稼いだ長男であった。売る方も売る方だが、買う方も買う方だ。
二年の冬になると、数学ができない、塾に行く、と言い出したので、塾に入ることになった。自転車で通えるところにある(というか家からいちばん近い)小さな個人経営の塾だが、それは私が選んだ。北浦和の駅前の古書店の上に目立つ看板があって、「数学の楽しさを教えます」というようなことが書いてあり、何となく気になっていたのである。で、長男と一緒にそこに行ってみた。何とも変な塾だっ経営者は私と同世代で、教師としてそれなりの理念がある模様。
こんなところで宣伝しても無意味だと思うが、一応お世話になったので宣伝しておく。塾の名前は「ので数学教室」。なぜか「まめの木」という二つ名がある。名前とはうらはらに小中学生向けの塾ではなく、大学受験のための塾。こんな名前では、普通、数学だけだと思うだろうが、数学だけではなく、全ての科目があり、いろいろな予備校で教えている先生が、数人から10人以下の小規模なクラスで教えるという方式。時には生徒が一人とか二人になってしまうこともある。長男が、東工大向け数学をやって、と要望を出したら、数学のいちばん難しいクラスはそれになってしまった。良く言えばフレキシブル、悪く言えばデタラメである。ある程度以上のコマ数を取ると、あとは何コマ取ってもタダになる。かなりルーズである。浪人生やたくさん塾で勉強したい人は、河合とか駿台などよりはるかにお得。また、ごく一部の苦手な科目を何とかしたい人にも、コストパフォーマンスは高い。ただし、手っ取り早く暗記するだけの方法を教えるタイプの塾ではないので、効率は悪い。その一方で、双方向式でいくらでも質問できるし、添削なども丁寧にやってくれる。長男は英語は得意な方だが、細かい読みがダメだとよく直されていた。全体として、基礎的なことは自分でちゃんとできる難関校志望の人向け、またはゆっくり理解する人向けの塾だと思う。
長男は、週に一度のこの塾通い以外は、結局ろくな勉強をせず三年生になってしまった。学校での成績はいまひとつで、入試の時には一番で入ったのが、今や、だいたい真ん中辺より上ぐらいという感じ。上にも述べたようなレヴェルの学校で、そんな成績で、普通は東工大を受けようとはしないだろう。しかし、受験のための勉強と定期テストとは違う。長男はわからないところはない、数学や物理も出来なくはないというので、私はごく素朴に楽観視していた。で、三年の春休みから一年間必死で勉強すればどこにでも入れる、だから勉強しろ、とずっと言ってきた。
だが、そんなことさえ、思うようにはいかなかった。結局、本格的な受験勉強を始めたのは七月から。長男は放送部でシナリオを書いたり、映像編集をしたりしていて、NHKコンクールに出すための映像作品の製作が六月の締め切りぎりぎりまでかかってしまったからだ。もっとも私も、まったくしょうがないなあとか言いながら、出来具合を見てやったりしていたのだから、子供を責めるわけにもいかない。子供に甘い親バカと言われても、その通りでございますと頭を垂れるのみである。
長男はわがままだが、その裏返しとして、自分のことはたいてい何でも自分でやる。進路に関しても、いろいろな話をしてきたし、具体的に相談にも乗ったが(というより愚痴の聞き手になったが)、最終的にはいつも自分で判断してきた。私は、進路相談などで、高校に行ったことが一度もない。いや、三年間、担任の顔を一度も見たことがない。面接の用紙が回ってくると、私の書くことは決まっていて、「子供を信頼してすべて任せております」。三年の二学期の最終面接も、自分で模試を始めとする受験資料を持っていって、「こういう状況なので、こことここを受けるつもりです、と一方的に説明して速やかに終えた」と言っているほどなので、親の出る幕がそもそも無いのである。
そんなことを言ったら学校の教師だって出る幕はない。三年生の後半になると、もはや学校の進度に合わせていては、まともに受験すらできないので、ひたすら自分自身で勉強するという状態。長男はセンターを倫社で受けたが、理数系のカリキュラムを選ぶと倫社は自動的に選べなくなるので、すべて自習。塾でもやらず、自分でメモを作り要点を覚えて94点を取った(ちなみにセンター試験一日めに帰ってくると、この問題あっている? と訊いてきた。合っているよ、と言うと、やった、満点だ! と言う。長男がこれまで、満点だ! と叫んだテストで満点だったことはない。これは我が家では笑いの種だ。しかし、本人はまだ性懲りもなく満点だと思うらしい)。大学受験は、高校の学習とは、本当に何の関係もないものになっている。私たちの頃にはそうではなかったように思う。いつ、こんなふうになってしまったのだろう。指導要領が変わったりしたのも大きいにちがいない。私たちの時には、全員が東大の五教科七科目を、どのテストを選ぶにしても受けられるようなカリキュラムだった。
それはそれとして、要するに、自分で計画をきちんと立てて勉強を進め、わからないことは塾で教わるというようにして、まったく自主的に受験勉強をした。ただし、勉強がスムーズに進むわけではないので、しょっちゅうヒステリー状態に陥る。
そんなこんなで11月。相変らずちっとも出来るようにならず、センター模試の判定ではCが最高。駿台の東大東工大記述模試ではD判定で、塾の教師も、7:3で無理と判断。長男自身も、ほとんど無理だと思っている。
大学受験についてはいろいろな考え方があるだろうが、うちではそれほど重く考えてはいなかった。基本的には、行けるところで良い、という感じ。経済的な問題もあるので、私立には万が一の時にしか行かない、下宿もしない、となると、選択の余地は無い。長男の場合は、東北大ぐらいがチャレンジ校になるのだが、田舎は嫌だというし、下宿させると私立と変わらなくなってしまうので、結局、選択肢には入らなかった。東工大はかなり難しく、農工大だと易しい。横浜国立大や千葉大などはそのあいだに当たるが、やはり下宿になってしまう。通えそうだが、実際にはとても無理で、下宿というと何だか理不尽な感じになる。本人は農工大で充分、東工大に受かればプライドは満足させられるだろうけれど、でもそこでなければダメだとは思っていないと言う。私としても、東工大に行けなかったら行けなかったで仕方がない、出来るなら受かって欲しいという程度だった。どこの大学に行くかではなく、大学で何をするかが問題なのだから。ただ、長男は行くべき高校を間違えたので、しょっちゅう学校のことで愚痴を言っていた。確実に行ける大学に行ったら、また同じことが起きてしまうのでは、という気がした。だから、私としては出来るなら受かって欲しかったのだ。駄目もとでも良いから、とにかく東工大に向けた勉強をし続けてもらいたかった。
試験というのは水物である。最後の最後までわからないものだから、途中で勝負を投げてはいけない。投げてしまえば、それでもう終わって、投げたという事実だけが残るのだ。このことは、はっきりとしている。というわけで、長男は、無理、受からない、などと言いながら、数学や物理の難問に挑戦する日々であった。とにかく解けなくてヒステリーになる。なんでこんなに数学ができないのだろうか?
話はやや逸れるが、長男は、東工大に提出する入学手続きのための身上書のようなものに、得意科目=国語、不得意科目=数学と書いていた。センターでは五教科七科目なので国語があるが、本試験の受験科目に英数理しかない、しかも数学の問題がすばらしく難しいことで有名な東工大をなぜ選んでいるのか、というのがやや疑問である。というよりも、なぜ理科系なのか、という気もしないではない。国語の次に得意なのは英語で、センター試験では満点だった。しか数学が苦手。センターの数2Bは85点で、足を引っ張っている。今年は問題数が多くて平均点が低かったが、数学の得意な人間ならばこんな点にはならない。ただし普通の文系の人が言う数学が出来ないというレヴェルではない、念のため。東工大を受けるにしては出来ないのである。物理も化学もそこそこで、しかし一方、国語と英語は明らかに出来る。だがそれでも理科系を選んだのは、長男曰く、理系分野は習わないとできないが、文学なんかは習わなくてもできるから。それは、まったく、反論の余地がほとんどない見解であろう。それから、経済や法律には興味が無いそうだ。
ともあれ、いろいろな経緯の末、センター試験の結果を勘案し、受験することにしたのは、東工大の第7類(生命理工学部)、農工大工学部の生命工学、早稲田大学理工学部のの電気・情報生命工学科。この方面なら数学は最小限で済みそうだということもあった。願書を出したのはこの三校だけで、前期で受かってしまったので後期は受けず、結局二校しか受験していない。
センター試験の前後のことは書いたので、改めて書かないが、倫社を除くセンター対策は、ほとんどセンター試験前の二週間ぐらいしかしていない。それでも時間があまってしまい(つまり過去問などが全部終わってしまい)、ぼけっとしたりしていた。センターは得点率93%で、この結果を見て、農工大は後期でも受かると考え、初めて東工大を受験する気になったのである。冒険が出来る、そのような意味ではセンター試験の点数は大きい。代ゼミのリサーチを見ると、東工大の7類志望者の中でトップ。しかし、塾の教師には、地方の国立大なら医学部でも受かるが、東工大は6割方無理、と言われた。センター試験が30%に圧縮されてしまう東工大では、センターでの数十点の差などは、数学の大問一つ分の値打ちもない。しかも長男は数学が出来ない。東工大の数学は、本当に最後まであんまり出来るようにならなかった。そして東工大というところは、数学の出来る子が集まるところなのである。
代ゼミの去年の追跡調査を見ても、センターで1位の子は受かっているが、2位の子は落ちている。センター試験が90%でも落ちているし、70%しか取れなくても受かっている。そういうものなのだ、とつくづく思った。長男とも、去年の追跡調査を見ながら、「この人はなんで落ちちゃったんだろうね」「来年の追跡調査でも、この人、トップなのに落ちてるね、とか言われるんだよ」「誰が代ゼミに結果なんか報告してやるもんか」などと言って笑ったりしたものである。
だが、結果的には、センターの点数に救われて受かったのだろうと思う。東工大は成績開示をしないのでわからないが、物理が思ったよりも出来なくて、数学は大問一つ完答してあとは部分点、化学はまあまあで、英語はものすごく易しかったから満点だ(またかよ)という感じで、どれほど点がとれているのか疑問だ。とにかく、他の人が出来なかったとかいろいろな条件が重なり、当落すれすれで何とか引っ掛かったのだろう。まったく運が良い。
ちなみに、早稲田は、模試ではE判定(最低の判定です)しかもらったことがなく、東工大よりさらに合格しそうもなかった。経済的な問題もあり、私立は受けずに済ましてもらうという契約を結んだので、受けたのは一校だけ。単に試験慣れするために受けたので、受験当日までは本人も私も受かると思っていなかった。国立向けの勉強をしてきたので、私立一本でやってきた人たちにかなうわけがないと思っていたし、実際に問題の傾向もだいぶ異なるのである。お気楽な感じで出かけたが、試験会場から落ち込む風でもなく帰ってきた。長男は本当に出来なかったときはきわめて不機嫌になるのですぐわかる。つまり、出来ない、という感じではなかったのだ。英語の問題にチョムスキーが出たんだよ、と嬉しそうに話している。一月ごろにたまたま私がチョムスキーや脳科学関係の本をいろいろと読んでいて、その話を長男としていたのだった。その日から、私は、正直な話、合格するというイメージしか抱けなくなった。もちろん、受かると信じるのは母親の妄想にちがいないが。
早稲田の試験も気楽に受けたのだが、東工大の試験もまったく緊張することなく受けたようだ。そして二日ともにこやかに帰ってきた。私はまたしても、受かるかもしれないと思った。野菜の里のかよこさんには、「東工大というのは、受からないと言われていた人が受かったり、受かると言われていた人が落ちる、不安定なことで有名な大学なのだ」などと慰められたりしたものだから、余計に、受かるかも、と思ったりした。だから、発表までの二週間、決して、悲観的なことは言わないようにした。落ちることを見越して予防線を張るようなことはするまいと。自分のこととなると相当な悲観論者の私も、子供のことになると、変に楽観的になってしまう。合格発表のあと、受かると言っていたのはお母さんだけだよね、学校でも塾でも誰も受かると思っていなかったのに、と長男は言っていたが、親というのは、誰でもそんなふうに子供を過大評価するものであるようにも思う。
受験は、終わってみると、模試の合否判定とはまったく違った結果になった。順当に行った人の方がはるかに多いのだろうが、世の中には、うちとはまったく逆の家庭もあるだろう。だが、誰がその例外者になるのかはわからない。それが受験というものなのだろう。