神林作品ガイド④★長篇その壱★
『あなたの魂に安らぎあれ』
火星の地下都市では絶望的なまでに単調に続く日々の暮らしに人々が倦み果てていた。自身の存在に何の意義も見いだせない大人たちは心理カウンセラーの世話になり、学校では陰惨ないじめがエスカレートし、若者たちは破壊的行動に走る――。一方、放射線の強い地上には、人間に奉仕するべく作られたアンドロイドたちによって華やかな文化が築かれていたが、彼らの間にも頽廃の影は色濃く差し、終末の予言が囁かれ始めていた。妻子とともに平凡な暮しを営んでいた秋川は、奇妙な夢を契機に疑問を募らせてゆく――「おれはなんのために生まれてきたのだろう?」。同じ頃、サイ・玄鬼は、地上で繁栄を誇っているアンドロイドたちに神が降臨する、との予知を得る。果たしてその真意は? 彼らはそれぞれ謎の答を得るために動き出し、大いなる変動の歯車が回り始めた。
意表を突くSF的発想で終末幻想テーマを展開させた作品。それと同時に、生とは何かという問いに、現実の地平を転倒させることで答えようとしており、世界の謎の解き明かしは読者を驚倒せしめるに充分。最後の時へと向かって、登場人物それぞれの物語が高まっていく過程も美しいまでにみごと。物語の進展につれ、「あなたの魂に安らぎあれ」という祝福の言葉が意味の重みを変化させていくあたりも、処女長篇とは思えない老練さを感じさせる傑作である。
『帝王の殻』
火星の秋沙市では人々は一人に一台PABと呼ばれる可動コンピューターを持っている。それは個人の情報を完全に掌握した自我の分身ともいうべき存在である。そのPABの仕掛け人である火星の帝王・秋沙享臣[あいさたかおみ]が死に、孫の真人が後継者に指名された。だが、幼い彼は外に表現するべき感情や言葉を持たない人形症と呼ばれる病気だった。真人はPABの情報を集中管理するシステム・アイサックが試験稼働されたのと時を同じくして、人形症から回復、小さな帝王として大人のように振る舞い始めた。真人はアイサックに乗っ取られてしまったのだろうか?サイコ・ミステリー的な緊迫感にあふれる作品。外に飛びだしている自我としての機械、機械知性の外部延長ともなりうる肉体=人間という、〈意識〉をめぐる興味深いテーマが、PABなるガジェットで表現されていくさまは圧巻だ。『あな魂』に続く《火星三部作》の第二作。
『膚〔はだえ〕の下』
この物語は、前掲二作に先行する、すべての発端を語る物語で、これによって《火星三部作》は完結する。このシリーズは時間を逆行する形で進み、そしてこの作品のラストシーンでは『あなたの魂』のおよそ五十年後となっている。主人公はアートルーパーの慧慈。アートルーパーとは、人間が地球を離れて火星で250年の冬眠をするあいだ、地球を復興する機械人を管理するために作られた人造人間である。慧慈は地球残留を希望して軍と交戦している一派の鎮圧に借り出され、身体にも精神にも傷を受ける。機械人のアミシャダイに助けられ、機械人の特殊な思考を知った慧慈は、アートルーパーという新しい種族なのだという自覚を得て、自分が何をなすべきなのかに迷い悩むようになる。
人造犬サンクも含めたさまざまな人々との出会いが、慧慈を成長させ、変えていく。作者自らが言う通り、これは少年の成長物語である。「雨なんか嫌いだ」と泣く少年から、仲間の死に泣きながらも、「雨は優しかった」と思える大人になるまでの物語なのである。
『七胴落とし』
予備校に通う三日月は極度の不安に苛まれていた。誕生日が来ると自分も大人になってしまうのではないかという不安だ。大人になること、それはテレパス能力を失って他人の心とじかに触れ合えなくなることであり、絶望と同義語だった。感応力が弱りつつあることに脅える三日月に少女麻美が近づき、感応力を使った刺激的なゲームの世界に彼を誘う……。成長を拒否する三日月が次第に追い込まれて死へと傾斜していくさまを、息詰まるようなタッチで描いた青春SF。モダンホラーの風合いを持つ異色作である。感応力のあるなしで大人の世界と子供の世界とを截然と分け、両者を鋭く対立させることで、不安定で残酷な青春の暗い一側面を無残なまでに抉り出している。
殊に三日月の身辺に謎の少女月子が出現し、強力な感応力で三日月の現実感覚に揺さぶりをかけてくるあたりは、幻想小説としてもすばらしい出来栄え。このように重層する現実を生きてしまう人間が必然的に陥る闇と、そこから抜け出るための成長の契機がともに描かれていて、一種のイニシエーション小説のような趣すら持つ。
『太陽の汗』
ペルーにある通信社の情報収集機械ウィンカが動作不良に陥り、原因を究明するため、日本人カメラマンJHとアメリカ人ジャーナリストのグレンが派遣される。しかし、二人の前に出現したインディオの兵士たちは協力的でなく、あまつさえ、あるべき場所にはウィンカの破片さえ見当たらない。体調の悪いJHを残し、グレン一人が捜索に赴く。二人は自動翻訳機を唯一の通信手段としているが、互いの距離が遠ざかるにつれて意志の疎通が困難になり、ついには現実までもが分裂してしまう。人は言葉を介して意志の疎通をはかり、理解しあう。だが、理解とは誤解の連続であることを、自動翻訳機というガジェットを通して鮮やかに描き出す。そして言葉による理解がずれていくとき、互いに見る世界も異質のものになってしまうことを、幻想的な手法で象徴的に描くのである。物語は迷宮の様相を呈しているが、テーマはむしろストレートだ。
『機械たちの時間』
おれは二十世紀の日本に経理事務屋として生きている。だが、おれは自分が今いる世界は夢でしかないことを知っている。おれは本当は未来の火星で異生命体マグザットと戦っているハイブリッド・ソルジャー、機械と人間の混成体なのだ。なんとかこの夢の世界から逃れねばならないと焦るおれのところに戦友がコンタクトしてきた。覚醒の時は近いのか? だが、そのときからおれのいる世界は変容し始める。おれは因果律の壊れた夢の中を漂うように時空を飛び越え、覚醒の道を模索する……。薬物中毒の男が実は火星の戦士であるという設定は、平凡な高校生がこの世を救う戦士だったという凡庸で現実逃避的なファンタジーに似ている。だが、本書で描かれるのは単純な変身願望ではない。幻想世界もそれが現実となった途端、この現実と変わりがなく、夢も現実と断ずれば現実となるという、高度な現実認識なのだ。雰囲気はハードボイルド・ミステリーである点もおもしろい。
『死して咲く花、実のある夢』
情報軍の降旗少尉、知念軍曹、大黒一等兵の三人は、極めて重要な情報を入力されたオットーという猫を捜せ、という命令を受け、情報車・秋月で出動した。秋月が機能を停止した一瞬ののち、彼らは信州の山あいが産業廃棄物でうずもれ、クジラが空を飛び、エントロピーの法則が成立しない未知の世界に出現する。降旗はこの奇妙な世界は死後の世界、それも彼岸とこの世の間にある中途半端な死の世界ではないかと推測しつつ、「死んでも連絡を取り続けろ」という上層部の命令に従い、作戦を続行する。アメリカ大統領から日本の首相に贈られた猫を捕まえるという作戦行動の最中だった彼らは、ともかくも猫を探すことにするのだが……。死とは何か、死んでも意識があるとすればそれはいったい何なのか、あるいは幽霊のような存在とは何か、解脱や輪廻とは、そして現実とは……このような疑問に対して、宗教的な信念とはまったく異なる地点から、思弁的に取り組んだ小説である。仏教哲学にも通ずる高度な死生観、死後の世界観が語られていく、ユニーク極まりない形而上学SFだ。脳は通信装置であるという見解を極限まで推し進めて、真にファンタスティックな世界観を打ち出している。また、会話だけでキャラクターを際立たせる神林の手法が頂点に達した作品でもある。類を見ない強靭な思索に裏打ちされたすばらしい作品。
『猶予の月』
月から地球を見おろし、事象制御装置によって人間を操作するカミス人は、額に第三眼を持つ、神のごとき存在である。その詩人アシリスは姉の理論士イシスとの許されない恋に悩んでいた。アシリスは自分たちにあわせて現実を変容させることを思いつき、イシスは事象制御装置を使ってそれを地球上に実現させようとする。が、そのとき悪党バールの干渉によりイシスのシミュレートは失敗、彼ら自身が地球へ飛ばされてしまうことになる。かくて地球上で神々の闘争が展開することになる。本作は神林の代表作であると同時に日本SFの代表作の一つでもある大作である。大作ゆえに恋愛小説、青春小説、メタノベルと、さまざまな顔を持つが、何よりもまず時間テーマSFの最高峰をきわめた作品として、特異な輝きを放っている。事象が生起することで時間が感じられるとする、仏教の刹那滅にも通ずる画期的な概念〈擬動〉を創出したのは驚異というほかない。〈擬動〉の発想は、世界から時間を消し去り、また空間的な呪縛からも解き放つ。時空の超越――それが単なるイメージとしてではなく、疑似科学理論として提出されているところに神林作品の凄みがある。SF的想像力のみがもたらしうる真に驚異的な光景に出会いたいと願う読者に、自信をもってお薦めすることができる真の傑作である。
『天国にそっくりな星』
天界は紫外線で死ぬほどの火傷を負う日陰症にかかってしまい、恋人の玲美とともに地球から惑星ヴァルボスに移住した。ヴァルボスの中は空洞になっていて、驚くほど地球に似ているのだが、太陽はなく、日陰症の者も安心して暮らしていけるのだ。探偵職に就いた天界は、ヴァルボス人の依頼を受け、人間たちに紛れ込んだヴァルボスの異分子・ザークを探しだすことを引き受ける。同時に新興宗教の教主の娘の家出事件にも関わることになるが、どうやら二つの事件には関係があるらしい……。まさに天国を思わせるような星を舞台にしたSFハードボイルド。主人公が「玲美がいれば幸せ!」というような軽い乗りの探偵なので、テイストはギャグ調だが、テーマはシリアスで、死/不死と死後の世界。敵との対決場面では、神林一流の思弁展開が味わえる。
『海賊たちの憂鬱』『死して咲く花』と似たようなテーマ設定が続いたのは、この時期、神林の関心が〈死〉に向かっていたということだろうか。あるいは一つのことを考え出すと、芋づる式にいろいろなものが出てくるということか。