神林作品ガイド⑤★長篇その弐★
『宇宙探査機、迷惑一番』
地球連邦と水星とが対立している世界。地球軍の迎撃隊、通称脳天気小隊は、宇宙空間に不審な物体(「?」や「!」や「恥ずかしいもの」に見えたりする)を発見、接触を試みる。その不審物体は平行宇宙移動探索機マーキュリーと、その意識を言語化する思考装置・迷惑一番だったのだ。マーキュリーは平和的な平行宇宙を見つけて今の宇宙と繋げてしまおうという御都合主義的プロジェクトに関わっており、小隊は探索機に巻き込まれて平行宇宙へ飛ばされてしまう。全体である〈私〉とその一部である〈ぼく〉とが漫才めいた会話を繰り広げるという珍妙な状況から始まり、生首ならぬ生腕が月面上に巨大な文字を書き記していたり、小隊のメンバーが「きれいに死んでいる」と太鼓判を押されたり、とあくまでもシュールなギャグで押す軽妙な作品。後にさらにハードなSFとして展開される平行宇宙、死、物語などのテーマを内包している。
『蒼いくちづけ』
人口の約0.05パーセントがテレパスとして生まれてくる世界。高い感能力を持つ刑事はサイディックと呼ばれ、主にテレパスの犯罪を処理している。精神上の戦いを見ることができない普通人たちは、簡単に犯人を殺すように見えるサイディツクたちを「火葬屋」と呼んで蔑んでいた。孤独なサイディックのOZは、月面から地球上に届いてきた憎悪の念によって危ういところを救われる。その念波は、残忍な男によって夢も愛も奪われたテレパスの少女が瀕死の状態で発した憎しみの念だった。異常な力を持つテレパスによって引き起こされる恐怖を描いたSFホラー。感能力については終始疑似科学的な説明がなされ、怪奇小説では怨霊の跳梁と表現される現象もその疑似科学にのっとって論理的に説明する。またOZの戦いはオカルトホラーにおける浄霊に当たるが、愛の力に頼るといった情動的な形にはなっていない。こういうところがまさしく神林長平なのだ。
『ルナティカン』
地球と対等なところまで成熟してきた月面社会。地下には初期入植の名残である楽園のような世界が広がり、ルナティカンと呼ばれる人々が貧しいながらも独自の文化を築いていた。だが彼らは月面上の人々に蔑まれ、法的な保護も受けられない。アンドロイド製造会社LAPはアンドロイドの両親に人間の子供を育てさせるという実験を行っていたが、その実験台にされたのもルナティカンの子ポールだった……。地球から月に来たノンフィクション・ライターのリビー、ポールの伯父のリックを活躍させ、サスペンス・ハードボイルド風に仕上げた作品。本作の基本は、真実に向き合わねばならなくなった少年を描くイニシエーション・ストーリーなのだが、少年が描かれているとはあまり言えない。むしろリックの人間像やルナティカンのあり方などに焦点が合っており、現実とは違う価値観があることのおもしろさが魅惑的に描かれている。
要するに最初に設定したテーマがずれてしまった一種の失敗作である。神林長平にも苦手なものがある。それは「子供の成長物語」なのだ! ということに気付かされた一作である。『七胴落とし』や『過負荷都市』は高校生の男女を描くが、彼らは一連の物語を通じて成長していくというよりは、切断されたように大人になる。確かに思春期にはそういうことがある。だが、子供を主人公にそれをやると無理があらわになる、ということだ。
『親切がいっぱい』
ボランティア斡旋兼便利屋に勤める良子はしっかり者。子供のような所長に代わって事務や接待をこなしている。ある日、良子の住む古いアパートにとてつもなくかわいらしい生き物が迷い込んできた。翼のないミニドラゴンといったおもむきの灰色の生き物で、名前がマロだとはわかったものの言葉は通じない。やって来た目的も意図も不明だが、どうやら宇宙人らしい。マロは良子を始めとするアパートの人々に可愛がられながら日々を暮らすことになる。職業が認可制で、泥棒やヤクザにも一級や二級の免許があるような、もう一つの日本ふうの設定となっているが、基本的には日常を舞台とした普通のユーモア小説である。アパートの地上げ騒動が描かれはしても、SF的に大仰なことは何も起きず、その点は神林作品としてはかなり異色だ。これは要するに「猫は可愛い!」という小説なのだろう。
『魂の駆動体』
老人ホームに住む子安と私は、もはや何をためらうこともなく自身の気まぐれに付き合うだけの心の余裕を持っていた。あるときは子供のように林檎畑から林檎を盗む計画を立て、またあるときは一台のクルマを作り上げるための設計図を描こうとする(第一部)。第二部では舞台は遠未来へと跳び、翼によって空を滑空し、卵から生まれる翼人のキリアと人間を模して作られた人造人間の物語となる。キリアは滅亡した人間を研究するため、自ら人間に変身し、人造人間とともに、クルマの製作に取り掛かるのである。そして、予期せぬクライマックスが訪れる。クルマ好きで知られる神林が、魂を昂揚させるものとしてのクルマへの思いを描いた作品。本書では死と老いというテーマもまた静かに見つめられている。これはある程度の年齢にならなければ書けない作品というものだろう。文体も内容も素晴らしく洗練されている。
『永久帰還装置』
一人の男が目覚めようとしている。彼にとってこの世界(今から約千年後の火星)は低次元の世界、例えば私たちにとっての二次元の世界であるらしい。男はこの世界を物理的に変化させられるような力を持っている。そして男はボルターという犯罪者を追う永久追跡刑事であるという。ボルターは世界を破壊しては再創造する。この世界もまたボルターが作ったのだ。だがボルターは一種のテロリストであり、作ってしまった世界やその世界の生命たちのことなど考えずに、無軌道に破壊と創造を繰り返す。その行為を男は憎んでいるのだった。男はケイ・ミンというこの世界の女性の人生に干渉し、彼女をボルター追跡の足がかりにしようとするのだが……。神林には珍しいほどにストレートなラヴ・ロマンスである。とはいえ心理や情況の細緻な分析はいつもの神林長平で、殊にAIがからんでくるあたりの論理展開が良い。ラストにも意外性がある。
『ラーゼフォン』
村瀬明はTERRAの攻撃型潜水艦に査察官として乗っていた。その艦は謎の敵MUによって撃沈されてしまう。村瀬は死を迎える。ブラックアウト。ところが、彼は目覚める。少年として。夢? そうではない。村瀬は何度も死んではリセットされて16歳の春に戻るということを蜿々と繰り返しているのだった。二、三百回は人生を繰り返していて、主観時間では一万年も生きているようだった。彼は人生に飽いていたが、今回は新たな展開かありそうだった。異次元に存在するもう一人の自分からのメッセージを受け取ったのだ。次元間の調節をする神の楽器ともいうべき、ラーゼフォンを捜しだして、世界を調律しろと。ようやく一歩を踏み出した明は、敵に誘われるまま、生も死もぐちゃぐちゃな世界へと踏み込んでいく。テレビアニメ・シリーズ『ラーゼフォン』のノヴェライズという話だったが、シェア・ワールド・ノヴェルというところに落ち着いた。巨大ロボットものという枷があるので、どうにも苦労したらしい出来栄え。神林長平であることには変わりはないのだが、物語が展開する前に終わってしまう。これは本来、何度か生を繰り返した村瀬明のエピソードを重ねていき、彼が自分に目覚めていき……そしてその結末として本書があるというようなものではないだろうか。
『ぼくらは都市を愛していた』
情報震が起きて、電子情報が攪乱され、消し去られる。そういう社会で、すべてがわやくちゃになり、他者が信頼できなくなり、世界戦争が起きて、日本は壊滅した。遠隔への通信もすべてデジタルなので、遠いところがどうなっているのかはわからない。少なくとも、日本では死屍累々だ。情報軍の綾田ミウは数少ない生き残りの一人で、情報収集という任務を今も実行中だ。
東京は今や無人の都市となっていた。都市ほど被害がひどく、都市から人が消えた後は震度が低いので、東京が最前線になったのだ。無人の東京で、部下が失踪する。さらには、自分が手で書いている日記さえもあやふやになっていく。時間の流れまでが狂いだしていた。
一方、東京の別の次元では、冴えない中年刑事カイムが、キャリア志向の女刑事と組んで、不思議な殺人事件を追っていた。彼らの腹部には、警察の情報部でか開発した人の意識をかすめ取る装置が植え付けられているという。他者の考えが読める。やがてカイム(ミウの弟)は、殺害現場で、自分が殺人者で、女刑事が被害者であることを知る。
そして、ミウの部下たちは、この都市に入り込んでいた。一体何が起きているのか。
キモは都市の意識というファンタジー。
『だれの息子でもない』
「あなたの息子じゃない」一家に一台のミサイルが割り当てられており、たいていの人がネット内に自己の分身的な人格=アバターを持っている、パラレル日本が舞台。主人公の「ぼく」は安曇平市で生まれ育ち、市役所に勤めている。自閉症スペクトラムらしく、対人関係が不得手だが、プログラミング関連の作業が得意で、死亡した人のアバターを消去するという仕事を主にしている。また、ミサイルの管理にまんいち事故が起きた場合、対処するのも彼の務めだ。何重にもロックがかかったミサイルの誤作動はほぼあり得ないはずだが、それが起きた。しかもどうやら自分のミサイルのようだった……。
「神の御子なんかいない」
主人公は未決囚として拘置所に入れられている。すべては亡父が残していたアバターのせいだった。父親のアバターは、ネット環境がないにも関わらず出現して、主人公を悩ませる。さらに政府のセキュリティ関連のエージェントだという男が現れ、主人公をスカウト。正体不明のネットアバター追跡に力を貸して欲しいというのだ……。
「だれの、息子でもない」
拘置所ではいろいろなわがままが通るようになっていて、主人公は温泉への外出許可まで認められている。温泉にのんびり浸かっていると、ゾンビのようなアバターがわらわらと出現し、それを退治するという悪夢めいた状況になる。果たしてこの事態は何なのか?
『絞首台の黙示録』
「おれ」は死刑囚だ。間もなく刑が執行される。恐ろしくてたまらない。死んでしまえば、自分の死を理解出来ないからだ。死にたくない。おれの死骸はおれではない。それさえわかれば。そしておれは刑の執行直前に幽体離脱し、斜め上から自分を見ていた。あの死骸はやはりおれではなかった。……ぼく=伊郷工(いさと・たくみ)は、故郷で独居している父が行方不明だという連絡をもらい、松本で作家として暮らすぼくは、新潟の実家に向かった。確かに父は家にいなかった。ところがそこに伊郷工だと名乗るもう一人のぼくが現れた。その男は言う、「おれは死刑囚だった」と。刑は執行されたが、おれはここにいるのだと。二人の男は互いに、この奇妙な事態の真実を探ろうとするのだが……。意志の力とか強い思いといったものを軸に展開してゆく物語。人の死は瞬間的には訪れないという考え方が出てくるが、これは『死して咲く花』をめぐるインタビューの時に口にしていたもの。