Isidora’s Page
建築日誌
■静嘉堂文庫■    2004年12月09日

中野美代子、澁澤龍彦、久世光彦、倉橋由美子……はて、誰だったか思い出せない。
曜変天目茶碗のことである。
年老いた陶芸家が、なんでも件の茶碗を焼いたという噂が立つ。この曜変天目は、現代では焼成することが不可能で、大変に不可思議な茶碗であり……、それから物語がどう展開するのか失念した。ただ、この「曜変天目茶碗」の名だけは不思議と記憶に残っていた。

二子玉川駅からやや歩いたところに、まるで都心とは思えない閑静な場所がある。「静嘉堂文庫」旧三菱財閥の岩崎彌太郎とその息子と二代で集めた美術品を納めた場所である。建物の設計は、桜井小太郎。彼はイギリス留学を経験した本格派でもある。この建物も、当時流行の楕円アーチを使ったチューダー様式の流れを汲んでいる。タイルも、ご多分にもれず流行のスクラッチ・タイルであった。実際に、現役の建物であることが、なんともうれしいことである。

しかし、本当の目的はコンドル先生である。「岩崎家玉川廟」ジョサイア・コンドルの設計で、岩崎財閥の納骨堂建築である。
場所が場所だけに、周囲は森閑としている。死後も、こんな豪華な建物に住むことが出来るなんて、やっぱり金持ちには適わない。
なんて思いながら、ひたすら写真を撮り続ける。岩崎家を偲ぶわけでもなく、ただ、建築的に興味があるだけでわざわざ墓場まで見物に来る。考えてみればまったく不謹慎な話である。
写真を撮った後、柄にもなく目礼して帰る。

同敷地に「静嘉堂美術館」がある。どうやら、一般人の目的はここにあるらしい。特別展がやっているという風でもなかったが、人ごみでわんさかしていた。せっかくだから見学してみることにした。
茶道具を中心に展示していたが、小生にはまったく興味がない。ただ、巾着で包んだ焼き物を見て「最近はカメラのレンズも巾着型のケースが多いなぁ」などと考えてみる。
警備員がことさら見張っていた展示物があった。なんだろう? 見てみたい。それが、曜変天目茶碗だった。
元々、中国で焼かれたものが、わが国へもたらされたということだ。しかし、現在では中国はもとより、世界中どの国でもこの曜変天目茶碗は存在が確認されていない。僅かに数点(三、四点)が日本に存在するが、その内3点は国宝に指定されている。その一つが、この曜変天目であるらしい。

見る角度によって、その斑紋が妖しく光る。まるで雲母のように綺麗である。蝶の仲間にぜフィルスと呼ばれるミドリシジミ属がある。それも光加減によって、翅の鱗粉が光沢する。光物の刺身は苦手だが、妖しく光るものには、なぜか心がときめく。

と、ここまで書いてやっと思い出した。やっぱり中野美代子である。そういえば、最近読んでいない。新刊はあるのだろうか?

【所在地】 東京都世田谷区岡本2-23 グーグルマップ


静嘉堂文庫
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岩崎家玉川廟
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曜変天目茶碗
曜変天目茶碗