Isidora’s Page
建築日誌
■豪徳寺・招き猫■    2004年12月18日


落語が好きである。
先日、ぶらりと池袋演芸場へ入った。相変わらず空いている。
100席に満たない小さなホールであるが、建物は新しい。すぐ目の前が舞台なので、首が少々疲れる。噺家と目と目が合うので、そうやすやすとも眠れない。
ぶらりとは言ったが、池袋へは用事があった。詩集の購入である。新宿や渋谷では用を足さない。ひと月に一度は必ず池袋へ寄る。実のところ、池袋は小生の青春時代そのものであった。思い出の本屋も、とうの昔につぶれている。

いや、落語の話であった。小生は落語通ではない。ただ、落語が好きなだけである。落語も漫才も、演者によっては、いつも同じねたをやる。何十年と同じものをやっている噺家もいる。小生は、ことさらそういう噺家が大好きである。安心して聴くことが出来る。落語とは、そういうものであっても良い。
柳家権太楼は名人である。いつも違った噺を聞かせる。もちろんこういう噺家も大好きである。通ではない証拠だ。
途中で、調べるフリーライターの堀井憲一郎が入ってきた。すぐに分かった。小生は「週刊文春」は毎週欠かさず読んでいる。TBSラジオも毎日通しで聴いている。何かの調べものであろうか? それとも、ただぶらりと寄っただけなのか?

そう、落語の話であった。とりは、さん喬である。少し硬い。意気込みは感じられるが、笑う顔があまり好きではない。武家の話である。タイトルは失念した。
好きな噺家に円窓がいる。大学の先生に顔が似ている。先生とは度々お会いするが、酔うと必ずその話が出る。「そうか?」と先生は言う。周囲のものは、円窓の顔自体を知らない。それ以上話は続かない。
円窓は、古典噺から創作まで、実に豊富なネタを持っている。その中に「浅草の招き猫」がある。以下概略を記す。

病弱な母親と二人暮らしの貧乏な女の子が、ハエを取る仕草が可愛い猫を、友達といつも見にやって来る。猫の飼い主は駄菓子屋の老夫婦で、帰りに余ったお菓子を子供たちに上げる。女の子は控えめで、必ず小さいお菓子を取る。老夫婦は、家庭の事情を見かねて、こっそりとお金を女の子の手に渡す。すると女の子の母親がその金を返しに来る。老夫婦は、観音様がくだすったんでしょうと、金を受け取らない。……

お涙頂戴ものだが、この先は意外とつまらない。たくましい女の子の成長の噺である。

招き猫といえば、豪徳寺である。実は、これからが本題である。「レッツ豪徳寺!」などという映画が昔あった。三田寛子の主演である(と、記憶している)。
豪徳寺は小生の住んでいる隣の駅にある。病院の帰りに、自転車でよく参詣する。
井伊直弼の墓があることで有名である。そして、招き猫の由来も有名である。

なんでも、鷹狩りの武士たちを手招く猫がいるので、とある寺に休憩に入る。すると、たちまち夕立降りし、雷鳴とどろき……、まあ、猫に招かれ雨宿りが出来たと云うたわいのない謂れである。その武家が井伊家の先祖で、以来、豪徳寺は井伊家の菩提を預かることとなった。(羽根木図書館調べ)
写真の招き猫は、かなり多い日のものである。どうやら、焼却処分されると思しく、一体もない日も多々ある。

招猫堂 
招猫堂

招き猫奉納所正面写真
招き猫奉納所正面写真

招き猫奉納所斜めアングル 
招き猫奉納所斜めアングル