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建築日誌
■旧城田家住宅・旧秋山家土蔵■    2004年12月29日

次太夫堀公園、第2弾。

「旧城田家住宅」これも江戸時代後期の建物である。
酒屋を営む兼業農家である。いわゆる町屋。土間は「ミセ」といって、農作業をする場所ではなく、物を売る空間として利用されている。昔の駄菓子屋を思い出していただければ平面空間を理解しやすい。小生の田舎では、駄菓子屋で豆腐や油揚げも売っていた。酒も売っていたかどうか知らないが、よろず屋とは一線を画していた。ここでは「さかや」の看板が出ているのが面白い。
現在は公園の中の施設ではあるが、お客さんにラムネなどを売って座敷で飲んでもらっている。よし! こうでなくてはいけない。建物は実際に使われてこそ、存在価値があるというものだ。

この建物は「妻入り」といって、建物の短辺方向に玄関が設けてある。つまり、見かけより奥行きが深いと言うことだ。ちなみに前項の「旧加藤家住宅」は「平入り」といって建物の長辺方向に玄関がある。日本建築は、この「妻入り」「平入り」とで区別される。
写真左を見ていただきたい。下屋庇の上に窓がある。面白い。M2F。中二階がある。これは厨子二階とも言う。どうやら、お客を休憩(?)させていたらしい。プチ銘酒屋とでも言ったところだろうか?
真ん中の写真は、平部分から撮ったもの。暗くて良く分からないが、座敷では黄色い声の女の子たちがラムネを飲んでいる。(笑)
江戸後期の「店造り」の遺構は少ない。世田谷区指定の文化財である。

「旧秋山家土蔵」
これはすごい! 立派な土蔵である。これも江戸後期。穀物倉として利用されていたらしい。
屋根を見ていただきたい。茅葺である。しかも急勾配で、建物のケラバ勾配よりもはるかに上回っている。
茅葺屋根は、カネ勾配といって、通常、雨仕舞いの点からおよそ45°に葺かれる。この建物も例外ではない。しかし、土蔵本来の勾配はそれよりはるかに緩い。よって、軒には大きな隙間が出来る。
はて、なぜだろう? 可笑しいではないか?
土蔵なのに、屋根に隙間があってはまずいではないか?
あぁ、小生はこの答えが言いたくてわくわくしている。(笑)

解答はこうである。これは「置き屋根」といって、土蔵本来の屋根部分には粘土を塗ってあって、その上に茅葺屋根を置いているだけなのだ。粘土はひび割れが多く、耐火性はあっても、屋根に使用するにはいささか不安である。そこで考え出されたのがこの「置き屋根」と言うわけだ。火事で屋根に火がついたときなどは「置き屋根」だけが燃えて、土蔵は安心なのである。実に機能的である。科学的である。実質的である。素敵である。……
茅葺屋根の土蔵は、今では滅多に見られないだろう。


旧城田家住宅 
旧城田家住宅

旧城田家住宅
旧城田家住宅

旧秋山家土蔵 
旧秋山家土蔵