Isidora’s Page
建築日誌
■旧安田銀行函館支店(ホテルニュー函館)■    2005年01月05日

小用があって、田舎へ帰った。
田舎へ帰っても、寝泊りする家がない。したがって、田舎へ帰る時はまずホテル選びから始めなければならない。これでは、足が遠のくのも無理はない。

「ホテルニュー函館」旧安田銀行(後に富士銀行に改名)をホテルに改装し、現在に至っている。昭和7年竣工。石造に見せかけているが、実は鉄筋コンクリート造である。
いかにも銀行らしいファサードである。ドリス式オーダーを真似た列柱が目を引く。格調高い。コーニスと呼ばれる「軒蛇腹」のデザインも、どことなく中華風を醸し出している、が違和感はない。1、2階を通した半円アーチの竪窓も高さを主張している。ただしこの窓は、新しいものに替えられている。

建物の保存は、大変難しい問題を抱えている。ここでは詳細は省くが、この建物はそれなりに成功した例だと小生は思っている。保存の仕方が実に旨いのである。
設計者は「不詳」と学会の資料には書いてあるが、他の資料から推測すると、安田銀行営繕係であることに間違いない。小樽にも安田銀行の支店があり、ここのデザインも、これとほとんど同じだからだ。ホテルへの改修には、函館ドックの造船技術者が関与しているという。函館ドックは、かつてマンモス・タンカーなどを造っていた巨大ドックである。今では、見る影もない。

森真沙子さんの短篇に「海峡」と言う作品がある。(「喪の宴」所収)このホテルは、そこに登場してくる。森さんは、出身は横浜だが、高校生のころは函館に住んでいたという。
同じく高校時代、函館に住んでいた人物でもっとも有名なのが辻仁成である。彼には「函館物語」と言う、写真集にも似たエッセイ集がある。他の作品でも、度々函館について言及している。いわば、函館を有名にした貢献者でもある。
辻は、小生より2~3歳年上である。函館には親の仕事の関係で、4年間しか滞在していないという。でも、多感な年頃に住んだこともあり、函館についてのこだわり方は尋常ではない。
小生は函館に生れ、18年間ここに住んできた。そして、いやでいやで飛び出した。函館を見つめる姿勢は、この時点で決定的に違ってくる。これ以上とやかく言うつもりはないが、函館に対する辻の感性と小生の感性は表面的には似ている。あくまでも表面的に、である。向こうは有名人だし、男前である。同等には扱えない。(笑)
注:辻さんと面識がある訳ではございません。誤解なきよう。

函館に着いたのは31日の夜である。晩飯を食べるにも、店はほとんどやっていない。そんなことは百も承知なので、最初から部屋で「PLIDE」を見る予定だった。どうでもいいが、小生はミルコの大ファンである。
さて、部屋に入るとTVがない。フロントへ行って借りてくる。「1台だけならありますが。」しかし残念なことに電源コードがない。これはまずい、ミルコが見られない。ふと見ると、フロントに共用のTVがある。あれだ。あれで見よう。……小生はフロントに「PLIDE」の魅力を篤と説明し、大きな音を出させ、カウンターで観戦する。

小生:「次は吉田君だから、目が離せない。」
フロント:「柔道の吉田を知ってるんですか?」
小生:「まあ、すぐ近くに道場がある。たまにラーメンを食っている」
フ:「すっ、すごいですねぇ~」
小生:「いや、そんな~」

この時、他のアベックのお客は曙が見たいと言い出した。仕方ない。独占するわけには行かない。

フ:「じゃあ、もう一つのTVでK-1を映しましょう。」
小生:「よーし、それなら両方見られる。ハーパー、ダブルでね。」
フ:「良く飲みますね。」
小生:「なに、道産子だからね」
フ:「あれ、東京じゃないんですか?」
小生:「谷地頭だよ」
フ:「どおりで……」
小生:「なまってるべ」
フ:「んだ」

なんだか話が変になってきた。
そろそろ終わりとする。

結局、チャンネルをあれこれ変えながら見ていたため、ミルコは見られなかった。残念!


ホテルニュー函館正面 
ホテルニュー函館正面

同上玄関
同上玄関

同上ロビー吹き抜け
 同上ロビー吹き抜け