Isidora’s Page
建築日誌
■旧ロシア領事館■   2005年01月07日

北海道とロシアとの関係は複雑である。
最近では、国後島の「宗男ハウス」が大いに問題となった。
小生の中学時代には、ミグ戦闘機が函館に飛んできた。みんな外を見てびっくりした。「いよいよか?」などと、本気で思った。……
と、そんな話は関係ない。いや、関係なくもないのだが、その辺の事情はまたの機会としたい。

「旧ロシア領事館」である。これが「擬洋風だ!文句あっか!」と聞こえてきそうな「喧嘩買います」風のデザインである。驚きである。驚異である。痙攣的である。
いやになるほどの急坂な「幸坂」の上にある。地元ではこの坂を「辛坂」(つらいざか)とも言う。(嘘です)
明治43年竣工。設計・施工者とも不詳である。木骨レンガ造2F建て。戦後は外務省が管轄し、その後市が買い上げ「道南青年の家」として運営していた。今は、内部は非公開である。
小生は子供のころ、学生時代ともに何度かここを訪れた。そうだ、小生にも「青年」のころがあったのだ。「道南青年の家」は、地元の青年が集まって、ディスカッションや、交友関係を深めるという主旨の元で運営されていたが、結局は○○○と○と○○が後を絶えず閉鎖した。(まんざら嘘でもありません。証言者は語る。) 注:書けませ~ん。

さて、このデザインの見事さを説明しなければならない。
建物の外観は、レンガ造であるにもかかわらず、2Fをやけにぶっとい漆喰ハーフ・チンバーで固め、1F隅角部には隅石が配置されている。玄関には唐破風と呼ばれる唐様のへんてこりんな庇が設けられ(下魚まで付いている)、庇を支える柱はギリシャ神殿風のオーダーで、その上には、仏教寺院に見られるデタラメな「斗拱」が組まれている。
2F破風のぺディメント風なスペースには「巴」の紋章。あれ? なくなっている。ちょっと前までは確かにあったのに。何を隠そう、この紋章は「巴港」と称し、函館港をデザイン化したものであり、函館市のシンボルでなのである。

窓廻りは、ルネッサンス様式を意識してか、窓台や変格ぺディメントで飾られている。写真では分からないであろうが、サッシュのコーナーにはアールが付いていて、大変に手の込んだ代物である。
特筆すべきはサンルームで(全て特筆すべきですが)、閉鎖的コロニアル・スタイルを匂わせ、コンドル先生も真っ青と言う感じである(開放的コロニアルだと寒いのですね、きっと)。この部屋からは函館港が一望でき、花火大会の最高スポットと言うわけだ。

半分冗談めいて説明してきたが、この建物は紛れもなく「擬洋風」様式の特徴を十全に備えた建築物である。本格を知らない、地元技術者による、見よう見まねの様式化建築の見せるエネルギーは、軽々に真似された「本格」などには到底及ばない。意気込みが違うのだ。
とはいっても、長らくこの「擬洋風」は、その名の通り侮蔑的意味合いで使われてきた。今こそ「擬洋風」は立ち上がらなければならない。なに、建築だからすでに「建っている」? いやはや、失礼いたしました。


旧ロシア領事館正面ファサード 
急坂と正面ファサード

旧ロシア領事館唐破風の庇
唐破風の庇

旧ロシア領事館サンルームとルネッサンス風窓 
サンルームとルネッサンス風窓