Isidora’s Page
建築日誌
■山内さんちのお宅■    2005年01月14日

山内家住宅」(旧川畑家住宅)
大正11年竣工。木造2階建て。函館に見られる「洋風町屋住宅」の典型例。
「大正湯」の項でも書いたが、函館の擬洋風住宅の特徴は、1階が出格子窓の純和風で、2階が外壁下見板張りの上げ下げ窓。アイレベルでは違和感なく和風に見立ててあるが、ちょっと離れてみると実は洋風であった、と言うびっくり建築を装ったかどうかは知らないが、正にハイブリットな「洋風町屋様式」がその最大の特徴である。
また、色彩計画も斬新であり、ピンク、アイボリー、水色、草色などのパステル調のものが多い。屋根は、雪のために亜鉛鉄板葺きが大多数である。瓦屋根は重いので、北国の住宅にはあまり適さないのだ。
この建物は、その特長を良く生かしたグッドな住宅である。門や塀などは和風であるが、2階の洋風部分と組み合わせても、まったく違和感を感じさせない。雪掻きをするご主人の姿にさえ、違和感がない。(笑)これが函館の日常なのである。
とはいっても、このような建物が建つのは、西部地区といって、函館山の山麓に沿った一部の地区だけである。かつて、お金持ちが住んでいた場所である。海岸沿いや、平坦部にはまた違った趣がある。機会があれば、そんな建物も比較対象として取り上げたい。

かの石川啄木も、山の手に住んでいた。彼は貧乏であったにもかかわらず、ハイカラ趣味が好きだったようだ。泣き虫で、大森浜の砂山に来てはいつも泣いていたという。小生が生れた場所は、なんとその砂山の付近である。有名な「一握の砂」が生れた場所でもある。
幼少のころから、小生は啄木と親しかった。いや、もちろん会ったことはないのだが(当たり前です)、すぐ近くに銅像が建っていた。
「潮かおる北の浜辺の砂山のかの浜茄子や今年も咲けるや」(誤字有り)
こんな歌は物心が付くころからそらんじていた。どうやら小生には、今もむかしも、ことさら貧乏に縁があるらしい。(笑)

話がそれた。と言っても、山内さんのお宅(知らない人です。念のため)で、これ以上は話が続かない。明日も忙しいので、この辺で眠ることにする。

山内家住宅
 山内家住宅・外観1

山内家住宅
 外観2

山内家住宅
  外観3