Isidora’s Page
建築日誌
■旧函館区公会堂■  2005年01月17日

「ペインテッド・レディー」おめかししたお嬢さん。建築史仲間ではそんは風に呼んでいるらしい。
明治43年竣工。設計は小西朝次郎。函館市役所・土木課営繕係主任を勤めたと資料にはある。
施工は、村木甚三郎。元は高龍寺の大工。
そして、パトロンは函館の豪商相馬哲平。前々項のルネッサンスのあれである。
総工費は当時の金額で5万8000円。内、5万円を相馬哲平が寄付をしたという。かっこいい! このことは、函館では知らない人はいない。(嘘です)

とにかくケバイ。このケバイ理由について、藤森照信先生は面白い見解を出している。
箱館戦争当時、地元の町人たちは官軍ではなく五稜郭に立てこもる旧幕軍を支持していたという。その後、相馬らの地元の有力者は、戦争は負けても建物だけは負けられないという意気込みで、私財をなげうって当時日本一立派な公会堂を造った、という主旨。
うーん、本当だろうか? 
96歳で亡くなった小生の祖母は、生きていれば125歳くらいになるが、TVで新撰組を見るたびに(ちなみに栗塚旭が良かったねぇ~)、子どもの頃は新撰組がにくくてにくくて堪らなかったといのが口癖だった。いわゆる、新撰組は「悪い」人たちと教えられていたのだ。

それはともかく、このケバイ色彩にもひと悶着があった。
小生が見ていた頃は、外壁の基本色はブルーではなく、薄いピンク色で、現在黄色に塗られているボーダー部分は白という実に奥ゆかしい、控えめでやさしい感じの清楚な色合いをしていたのだ。
それが田舎へ帰ってみると、控えめだった彼女が、急に厚塗りの化粧女に変身していて「にいさん、こっち」なんて街頭で男を誘っている。 いや、これはたとえです。念のため。(笑)

昭和57年に全面改修され、創建当時のままの色にしたというが、巷ではものすごく評判が悪かった。
これは「こすり出し」という方法で、昔の塗料を探り当てた結果である。外壁の塗料をグラインダーでこすると、今まで塗り重ねられてきた色が現れる。動かしようのない証拠である。
かくして公会堂も、清楚な出で立ちから「昔のお前はこうだったんだ」と、化けの皮を剥がされる結果になった。100年近く経っても、過去が消えないのは実に可哀想なものである。

建築様式については、もう言及する必要のない擬洋風建築。
2Fの吹き放しや、突き出したバルコニーなどに、アメリカン・コロニアル風のデザインがにじみ出ている。
柱頭も稚拙で、技術屋としての小西朝次郎のセンスが疑われる、なぁ~。素人のほうがまだいい仕事をしている。ぺディメントはデンタル模様だけが本格的だが、唐草模様にはグッと来る。屋根から突き出したドーマー窓は、公共建築に多く見られる。
せっかく金は掛けたけど、うーん、いまひとつかな……。といったところだろうか。でも、小生のツボに嵌っております。(笑)

旧函館区公会堂 
旧函館区公会堂・ 外観1
旧函館区公会堂 
外観2
旧函館区公会堂 
外観 3