Isidora’s Page
建築日誌
■街の点景■    2005年01月18日


今日は仕事で中チョンボをした。(いえ、大ではありません)
やや腐っているので、もう仕事をやめた。明日だ。明日!(笑)
と言うことで、ちょっと一休み。建物から離れたい。いや、点景は建物を引き立てるためにも、なくてはならない存在です。

入船漁港。イカ釣り漁船である。
津軽海峡では、夜ともなればこのイカ釣り船(イガつげ船と訛る)が多数出て、海面には「漁火」が一直線に並ぶ。というのは間違いで、本当は一直線ではない。当たり前である。水平に見るから一直線に見えるだけで、山の上から見ると、まばらにポチポチ点在していることが分かる。
函館の朝は、この捕ったばかりのイカを自転車で「あさいがぁ~」と売り歩く声から始まる。最近ではほとんど見掛けなくなったと聞く。小生のいたころは、朝飯は毎日がイカの刺身であった。(70%本当です。残り30%は納豆。そんなバカな)
最近では、観光客相手に「イカソーメン」などと気取っている。「ソーメン」などではない。「イガ刺し」である。幼少のころ小生は、このイカ刺しが嫌いで、代わりに卵焼きをねだったものである。なんとも罰当たりなことをした。

次いで、新島襄渡航の碑
吉田松陰の海外渡航失敗を受けて、襄先生は渡航先に函館を選んだ。チェックが甘かったと言うわけだ。襄先生は、ニコライさんに日本語を教えながら国禁を破る機会を待ち、女装して船に乗り込んだ。本人は「ほっかむり」をして乗り込んだと言っているが、本当は女装していたと言うのが定説である。(そういえば、定説・定説とたわごとをいう宗教があった)
襄先生の本名は、新島七五三太。シメタと読むらしい。
渡航に成功した襄先生は、船中で「しめた」と言ったとか言わないとか。……

最後は現存する日本最古のコンクリート電柱。
地元でも、この電信柱を知らない人のほうが多い。むしろ観光客の方が良く知っている。
大正12年に建てられた。今でも現役である。電信柱といえば、昔はコールタールを塗った木製がほとんどだった。近所に、このコールタールを塗る作業場があって、昔からあの臭いには慣れていた。その後、現在の丸いコンクリート電柱に代わった訳だが、大正時代にすでにコンクリート製があったというから驚きである。しかも角錐形である。あまりにも周りに溶け込んでいるため、何がめずらしいのかも分からない。


イカ釣り漁船 
イカ釣り漁船

新島襄渡航の碑
新島襄渡航の碑

現存する日本最古のコンクリート電柱 
現存する日本最古のコンクリート電柱