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建築日誌
■旧東京帝室博物館■    2005年01月28日

「私は、ファシストではない!」と、言ったかどうかは知らないが、設計者の渡辺仁のデザイン傾向は、かなり右よりである。

昭和12年竣工。地下2F、地上2F。SRC構造。(注:鉄骨鉄筋コンクリート構造のこと。かなり丈夫)
文学、絵画、写真、映画、音楽……と、軍事色に染められなかった芸術などは一つもない。建築などはその際たるもので、そもそも権力者の茶坊主という構造は、今も昔も変わらない。偉そうなことを言っても、とりわけ、金持ちと権力者には絶対服従なのだ。(笑)

ときは昭和6年。「帝室博物館コンペ」と言う、前代未聞のコンペが行われた。
その入選作品が、これである。これを「帝冠様式」と言う。

「その様式は内容と調和を保つ必要あるを以って日本趣味を基調とする東洋式とすること」

これが、コンペ応募の規定内容である。帝国主義万歳! 女々しい西洋様式など端からお断り、と言うことらしい。
そこでお出ましの渡辺仁。「コンペの渡辺」と言う異名があるくらい、コンペに強い建築家である。
この巨大な瓦屋根は、「帝国」と言う冠を表わしている。威風堂々としたデザインは、当時の軍国主義者に推奨された。もちろん、「帝冠様式」は渡辺が発案したものではない。下田菊太郎と言う、建築界の異端児が煮詰めたものである。
下田は、辰野金吾と犬猿の仲であったらしい。西洋かぶれの辰野が、こんな、へんてこりんな「帝冠様式」など許すはずがない。
下田の話は、またの機会とする。渡辺仁である。

渡辺は、お偉方が「帝冠様式」を推奨していることは百も承知であった。
「ならばコンペにこれを採用しない手はない。いや、これしかない!」と言ったかどうか(最近、妄想が激しすぎる)、とにかく1等当選である。
日本インターナショナル建築会は、コンペ不参加。前川國男は「落選を承知して」コルビュジェばりのへなちょこ案を出した。このときに発した言葉が「板垣死すとも、自由は死せず」 あれ? 違った。「負ければ賊軍」なる、凡庸な言を吐いたのだった。 (注:コンペで落ちるときは、たいてい「落選を承知で」と後に語る。だったら、最初から出すなよなぁ~。)

とにかく渡辺先生は、コンペの達人である。自分の建築的ポリシーよりも、選考者の顔色を伺うことに秀でていた。
しかしこのデザイン、なんともおかしい。
後年の告白によれば、ジャワの絵葉書を見てヒントを得たそうである。やっつけ仕事だよなぁ~。まったく。


旧東京帝室博物館 
旧東京帝室博物館・外観1
旧東京帝室博物館
外観2

旧東京帝室博物館 
外観3