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建築日誌
■整形後・整形前■  2005年02月06日

建物の保存は、難しい問題をはらんでいる。
歴史的建造物だから、有名な建築家が設計したものだから、学術的に貴重なものだから……など、その理由は様々であるが、しばしば市民団体などがマイクを持って、たすきを掛けて、ヒステリックなまでに建物の保存を要求する様を見かける。
公共建築物は別としても、基本的に建築物は他人の財産である。いや、建築だけではない。その土地の利用価値を考えたならば、安易に建物を「保存せよ!」と要求することが、どれだけエゴであることか考えてみる。
小生はこの態度が嫌いなのだ。知った風な人間が、文化的価値を強調し、解体せざるを得ない状況にある建主の懐具合など無視して、あたかも悪人であるかのごとく糾弾する。これに建築家などが加わった日には、手が付けられない。建物を建てるときなどは、市民はたいてい反対するにもかかわらず、である。(笑)

この建物は、ヴェルデさんとの会話中に浮上したので、ちょっとUPしてみる。
「旧尼崎製罐函館工場」RC構造。3F+7F建て。現在は、ホテルとして再利用され、また「北島三郎記念館」が併設されている。
元々この建物は、大正10年に3F建ての部分が竣工され「金森洋服店」としてオープンしたもの。函館の豪商、渡辺熊四郎が建てたものである。
昭和5年になって、7F部分が増築され「森屋百貨店」として再オープン。昭和9年の大火でも焼けなかった。
「森屋百貨店」は、現在は駅前にある「棒二森屋」の前身で、函館を代表する老舗デパートである。(ボーニモリヤと呼ぶ)函館の経済は、このボーニの売れ行きをバロメーターとしていた時期もあった。今ではねぇ~。(昔、東京の友達を連れて行ったら、ポール・モーリヤと聴き間違えていた)

7F建ての方の設計者は、仁科章夫。聴きなれない人物。学会の資料では、設計者不明となっていた。ネットで調べてみる。ヒットした数は1件だった。面白い。早稲田の卒業生で、卒論で「岡山城実測図」を書いたということである。昭和2年と言うから、卒業後数年でこの建物の設計に携わったという計算である。
このデザインは、分離派の特徴を良く表わしている。垂直に伸びたペントハウス。円形窓。横連層のサッシュ。キャンチ・レバーといって、片持ち梁を利用した技術的にも相当高度な建物である。「艦船式」とも呼ばれる。小生は、幼少の頃からこれを「かっこいい!」と思っていた。

いずれは解体されるであろうと思っていたのだが、2002年にホテルとして改修された。北島三郎記念館を抱き合わせるという、鳴り物入りで生まれ変わったのだ。
「昔のままに改修した」と言うのがうたい文句であるが、小生には疑問である。どこが違うのか? 確かに形態的には、前よりも昔に戻ったようだ。(笑)
はたと気が付いた。そうだ。サッシュである。スチールから、アルミサッシュに変わっている。これだけで随分と雰囲気が変わるものだ。それから、外壁のタイル。量産タイルを使っているため深みが出ない。残念である。もう一つ工夫が欲しかった。

とは言うものの、このように古い建物が再生することはまことにあり難い事である。建物は使われなくては意味がないのだ。単に保存するだけでは、建築は成仏しない。保存保存と騒ぐお方は、ぜひともその辺を考えてみて欲しい。
整形前・整形後。どちらに軍配があるかは、人それぞれの好みである。
小生にとっては、北島三郎記念館の人気がよろしくないのが、何よりも残念である。


ホテルとして改修 
旧尼崎製罐函館工場・整形後
旧尼崎製罐函館工場
整形前
旧尼崎製罐函館工場 
整形前