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建築日誌
■不如帰(ほととぎす)■  2005年02月09日

貫一、お宮の「金色夜叉」の歌は、しばしばカラオケなどで歌われる。(誰が、歌うんじゃい!)
しかし、武男と浪子の「不如帰」は、今ではほとんど忘れ去られている。カラオケ店でも見当たらない。「愛と誠」、「織江と信介」の頃は、それでもまだ知られていた存在であった。韓流ブームの今こそ「不如帰」は見直されるべき小説である。 と、ついつい力説したくなる。(笑)

砧公園を環八沿いに北上すると、程なく「蘆花公園」が見えてくる。さほど目立たない公園だが、ここには「恒春園」という徳富蘆花の旧邸宅がある。(墓もあります)瀧口修造展の帰りに、ちょっと寄ってみた。

蘆花はトルストイにあこがれて、わざわざロシアまで出かけたという。
小生は高田渡に会うために、函館から東京へギターを抱えて家出した。
でも、青函連絡船の中で船酔いに遭い、あえなく青森で引き返した。……という落ちがつく。(笑)

そんな話はどうでもいい。徳富蘆花である。
明治40年、蘆花はここ粕谷に住んで晴耕雨読の生活を楽しんだという。当時、この辺は武蔵野の面影でいっぱいだったろう。いや、武蔵野そのものであったはずだ。
蘆花は、幸徳秋水の大逆事件の際、天皇陛下に嘆願書を出したことでも有名である。しかし、秋水は帰らぬ人に。……

かなり立派な茅屋である。茅葺ではあるが、室内はかなり広い。近代的である。田舎風ではない。立派な風呂もある。
渡り廊下を介して「梅花書屋」と「秋水書院」が隣接されている。これだけの邸宅に住んで、晴耕雨読の生活が出来るとは、「不如帰」がどれだけ売れたかを示している。だてにトルストイを崇拝していない。風呂場に蛇やかえるが出てくるのは、まあご愛嬌であろう。

「不如帰」の舞台は確か伊香保であったはず。「金色夜叉」は熱海である。どちらも温泉街。
男と女の愛には、温泉場が似合った頃の話である。

茅屋外観
 恒春園・茅屋外観

同上室内
同上室内

梅花書屋外観 
梅花書屋外観

秋水書院外観 
秋水書院外観