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建築日誌
■念仏車■  2005年02月22日

「筏道」と言うものがあるらしい。
「鯖街道」などがあるのだから、「いかだ道」があってもおかしくはないが、はて? 何のことだろう。

むかし、奥多摩で伐採された木材は、青梅や五日市などで筏に組まれ、それが多摩川を下って今の大田区六郷あたりで木場の問屋へ渡していたという。その筏師が帰りに通った道が「筏道」と呼ばれるようになった。……と言うことである。

世田谷の「喜多見」と「狛江市」との境に、この筏道が存在する。大変に幅員の狭い道である。
クリーニング屋の車が無断駐車していたおかげで、対向車と学校帰りのこどもたちが何人も並んでいた。もちろん、小生の自転車も通れない。それほど狭い道である。
しかし、こどもたちは慣れたもので、動じることなく仲間内で何かをして遊んでいた。こういうときの対処方法を、誰に教わるでもなく自然と身につけているようである。

喜多見には、氷川神社がある、その途中の筏道交差点。
ここには「念仏車」と言う面白い史跡がある。
「念仏車」とは、念仏を唱えながら廻すと、お経を一巻読んだだけの功徳があるとされる。
このような廻し車は、観音寺などにも配しているようだ。大きくて立派なものや、小さなものまで。(あとで、乱蔓さんとヴェルでさんに「マニ車 」であることを教えられた)
確か「さざえ堂」の基本理念もそうである。一巡するだけで、各札所めぐりが済まされるという。なんともご都合主義の有難いものである。

ここの念仏車は、六角形の車の各辺に「南無阿弥陀仏」と記されているものが、四角形の石柱の中に組み込んである。面白い。お手軽である。誰にでも出来る。子供にもできる。
文政四年(1821年)、喜多見卿の「女念仏講中」によって、建立されたものらしい。
念仏講は女性のみのよって構成されるケースが多いという。小生の祖母も、このような講に入っていたような気がする。今では「講」などと言うものを全く聴かない。せいぜい世間を騒がせる「ねずみ講」位である。(笑)
くるくると廻してみる。本当にお手軽に廻る。
念仏は唱えないが、家内安全を祈ってみる。ご都合主義である。
「お金が儲かりますように……」これが一番の願いかもしれない。(笑)

となりの祠には夷申塔とお地蔵さんが安置されてある。
世田谷には、このような祠がたくさん残っている。
でも、「念仏車」があるのは、ここだけではないだろうか?


念仏車 
念仏車

念仏車アップ
念仏車アップ

祠の外観 
祠の外観