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建築日誌
■鳥居考■    2005年02月26日

鳥居について、考えてみる。
神社と言えば鳥居とくるくらい、鳥居は神社には欠かせない存在である。社殿はお粗末でも、鳥居だけは立派な神社もある。
鳥居は社殿の様式が確立される以前から存在した、とも言われている。
その起源について調べてみると、諸説あって定説がない。インドのストゥーパの前にある門や、中国の華表(かひょう)がその源流だとする説。または、アマテラスオオミノカミの岩戸隠れの際、天の岩戸の入り口で鶏が止まっていたものが鳥居の始まりであるとする説。
「鳥居」と書くのだから、天の岩戸説が断然面白い。確かブリューゲルの絵だかボスの絵だったかに、鳥居の上にカササギが止まっている風景画があったと記憶している。どうやらこの形態は、世界的に見ても鳥が止まるのに都合の良い形のようだ。
……と、ここまで書いてどうにも気になったので調べてみた。
あった。やはりブリューゲル、父のほうだ。
しかし、シチュエーションが少し違っている。タイトルは「絞首台のうえのかささぎ」
鳥居だと思っていたのは実は絞首台だったのだ。
かささぎまで明確に覚えているくせに、鳥居と絞首台を間違えるとは小生の記憶力も当てにならない。(笑)
前にも書いたが、鳥居には様々な様式がある。
「様々」と言っても、様式化されているわけだから、それほど「様々」あるというわけではない。様式化される程度に「様々」なわけである。(くどい)
主なものに神明鳥居、明神鳥居、鹿島鳥居、八幡鳥居、山王鳥居、両部鳥居、三輪鳥居……などがある。
このうち、もっともスタンダードなのが神明鳥居である。柱が地盤から垂直に立っていて、笠木はまっすぐで、貫(ぬき:上から2番目にある横材のこと)は柱から突き出ない。伊勢神宮に代表される神明造りに対応するものである。
先日、喜多見にある氷川神社へ行って来た。
ここにある石鳥居は明神式鳥居である。
特に、二の鳥居が世田谷でもっとも古いものとされている。
小さいながらも、バランスの良い美しい鳥居である。
承応三年(1653年)の建立。材質は花崗岩。しかし、基礎石は安山岩であると言う。
明神鳥居は中世以降に発達したもので、その様式年代は比較的新しい。まっすぐだった笠木が両端でそり、柱は垂直でなく、転びと言って頭のほうのスパンがやや短い。まさに、鳥居の形をしている。
笠木の下に、島(しま:嶋)木と言う土台があり、陰影を強調している。また、中心にある短い柱は額束と呼ばれるものである。
柱の根巻きが1/3くらいの高さまであるのは、江戸期初期の特徴を備えていると言う。
いずれにしても、鳥居は人界と神域とを分ける結界でもある。結界には、鳥居のほかにもっと単純な「注連縄」(しめなわ)を用いられることがある。注連縄は「七五三縄」ともかく。あれ? 新島襄先生の名前ではないか。
ここの二の鳥居にも注連縄が張られている。これは、「牛蒡」(ごぼう)である。
小生の田舎では、兄夫婦が花屋をやっている。
正月になると、この牛蒡も店頭に出される。花屋なのに牛蒡とはこれいかに。昔から不思議でしょうがなかった。(笑)
「牛蒡」とは、先端の形が一方は細く一方は太いものを言う。
中央が太く、両端が細いものを「大根」。花屋では「大根」は扱ってなく、専ら牛蒡ばかりを売っていた。
ちなみに、田舎では子供が駄々をこねることを「ゴンボ(牛蒡)掘り」と言う。坊さんを「御坊」と呼ぶのと、何か関係があるのだろうか?(笑)


氷川神社一の鳥居
氷川神社一の鳥居
世田谷区で最も古い二の鳥居
世田谷区で最も古い二の鳥居
ブリューゲル「絞首台のうえのかささぎ」
ブリューゲル「絞首台のうえのかささぎ」