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建築日誌
■旧東奥義塾外人教師館■    2005年03月18日

明治34年(1901)竣工。堀江佐吉晩年の傑作である。
設計は、メソジスト伝道本部がしたというが、随所に棟梁佐吉の手腕がうかがえる。
まあ、佐吉はだまって人から言われた通りにする男ではない。(笑)

東奥義塾は、明治5年の開校であるという。
それまで藩の学校であった「稽古館」が、廃藩置県により津軽家の私的な施設として継続され、それが東奥義塾へと引き継がれた。
文明開化の余波のもと、慶応義塾にならい実学の重視を目指し、外国人宣教師を多く招聘したという。
この建物は、その宣教師の住宅である。
延べ面積280・という規模は、当時としてもかなり贅沢なあつらえである。

軒周りのブラケットや、シンプルな同蛇腹、窓の外額縁以外はさほど飾り気のない建物である。
なのに、全体的な印象はかなりド派手である。
これは、色のコントラストのなせる業なのである。
当たり前である。
当たり前であるが、やや説明が必要かもしれない。

色彩はなくとも(白・黒の無彩色でも)、ディテールを極めた(装飾過剰)建築は、ただそれだけで派手な印象を与える。
西洋では、ルネッサンス以降の建築は色彩よりも形を重視してきたために、派手な色彩はかえって蛮行のごとき扱いを受けてきた。
しかし、もともとギリシャ神殿などは、鮮やかに着色されていたとも言われている。
すっかり色あせた薬師寺の東塔ばかりを見慣れていると、新しく再建されたド派手な西塔を見たとき、現代人は少なからず違和感をおぼえる。
これを、一種の「西洋的価値観の無意識なる侵害」と小生は呼んでいる。(笑)

それはともかく、建築を外見上印象深く見せるためには、大きく分けて、形態を複雑にするか彩色によるコントラストを強めるか、のどちらかである。(動く建築などは別格)
これは小生の持論である。(長くなるので説明は省略)
後者は、比較的安価に出来る。
したがって、見よう見まねの擬洋風は後者に頼ることが多い。
色だけでも真似てやろう! この判断はまことに的確な判断である。(笑)

「色彩を派手に」と言っても、闇雲に多くの種類の色を使えばいいと言うものではない。
そこにはややテクニックが必要である。
色相には――うーん、やはり長くなるので面倒になった。(笑)
まあ、簡単にいきたい。
色の本質は、色相・明度・彩度の3つで表せる。(基本的な計画原論です)
このうち、明度および彩度のコントラストが大きいほど派手に見えると言う論理がある。(あくまでも論理。人によって違うから困る)
東奥義塾の場合、白地(薄いベージュ)に緑の彩色が基本である。加えて、レンガの赤の3色だけである。
この組み合わせは、明度比・彩度比ともに抜群である。
派手に見せるには、何種類もの色を使うより、これらの色のコントラストだけで十分なのである。
弘前市立図書館の場合は、白地に黒である。そして、屋根はチョコレートに近いレンガ色。
どちらも、かなり派手である。しかし、白地に黒(無彩色)という、明度上の反対色を使うよりも、東奥義塾のほうが彩度の対比がすこぶる激しく、より効果的に派手に見えるから面白い。ねえ、そう見えるでしょう?(笑)
これは、佐吉の年齢にも関係するかもしれない。
図書館のほうは、最晩年のものである。やや控えめにしたくなる気持ちはよく分かる。と、また勝手に思い込む。

そうそう、もともとなぜ派手にしたかったのか?
と言う疑問が、まだ残っている。
これを考えたら眠れないので、今日はこのへんで。……


旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館・外観その1

旧東奥義塾外人教師館
外観その2

旧東奥義塾外人教師館内観 
内観