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建築日誌
■ 旧岩崎家和館■    2005年05月23日

「和魂洋才」などと言う。
和の精神を持って、洋の学問を学び取ること。
明治以降、この発想が数々の傑作迷建築を生んだ。

しかし、これは小市民の発想である。
金持ちは違う。
和が欲しければ和を、洋が欲しければ洋を。両方欲しければ和と洋を同時に手に入れればいいのだ。
しみったれた理屈など不要である。

こうして出来たのが岩崎家和館。(嘘です)
洋館と同時(明治29年)に竣工した。
こちらも、撞球室と同じく廊下で繋がっている。(地下ではない)
洋館は主にゲストハウスとして使い、和館は岩崎家の日常生活に使ったと言う。
「客は洋物を見て驚くから、そっちに行かせろ! わしらはあんなところには住めやしない!」なんてことを言ったかどうか知らないが、とにかく金持ちのやることはスケールが大きい。
洋館の一部に畳の間がある現代とは、雲泥の差と言うものだ。

棟梁の名は「念仏喜十」こと、大河喜十郎。と、言うことだがよく知らない。
あまたの政財界の豪邸を施工したと伝えられている伝説の人物である。
障壁画は橋本雅邦。
残念ながら、床の間に描かれた障壁画や襖絵は、劣化がひどく色が飛んでいる。
取り壊される前は、十数棟の日本家屋があったようだ。
書院造りの大広間と、3部屋のみが残されたらしい。

濡縁の脇に写っているのは、乱蔓さんが言っていた「棗型の手水鉢」ではないだろうか?
写真は嘘を付かない、と言う嘘を付きながら(笑)確かに小生も見ていたのである。
この手水鉢は、表面を伝う水音を楽しむためのものだと解説書には書かれている。
さすがに通人である。
水琴窟ならぬ、水伝鉢である。(しゃれになっていない)
芝生ばかりが残り、申し訳程度に和風庭園が残されたのが、まあ残念と言えば残念である。


 旧岩崎家和館全景 
和館全景

和館から洋館を見上げるデペイズマンの妙味  
和館から洋館を見上げるデペイズマンの妙味

濡縁と棗型の手水鉢 
濡縁と棗型の手水鉢