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建築日誌
■外交官の家(旧内田邸)■    2005年07月03日

これぞ重要文化財!
その名に恥じない、名建築である。

設計者はJ・M・ガーディナー。
明治43年(1910)竣工。
外交官内田定槌氏の邸宅として、渋谷南平台に建設された。
平成9年に横浜市へ寄贈され、同時に重要文化財に指定される。
わざわざ自費で、渋谷から横浜まで解体移築するとは天晴れ千万な意気込みである。
いや、所有者の心をそれほどまでに動かしたこの建物は、それなりの名建築であるということだ。

ガーディナーは、立教大学の初代校長である。
34歳の頃、学校を退任し本格的に建築家の道へ進む。
ほぼ同世代に活躍したコンドル先生より5歳ほど下で、3年ほど遅れて日本へ来日している。
おそらくガーディナーは、コンドル先生をかなり意識していたものと推察する。
こよなく日本を愛したことも同じである。
ただし、一方は本格派。一方は折衷派。
センスの良さで言うならば、圧倒的にガーディナーに軍配が上がる。
でもまあ、力関係で言えば、誰もコンドル先生には楯突けないのだが。……(笑)

木造2F建て。
屋根は天然スレート葺で、外壁は下見板張り。
その他のアイテムは、ほぼ教科書通りの誂え。(でも、玄関のデザインはどうした?)
ペントハウスの腰折れ尖塔屋根がこの建物の目玉であるが、いかんせん大きさと高さのバランスが悪い。
内部は、アール・ヌーボーや、アーツ・アンド・クラフツの影響も見られる。
まあ、外交官の家らしい贅沢な建物なのだ。

函館に遺愛女子高校という由緒正しきお嬢様学校がある。
石坂洋次郎の「若い人」の舞台であることでも有名である。
その建物の本館が、数年前ガーディナーの作品であることが判明した。
と同時に、重要文化財に指定される。
それまでは、ヴォーリズ事務所の設計ではないかと言われていたのだが、作者不詳として、文化財にも指定されていなかった。(出てきた資料は、事務所の領収書などであるらしい。)
物の価値観とはこういうものである。
これが、たとえば下請けが全部やったとしたら相手にされない。当たり前である。
でも、仮にガーディナーがヴォーリズに丸投げしていたら……と、考えると面白い。
いや、こんな考えは不謹慎で、単なる妄想とお考えください。(笑)

外交官の家(旧内田邸)
外観その1
外交官の家(旧内田邸)
外観その2
外交官の家(旧内田邸)
外観その3
食堂
食堂

主寝室
主寝室

階段室 
階段室