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建築日誌
■旧小出邸■    2005年09月03日

清家清が〈違いが分かる男〉であるならば、堀口捨巳は〈違いを創る男〉である。

と、1970年代のコーヒーのCMを引き合いに出しても、分からない人には分からない。
建築家がTVに露出し始めたのはこの頃で、少年時代の小生は、もしフォーク・シンガーになれなかったら清家清のような建築家になろう……と、本気で考えていた。(笑)

で、今の小生がある。
あいにく、フォーク・シンガーでもなければ建築家でもない。
国会議員でもなければ、IT長者でもない。一介の技術屋である。ちっぽけな技術屋である。
たまに雨漏りのする建物を設計するダメ人間である。今まで何杯ものコーヒーを飲んできたが、ブルマンとキリマンジャロの〈違いさえ分からない男〉……(笑)

大正14年(1925)竣工。
もともとは文京区西片に建てられた。
平成10年、江戸東京たてもの園に復元。
設計者は、堀口捨巳。
人気は前川國男邸とまでは行かないが、実質的な堀口捨巳の処女作品として、身震いするほど貴重な作品である。

堀口捨巳といえば、わが国最初の近代建築運動「分離派」を起こした、帝大卒業生6人衆の重鎮である。
分離派とは、「我々は起つ、過去建築圏より分離し……」とあるように、セセッションに影響されて出来上がったものだ。
しかしながら、多くの建物のデザインはどう見ても「表現主義」に近かった。(笑)
この小出邸は、初期の堀口の「分離派」の思想にもっとも近い、記念すべき作品だと小生は思っている。いや、小生が思っているだけであること言うまでもない。(過去の建築圏より分離されていない)分離派的な作品。
どう考えても、近代日本の建築運動なるものは、所詮ヨーロッパのモノマネズムにすぎないのだ。

この外観を見ると、洋風なのか和風なのか、一見してよく分からない。
シンプルな外観に大きなサッシュの構成は、デ・スティールの影響を強く感じるが、良くみると和風のイメージから脱却できていない。
大きな宝形屋根に、ハリボテのセセッションン。
清家清の時代と違って、この頃はまだまだ住宅といえば「和風」だったのである。
そういう意味において、小出邸は見事な和洋折衷様建築である。
内部は、応接間以外はクライアントの生活を考えて、典型的な近代和風のモデルハウスである。

ああ、早すぎたゼセッション!

堀口捨巳は、確かに違いを創った男なのである。

旧小出邸 旧小出邸外観

やや遠景
旧小出邸・やや遠景(宝形屋根とサッシュとの組み合わせが見事)

近代和風的な玄関
近代和風的な玄関

モンドリアン風応接間
モンドリアン風応接間

鶯張りの和室
鶯張りの和室

 小屋裏のハイ・サイドライト
小屋裏のハイ・サイドライト