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建築日誌
■旧水海道小学校■    2005年10月03日

水戸へ行った第一の目的は、これである。
偕楽園でもない、弘道館でもない、水戸芸術館でもない、もちろん黄門様生誕の地でもない。(笑)
ひとえに、この本格的な擬洋風(?)が見たかったためである。
小生は擬洋風が大好きである。
いや、惚れている。
結婚するなら、こういう人と結婚したいと、常々思っている。(意味不明)

竣工は明治14年(1881)。
木造2F建て。
もともと水海道市栄町にあったものを、昭和47年に水戸市へ移築した。
茨城県立歴史館の敷地内である。
設計・施工は羽田甚蔵。
甚蔵は、水海道の宮大工の棟梁である。
この建物を着工するにあたり、当時三十代の甚蔵は、わざわざ横浜まで西洋風の校舎を見学に行ったということである。
まだ、写真など普及されていない時代のこと。
甚蔵は、絵筆をなめなめ、新奇な建物の図柄をスケッチしていったに違いない。

その成果がこれである。
新奇である! いや、珍奇である!
一見すると西洋建築だが、よく見るとなにかが違う。
でも、一体なにが違うのだろうか?
ちゃんと建物はシンメトリーで、車寄せもあり、列柱もあり、バルコニーもある。
おまけに、西洋建築特有のシンボル塔も聳えている。
これはれっきとした西洋建築ではないか!

と、当時の人は絶賛したに違いない。
甚蔵本人もさぞかし満足であったろう。
これが、文明開化なのだ。これが、ハイカラなのだと。……(笑)

しかし、現代の目でから見れば、どう見てもおかしいのである。
これは、この建物に限ったことではない。
甚蔵が見学した横浜などにも、擬洋風はあちこちに建てられていた。
というよりも、もともとわが国には擬洋風しかなかったわけだ。
地元の大工は、西洋の建築工法など知るすべもないし、材料もよく知らない。
とにかく、見よう見まねで西洋建築の意匠的特徴を模倣した。
うまく真似たつもりでも、どこか勝手な違う。
分からないところは瓦を葺いた。
瓦を葺くと鬼瓦がはずせない。そう、これで雨漏りは大丈夫だ。(笑)
破風は唐破風ではないようだが、一体何であろうか?
柱の上には饅頭のような頭が付いているが、これも何のためにあるのだろう?
そうだ。塔だ! 塔を付ければいい。
でも、あんなにとがった屋根じゃへんてこりんだ。
丸くしよう。唐破風のようにまるくすればかっこいい。
となると、欄干は、松だろう。松は得意だ。
いや、松以外のデザインは考えられない。……

と、試行錯誤の結果が擬洋風である。(笑)
もちろん、本格派を目指すエリートたちは揶揄をする。
でも、泣く子と流行にはかなわない。
擬洋風は(当時は、あくまでも洋風の意識だったはず)、瞬く間に地方の棟梁たちの心をキャッチしたのだ。
(注:半分くらい、想像が混じっております。)

この水海道小学校は、擬洋風の中でもかなり際立った擬洋風である。
松本の開智学校が横綱であれば、山梨の舂米(つきよね)学校とともに大関である。
チューリップ・ハットのような塔は「鼓楼」と呼ばれ、ここで太鼓を鳴らして授業の始まりを知らせたという。
内部には、これもハイカラの代名詞である「ステンドグラス」が使われている。
まったく、いい仕事をしている。
随所に宮大工としての技が光っている。


旧水海道小学校 
旧水海道小学校・正面外観

側面外観
側面外観

鼓楼のアップ
鼓楼のアップ

外観(裏側)
外観(裏側)裏は表と違い、ややトーンダウンしている

内観(玄関)
内観(玄関)ステンドグラスがかっこいい

急勾配な階段""
急勾配な階段

遠景
遠景