Isidora’s Page
建築日誌
■五重塔(池上本門寺)■    2005年11月08日

日蓮様は、ベンガラがお好き。(笑)
か、どうかは知らないが、この五重塔も実に鮮やかである。
カエデはようやく色づき始めたばかりだが、蒼天に聳えるそのお姿は、さながら紅葉を見ているよう。

この五重塔、慶弔12年(1607)の建立となる。
その縁起によると、二代将軍秀忠公が15歳のころ、悪性の疱瘡にかかったと思いたまえ!(って、誰に言っている)
そこで、熱心な日蓮宗の信者である乳母が、病気平癒の祈願を託し、その甲斐あって秀忠公はまもなく快癒し、将軍におなりになったとおぼしめせい!(だから、誰に言ってるんだよ)
まあ、それと交換に、あわせて武運長久を祈って(おうおう、近々こういう時代が戻ってくるぞ!)、必ずしも日蓮宗の教義には必要ない、五重塔を寄進されたとのこと。
普請奉行は幕臣の青山伯耆守忠俊、棟梁は幕府御大工の鈴木近江守長次。
まさに、幕府を挙げての国策事業であった。

面白いことに、この時期に集中して、系列会社、いや、系列寺院に五重塔の建立ラッシュがおこったとされる。
むべなるかな。不受布施派とはいうが、いろんな一派があったようで、まあ「泣く子と資本家には勝たれない」ということでして。(笑)

それはそれとして、この五重塔、それなりに面白い建物なのである。
五層のうち、始めの層は「和様」造り。二層以降は「唐様(禅宗様)」造り。
これは、垂木(たるき)の掛けかたを見ればすぐに分かる。
初層は、平行垂木といって、軒先に対して垂直に伸びているでしょ。二層以降は、扇垂木といって、隅の垂木が扇状に伸びている。
ロマネスクからゴシックへの移行期みたいに、ここにも様式の進化過程が見られる。(簡単に言えば、お上から言い付かった設計変更ね。担当者はかったるい!)

初層の中備(なかぞなえ)には、十二支を模った「蟇股(かえるまた)」がはめ込んである。これは、各方角に見合った干支が配置されているはずだ。

全体的に、プロポーションは良くない。
これは、初層と最上層との逓減率が少ないために、ほっそりとしているが棒のように見え変化に乏しい。
おまけに、相輪が短く少々物足りない。
この傾向は、時代が新しくなればなるほどに顕著である。

法隆寺の五重塔を見たまえ!
って、あれはあれで、デザイン重視・構造無視の典型で、仕方なくつっかえ棒がしてあるが。(笑)

 
五重塔(池上本門寺)全景

軒先見上げ
軒先見上げ(初層と二層以降の垂木に注意)

十二支の蛙股 
十二支の蛙股