Isidora’s Page
建築日誌
■日本煉瓦製造上敷免工場史料館■    2005年11月26日

深谷といえば、深谷ネギである。
先日、わざわざ深谷までネギを食べに行った。
というのは真っ赤なうそで、小生はネギは大嫌いである。(笑)
生姜はもっと嫌いである。
この世にネギと生姜がなければ、どれほど安心して食事が出来ることだろう……、と心から思う。
ネギは細切れにされない限り、ネギの格好をして調理されるからまだ罪は軽いが、生姜はその正体を隠して食事に紛れ込むから悪質である。(これを隠し味という)
ああ、ゆるせない! 
生姜とネギは悪玉の親分と子分である。
(うーん、仕事の指示が来なくてイライラしてるのよ/笑)

で、深谷である。
深谷は悪玉のネギを産するほかに、かの澁澤榮一を産した町でもある。
血洗島。
何ともおどろおどろしい地名であるが、それは澁澤のせいではない。(笑)

その深谷市には、ネギと澁澤榮一のほかにもう一つ有名なものがある。
それは「煉瓦」である。
でも、レンガは悪玉ではない。(いや、澁澤を悪玉といっているのではありません。念のため。/笑)
驚いたことに、深谷の駅に降り立つと、ものすごく立派な駅舎が堂々とレンガで建てられていた。
真新しい。新品である。
でも正確にはこれはレンガ造ではなく、RC造にレンガの化粧を施したものである。
深谷はネギと手を切って、化粧されたレンガとの新しい蜜月を始めようとしているのだ。(笑)

日本煉瓦製造上敷免工場史料館。
明治21年(1888)竣工。
設計はナスチェンテス・チーゼ。
施工は清水組。(澁澤からみ)
木造平屋建て。
どうしたわけか、基礎以外は煉瓦造ではない。(笑)

深谷と煉瓦は罪が深い。いや、縁が深い。
そもそもの始まりは、明治政府がベックマン(エンデ&ベックマンのあの人)を招聘した時から始まる。
政府の肝いりで計画された「大官庁集中計画」では、まずその材料となるレンガが必要とされた。
過去にもレンガはあったが、大量の生産と品質を保つためには新しい工場が必要なのである。
そこでベックマンが目をつけたのは澁澤榮一、いや、良質のレンガに向いた土を産出する深谷であった。(笑)
ベックマンはレンガ製造技師のチーゼをここにおき、令嬢とともに平和に暮らさせた。

その事務所兼自宅が、この建物なのである。
日本煉瓦製造の敷地内にある。
今は史料館として使われている。
白い下見板張りの、品のいいスティックスタイルまがい(?)の建物である。
なぜに煉瓦造としなかったか?
そこはそれ、娘と暮らすのですから、あの、その、娘の意見も聞かないと。……
と、言ったかどうだかは不明だが、とにかく簡素な美しい建物に仕上がっている。
切妻破風の玄関を持ち、棟には鬼板を乗せ、星印の飾りを付けている。
裏側はバンガロー風に改造されたとも言われるが、大きな開口部と軒の歯飾りはセンスがいい。
側面の庇も、軒を深く作り、上端に乗せたデンテルがちょっと工夫されている。
なかなか良いではないか!
清楚である。可憐である。可愛いのである。
さぞかしチーゼさんのご令嬢は、フリルの似合う素敵なお嬢さんだったに違いない。

日本煉瓦製造上敷免工場史料館 
日本煉瓦製造上敷免工場史料館・外観(正面)

外観(裏側)
外観(裏側)

庇 


左アングル
左アングル

 全景
全景

 玄関アップ
玄関アップ