Isidora’s Page
建築日誌
■誠之堂■    2005年12月5日

さて、もう一人の元カノを紹介したい。(笑)
誠之堂である。
こちらの建物は、澁澤榮一翁の喜寿を記念して建てられたもの。
清風亭に比べて、やや古風である。
田園的である。
当時の建築概要には「英国農舎に国風を加味し支那朝鮮の手法に案配せり」とある。

大正5年(1916)竣工。
レンガ造平屋建て。
設計は、当時清水組(清水建設)の技師であった田辺淳吉。
田辺は、飛鳥山の青淵文庫や晩香廬も手掛けている。
とにかく、ものすごい逆光で写真が思うように撮れなかった。
一番美しいアングルからの撮影を拒否されたかの観がある。
ダメ、撮っちゃ。
うぅー、そんな風に言われてみたい。(笑)

誠之堂と清風亭が、ここ深谷市へ移築されたのには訳がある。
平成9年9月30日。
深谷市教育委員会に一本の電話が入る。
「澁澤榮一翁の記念碑が、今にも撮り壊されようとしている……」
電話の主は分からない。
市教育委員会は緊急会議を開き、翌日(10月1日)すぐに市長が世田谷区に急行した。
この2棟は、すでに取り壊しの準備に入っており、タバコをくわえた解体業者がネットを張っていた。
取り壊し予定の5日前の出来事。
工事はすぐに中止され、めでたく澁澤榮一生誕の地、深谷市へと移築されたのである。(パチパチ)

誠之堂の名前の由来は、儒教の経典「中庸」の一節にちなんだものであるという。
「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」
うーん、分からん。(笑)

田辺の言葉を信ずるならば、この建物は「取りたてていえば、凝らない工夫をした……いわゆる上等仕事として歓迎されている技巧のすべてを除いた」とある。
これは、建築家特有のおべんちゃらである。(笑)
銀行関係者有志の寄付による建設ゆえ、♪お金はだいじだよぉ~ という具合に、質素を強調したものであろう。

田辺の弁を裏切るように、建物は凝りに凝ったものである。
まず、妻側の外壁には煉瓦で「喜寿」と朝鮮風に書かれた贅沢な遊びが見える。
屋根から飛び出したドーマー・ウインドウは、実際は機能していない。
天井裏に隠れていて、明り取りはダミーなのである。
これは、シンメトリーを強調するための、単なる飾り物。

外壁煉瓦はフランス積みであるが、濃淡の混じった煉瓦を使いリズミカルに配している。
均一な焼き上がりの煉瓦を用いることを「上等仕事」といい、あえて上等にしなかったのよと訴えながらも、上等以上の仕事をする。
うーん、さすが大建築家先生である。(笑)

内部のステンドグラスも上等以上である。
中国風の「画像石」という図柄であるという。
澁澤といえばドラコニアである。
龍の図柄も忘れてはならない。

玄関天井部には、ハーフチンバーが採用されている。
これは「晩香廬」ですでにお馴染みである。
出窓のある次の間の天井は「網代天井」。
こうしてみると、やはり凝った印象が拭いきれない。
いや、充分凝っている。
もちろん凝らなきゃね。
いくら凝ったって、肩は部下が揉んでくれるんだから。(笑)

風見鶏のある外観 
誠之堂・風見鶏のある外観

ベランダを覗く
ベランダを覗く

「喜寿」の文字 
「喜寿」の文字

 ドーマー・ウインドウ
ドーマー・ウインドウ

「画像石」
「画像石」(ステンドグラス)

「ドラゴン」
「ドラゴン」(ステンドグラス)

大広間内部
大広間内部

玄関内部(ハーフチンバー)
玄関内部(ハーフチンバー)

内観(網代天井)
内観(網代天井)