Isidora’s Page
建築日誌
■江戸城天守台■    2006年1月24日

ホリエモン始め、ライブドア関連の取締役らが軒並み逮捕された。
株の時価総額を、会社の資産価値のほとんどとする企業にとって、これは致命的である。
ライブドア陥落である。落城である。
世間は、手のひらを返したようにホリエモン攻撃に向かっている。(笑)

そういえば「こんな会社はエンロンと同じだ。」とずいぶん前に言っていた塩爺ぃの言葉を思い出す。
そのときも、頭のいい誰それは、塩爺ぃの言葉に苦笑していた。
年寄りの言うこともたまには聞かなくてはいけない。
「ほら、見たことか!」
熱烈に傾倒していた若者達の間でさえ、このような発言が目立つ。
クールというか、アホというか、考えていないというか。……
まあ、世論というものは、昔も今もこんなものなのである。(笑)

さて、江戸城である。(何の脈絡もございません)
江戸城は、かつて徳川のお殿様がお住まいになっていた。
今では、天皇陛下のお住まいとなっている。
主が変われば、昔の主のことなど忘れてしまうのが世間の道理である。(笑)
これは、新しい恋人が出来れば、昔の恋人のことを忘れるのと同じである。
今では、いつまでも忘れないとストーカーと呼ばれ逮捕されかねない。
世間は、何事も忘れる方向へ、忘れる方向へと傾いている。
これ、世の道理である。(いえね、忘れやすいのを言い訳しているのではないのです/笑)

天守台は、その名のごとく、天守閣が建っていた台のことである。
始めの天守閣は1607年、二代将軍秀忠の代に完成したという。
その後、1638年三代将軍家光の代に、国内でもっとも大きな天守閣が完成される。
外観は5階建てで、内部は6階建ての、地上58mもの高層ビルであった。
と、解説に書いてある。(いや、脚色してます)
それも、わずか19年後の1657年に全焼して、以後、江戸城の天守閣は再建されていないという。
政権が安泰して、わざわざ天守を造る必要がなかったのであろうか。……

この天守台は、桃華楽堂のすぐ前にある。
かなりな急勾配の石垣である。
余りの綺麗さに、機械を使って削り出したのかとさえ思ってしまった。(笑)
「切り込みハギ」と呼ばれる工法であるという。
新しい時代の流れに沿った工法。
新しい時代の流れ……
かつてボブ・ディランは「時代は変わる」と歌っていた。
しかし時代どころか、彼自身も変わってしまった。
ホリエモンは時代の寵児であった。
少なくとも、先々週まではそう思われていた。
今後、彼はどう変わるのであろうか?
天守閣のように、残せる土台があるのだろうか。……

江戸城天守台 
天守台外観(その1)

天守台外観(その2) 
天守台外観(その2)

天守台正面 
天守台正面

天守台アプローチ
天守台アプローチ

天守台の上から
天守台の上から

ディテール
ディテール