Isidora’s Page
建築日誌
■東京銀行協会ビル(旧東京銀行集会所)■    2006年02月21日

明治時代の女賊として有名な「雷お新」の全身には、泣く子も黙る見事なカラクリモンモンが彫られていた。――

と、大変突然ではございますが、先週は風邪を引いて寝ておりました。
いや、寝ていられるほど余裕のある身分ではございませんので、寝ているようで、寝ていられないと言う、なんともつらい日々をすごしておりました。(笑)
食も進まず、頂き物の無添加天然果汁満点の「みかんジュース」で生きながらえておりました。(笑)
まだ、すっかり良くなったとは言えませんが、おかげさまで、何とか、はい、この通り、元気を取り戻しつつあります。
皆様方には大変ご心配をおかけいたしまして、恐縮に、思っておる、次第で、ご、ご、ざいます。……
(って、誰も心配なんかしていない)

で、雷お新である。(笑)
お新は、今で言う極道の妻の先駆けであり(誰の妻かは知りませんが)、多くの手下を引き連れて極悪非道の限りをつくしたと言われている。
美貌を武器にして、男を引っ掛け、宿に引き連れては「ほうれ、ご覧なせえ~」と背中の刺青をみせて金品を巻き上げる。
かの伊藤博文もその被害を受けたと言われている。

そのお新、何を思ったか「あたいが死んだら、背中の皮をはいで、刺青を標本にして、保存しておくれ!」と、遺言を残したそうである。
誰に残したのかは定かではない。
定かではないが、刺青の標本が残ったのは紛れも無い事実である。
この刺青は大阪医科大学に保存され、度々衛生博覧会に出品されたと記録にはある。

そういえば、昔「ブラック・ジャック」というマンガで、やくざの親分の刺青を傷つけずにメスを入れて手術をすると言う話があった。
また、上野の国立博物館にも、刺青の標本があったと言う。
どこかの雑誌で見たような見なかったような。
探せば本棚のどこかにあるような気もするが、面倒なので探すのはやめておく。


さて、本題である。
東京銀行協会ビル。
地上20F、地下4F。
平成5年(1993)竣工。
S造、一部SRC造。
最高高さは88.2m。
設計は、天下の三菱地所。
泣く子も黙る、超高層インテリジェント・ビルヂングである。(笑)

しかし、この建物どこかへん?
足元になんだか古めかしい様式建築がへばりついている。
はて、なんだろう?
なんだかおかしい。……
と、白々しい解説はやめにするが、これは「東京銀行集会所」のファサードが新しいビルの足元にへばりついているのである。
これは、有識者が集まって、なんとか「東京銀行集会所」を保存したいと考え出したもの。
その結果、雷お新の刺青のような薄皮一枚だけを剥ぎ取った、外観ファサードの保存に成功したのだ。
全く、人類は、時に素晴らしい解決策を考案するものだ。(笑)

「東京銀行集会所」は、大正15年(1916)の竣工。
設計は横河工務所である。
横河工務所は、かの横河民輔が創設した会社。
横河は、日本初の鉄骨構造学を開講した天才である。(佐野利器は、後に横河の講義を受けたとされる)
実際の設計は、松井貴太郎が担当している。
松井は近々取り壊しの憂き目に会う「三信ビル」や「日本工業倶楽部会館」なども手がけている。
ルネッサンス的なデザイン要素で骨子を飾り、他はフリースタイルのピクチャレスクな意匠。
まさに、近代建築の大いなる遺産である。
これを取り壊すわけには行かない。
しかし、そのまま残したのでは採算が合わない。
どうしたらいいのだろう? ワトソン君。
と、考えあぐねていたら雷お新が思い浮かんだ。
そうだ! わかった! これしかない!
ユリーカ!ユリーカ!
ってな訳で、薄皮一枚の「刺青ビル」が誕生した。
世間ではこれを、大いなる「かさぶた建築」とも言うのである。(笑)

建築を保存する方策として、いかがなものか?
と疑いたくもなるが、この方法、案外評判で第二・第三の刺青建築を生むこととなった。
「あたいが死んだら、ファサードだけ残して、保存しておくれ!」
最近では、このように遺言を残す建築があとを絶たないという。(笑)

 
東京銀行協会ビル(旧東京銀行集会所)・全景
ファサードアップ 
ファサードアップ

ファサードと新館 
ファサードと新館

斜めアングル(その1)
斜めアングル(その1)

斜めアングル(その2)
斜めアングル(その2)