Isidora’s Page
建築日誌
■西本願寺 唐門■    2006年06月12日

「どんなものにも顔がある。
 グラスの底に、顔があったっていいじゃないか!」

と、言ったのは、かの岡本太郎である。
まだゲイジュツが爆発していた頃の言葉で、当時は一家に一つ、顔のグラスがあることがステータスシンボルとなっていた。(うそ)

顔には表もあれば裏もある。
グラスの底にだってあるくらいだから、表と裏があるのは、当たり前田のクラッカー。(古い)
十二面観音なんて、顔が十二個もあるのだから、どれが表で裏なのか定かではない。
そもそも、顔を表と裏とに二分することがナンセンスなのである。
やはり岡本太郎は正しかった。
谷崎潤一郎も岩井志麻子も、いたるところに人面瘡を抱えているし。(笑)


さて、門である。
門といえば、神社仏閣の顔である。
いや、顔だと小生は思っているが、これは門に聞いて見なければ分からない。(笑)
神社には別に鳥居がある。
門よりも、こちらの方が象形的に門に近い。
これを、近松門左衛門という。……
ん? ケーシー高峰ふうダジャレ、今時これでは笑えない。(笑)

表と裏を考えてみる。
お寺さんの門は、方位や場所や、用途によって名前が違う。
平安時代までのお寺さんは、南向きに伽藍が配置されていたので、正面の門を南大門と言った。
そもそも日本語では、南のことを「表」という。
となると、当然北側は「裏」である。
古代のお寺さんは、回廊でぐるりと周囲を囲んでいた。
東側には「東大門」、西側には「西大門」。
東大と西大では、明らかに東大が格式が高いが、この場合はどうなのだろうか?(笑)

他に、面している「通り」にちなんだ名前が付けられた。
「朱雀門」とは、朱雀大路に面していたからこの名前が付いた。
東大とくれば「赤門」である。
これは、赤い色をしているから付いた俗称である。
では、黒門町には黒い門があったのだろうか?
と、お定まりの疑問が浮かぶ。
黄色い門の中で育ったから、水戸のご老公は黄門様と呼ばれたらしい。(うそ)

で、表と裏であった。
門を見るとき、回廊の外側が表なのか、はたまた内側が表なのか?
これを考えると夜も眠れない。(笑)
聖域から外に対して、顔を持つのか?
それとも、あくまでも聖域の内側に顔があるのか?
外の顔と内の顔、どちらが本当の顔なのか?

これは、門のデザインを考えるとき、必ずといっていいほど迷うことである。
果たして、どちらを豪華にデザインすれば良いのだろう?
結論はきわめて簡単だった。
この西本願寺の唐門のように、どちらも豪華にすれば悩まなくていいのだ。(笑)

西本願寺、唐門。
桃山時代。御影堂門を、元和4年(1618)に移築改造。
国宝。四脚門。

西本願寺 唐門 
西本願寺 唐門・外側の顔

内側の顔
内側の顔

扉のアップ 
扉のアップ

斜めアングル 
斜めアングル

見上げ 
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