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建築日誌
■西本願寺 伝道院■    2006年07月04日

奈良の法隆寺は、遠くギリシャのパルテノン神殿の流れを汲んでいる。……

昔、こんなとんでもない仮説を立てた学者がいた。
法隆寺の柱のふくらみが、なんとパルテノン神殿の柱のふくらみ(エンタシスと言います)とそっくりだと、博士は胸を張って言うのである。
その名も、伊東忠太博士。
建築界の妖怪、いや、建築界の幻獣博士である。(笑)

この仮説、まるで我が恋人のヒップラインが、遠くエリザベス・テーラーのそれとそっくりだとする論理にも似ている。
ん?(笑) 
……が、しかし、とにかく忠太はそのヒップラインの解明のため、いや、そのとんでもない仮説の立証のために、中国・インド・ペルシャあたりを驢馬にまたがりテクテクと旅をした。
今から百年以上も前のこと、わが国の建築史研究は、ここから始まったと言っても過言ではない!
残念ながら、恋人とエリザベス・テーラーとのつながりは見つからなかったものの、この旅は、後の日本建築界に大きな成果を残すこととなった。
そう、とんでも建築家・伊東忠太という化け物を生むこととなったのである。(笑)


伝道院(旧真宗信徒生命保険)
明治45年(1912)竣工。
設計は伊東忠太。
施工は竹中工務店。
レンガ造、2F建て。

西本願寺と堀川通りを隔てた反対側の通りを進むと、この奇妙奇天烈な建物がすぐに見つかる。
……いや、見つかるはずだったのだ。(笑)
しかし、あいにく建物はすっぽりと仮設小屋で覆われ、改修工事の真っ最中であった。
親鸞聖人750回大遠忌法要を前に、本願寺は大々的な修復作業に入っているのだ。
ああ、何たることか!
わざわざ京都までこれを見学に来たというのに。……(注:もう大分前のことです/笑)
これを見ずして、忠太は語れない。
ああ、まぶたの母よ!
「こうして両目を閉じりゃ、まぶたの裏に、しっかりとやさしい母の顔が……」

こっそりと仮設小屋に入って、少しだけ中を見学させて頂いた。
スリッパが用意されてあったから、どうやら立ち入り禁止ではなさそうだ。
反対側にある、メインのアラセン朝ドームも、幻獣たちも見られなかったが、何とか六角形の塔が見られた。
赤いレンガ造に、白石のバンドは、辰野金吾がお得意とした(辰野式とも言われる)ヴィクトリアン調ゴシックである。
窓は変形火頭窓。所々に変なデザイン。(笑)

これは、ルネサンスとアール・ヌーヴォーとインドとペルシャとギリシャとゴシックと法隆寺を混合したハイオブリットなデザインなのである。(笑)
全貌をお見せできないのが残念だが、こういう風景も滅多に見られないからまあ良しとしてください。

西本願寺 伝道院改修中の外観(その1) 
西本願寺 伝道院・改修中の外観(その1)

改修中の外観(その2)
改修中の外観(その2)

改修中の外観(その3) 
改修中の外観(その3)

地下室入口(?) 
地下室入口(?)