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建築日誌
■旧露亜銀行(警友病院別館)■    2006年10月31日

いぶし銀の魅力がある。
いや、いぶし銀っと言ったって、実際どんな銀なのかよく知りませんが。……
とにかく、いぶし銀(らしき)魅力を感じる建物なのである。(笑)
神奈川県庁から中華街へ歩く途中、この建物は大地にどっかりと腰を据えている。
いや、大地に腰は据えているものの、建物はボロボロである。
これでは、観光客は誰も目を留めない。(いや、2、3人は立ち止まってみるかも?/笑)

大正10年頃(1921)竣工。
設計はバーナード・マイケル・ウォード。
施工者は不詳である。
RC造(一部煉瓦造)3F、塔屋1F。
設計者のウォードは、イギリスの建築家である。
よく分からない。
横浜に何棟か実績はあるらしいが、みんな震災等で消失したものと思われる。
この建物は、見事倒壊から免れたもの。

デザイン的には、完全なるシンメトリーに計画された、重厚かつ劇的なネオ・バロックである。
圧倒される!
押しつぶされる!
みなさん! キケンなので、建物には近づかないでください。(笑)
正面ファサードは、玄関のぺディメントを中心に、2Fにはイオニア式のオーダーが配される。
この柱頭のデザインが又凝っていて、面外にせり出した本格的なもの。
キーストーンと一体になった窓台など、大振りで、どことなく表現主義っぽいなぁ~。(笑)

側面も、ほぼ同じデザインで統一されている。
1F基壇部は、彫りの深い花崗岩を積んだもの、あれ? やっぱりそうか。
石を積んだと思わせているが、実はこれ、左官材で塗りこめられたもの。
どうりで剥落が激しく、ネットで保護はされているものの、痛々しくてかわいそうである。
本格的なデザインなのだから、もっとお金を掛けて造れば良かったのに。(笑)
いや、震災で外壁が損傷したと記録があるから、或いは始めは石貼りだったのかもしれない。

もともとは、外資系の露亜銀行横浜支店として建てられたもの。
震災後はドイツ領事館、法務省入国管理事務所、警友病院別館と、渡り鳥生活を余儀なくされる。(笑)
大正15年には、同じくアメリカの建築家J・H・モーガンの事務所にもなった。(参照1、参照2)
現在、警友病院は移転し、建物は無人のままひっそりとしている。
横浜市の歴史的建造物にも指定されているので、取り壊されずに使用されることを切に願う。
そうだ!
小生が事務所として借りようかな? (ウソ/笑)

旧露亜銀行(警友病院別館) 
旧露亜銀行(警友病院別館)・正面

旧露亜銀行(警友病院別館)
2Fにはイオニア式のオーダー

旧露亜銀行(警友病院別館)
凝っている柱頭のデザイン

旧露亜銀行(警友病院別館)
側面
旧露亜銀行(警友病院別館)
キーストーンと一体になった窓台

旧露亜銀行(警友病院別館)
石積み風外壁