Isidora’s Page
建築日誌
■京都ハリストス正教会会堂■    2006年11月17日

ジャックの塔、キングの塔と続けば、次はくクイーンでであろう……
と思われたお方には、恐縮でっす!
とある事情がありまして、この日は女王様にお会いすることは出来ませんでした。
どうせ幸せにはなれないのだし、なんだかいじめられそうなのでそそくさと帰ってきました。
小生はどうも、女王様とは肌が合わないらしい。(笑)
で、急遽、横浜から京都へ飛びます。
とびます! とびます! の坂上二郎さんもお元気な様子で、何はともあれ京都です!!

11月の京都といえば、まずは紅葉です。
紅葉といえば尾崎紅葉!
と、受けないギャグを考えつつルンルン出かけてみたが、……なにぃ~!
紅葉どころか黄葉さえも見当たらない。(座布団一枚!)
地球温暖化の影響はここにもあったか?
これでは幸田露伴も浮かばれまい。(意味不明)

京都ハリストス正教会会堂。
竣工は明治36年(1903)。
設計は松室重光。
施工者不明、木造平屋建て。
ハリストスとはギリシャ語の「クリストス」、すなわちキリストさんのことをロシア語風に発音したものであります。
注:「クリストス」(キケンなので、早口言葉はおやめください!)
昔々(大雑把)、ニコライ堂で有名なニコライさんが函館にやって来て、以来日本各地でロシア正教の布教を行う。
京都市内での伝道は明治22年になるというから、この教会堂は何と伝導後14年で建立されたことになる。
なんとも、早い!
あの青函トンネルでさえ、構想後60年以上も過ぎてから完成したというのに。(笑)

明治33年のこと、ニコライさんが建築家の松室を呼びつけ、手元にあった礼拝堂の設計図を渡し、これを元にこの教会堂が完成したと日記には書かれている。
松室重光は京都府庁舎を設計した人物であり、辰野金吾に学んだわが国建築家の第二世代の大家である。
エリートである。
本格派である。
しかしながらにして、まだこの時期は建築の世界も未熟であり、しかもビザンチン建築なんか未知の世界であった。
彼は幾分オリジナルの発想を加え(笑)、見よう見まねでこの世紀の大傑作を世に生んだのだ。
ビザンチン様式にゴシックを混ぜ、怪しげな唐草模様で柱頭を飾る。(笑)
なんとまあ、たまねぎドームが素敵ですねぇ~。
以後、大正から昭和初期にかけて、河村伊蔵が各地に手がけた正教会聖堂の雛形となったものである。
神田のニコライ堂を別格とすれば、これは関西地方の中心的な正教会の聖堂であるという。(ふーむ)
ちなみに、函館のハリストス正教会も、河村伊蔵が手がけています。

内部を見られなかったのは残念だが、帝政ロシア時代にモスクワで描かれた『最後の晩餐』などのイコンが飾られているという。
残念でならない。
暇を見て、今度また「イコン」っと! 
なんて。(笑)

京都ハリストス正教会会堂
京都ハリストス正教会会堂

京都ハリストス正教会会堂
側面

京都ハリストス正教会会堂
正面玄関

京都ハリストス正教会会堂
斜めアングル

京都ハリストス正教会会堂

京都ハリストス正教会会堂