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建築日誌
■旧函館博物館二号■    2007年02月02日

かつて北海道は、三つの県からなっていた。
ハコダテ県、サッポロ県、ネムロ県。
同じ「ケン」でも、ライライ軒やホームラン軒といったラーメン屋のことではない。(笑)
青森県や山形県と同じ、日本政府が認めたれっきとした「県」なのである。
嘘じゃなケンっ!
って、急に広島県へ飛んですみません。……(笑)

世に言う「廃藩置県」(はいはんちけん)は有名であるが、北海道の場合は、「廃使置県」(はいしちけん)が行われている。
明治15年(1882)2月8日、開拓使が廃止され上記の三つの県が北海道に設置された。
ああ! これでようやく北海道も内地と結ばれる!!
と思ったが、青函トンネルの完成はなんと106年後の1988年を待たねばならなかった。
……って、すいません、青函トンネルとは全然関係ありませんでした。(笑)
向こう三県両隣とは言うものの(いえ、言いませんって)、しかしこの三県、余りにも人口格差が生じていた。
当時、北海道全域の人口が26万5千人。
うち函館県が半数以上の15万1千人を占めていた。
札幌県が9万7千人。
根室県はなんと1万7千人。
あとはサケ・マス・トナカイばかり。……(笑)
これに文句を言ったのが、かの伊藤博文である。
「板垣死すとも、伊藤は死なず!」
なんて言葉を残して(うそですよ~)明治19年(1886)1月26日、北海道庁を設立して「廃県置庁」、すなわち「県」を廃止した。
この間、たった4年間。
あえなく県は、ケンもほろろになくなった。(←ここ、笑うところです)
ちなみにこれを「三権分立」とは言いませんから、受験生のみなさん、お間違いないように。……

旧函館博物館二号(旧函館県博物館)。
竣工は明治16年(1883)。
設計は函館県。
施工は浜谷新助。
木造平屋建て。

この博物館、函館県時代の貴重な官庁建築物なのである。
現存するのは、おそらくこれが唯一であろうと言われている。
開拓使の廃止に伴って、開拓使東京出張所仮博物場の収集資料を移管収蔵する目的で建てられれた。
同じく函館公園内の、一号館のすぐそばに建っている。
「一号の隣に二号が住むなんて。……」と、昔からずいぶん仲が悪かったという。(うそ、分からないお方は飛ばして呼んでください/笑)

デザイン的には、同じくアメリカン・コロニアルスタイルを真似ているが、一号に比べてより装飾的である。
玄関部分を突出させて、平面的な変化にも工夫を凝らしている。
軒を飾る蛇腹などは段々が多くなって、軒の出を深くしている。
アーカンサスを模した日本風の唐草模様や、唐破風のような変形アーチなど、擬洋風の真骨頂を発揮しているし~。(笑)
屋根は、おしゃれな赤いトタン屋根であるが、当時は杉板のコロニアルで葺いていたらしい。
まるで、アメリカンドリームを夢見る、ハイカラなお嬢さんのようである。
素敵だっ!
これじゃあ、一号も嫉妬するに決まっているなぁ~。
本宅よりも、妾宅に足を運ぶお父さんの気持ちも、分からないではない。
いや、うそですよ~。(笑)

旧函館博物館二号
旧函館博物館二号・正面

旧函館博物館二号
側面

旧函館博物館二号
玄関部分


旧函館博物館二号
斜めアングル

旧函館博物館二号
背面