Isidora’s Page
建築日誌
■山田守邸■    2007年02月06日

世の中、思い通りにならないものである。
痩せる痩せると聞いて、毎日30回以上もこねくり回して食べた納豆ダイエットも、実は真っ赤なウソだったと言う。(いや、小生はやってませんが/笑)
一週間以上も先の締め切りが、急に明後日までに提出しなければならなくなり、急いで徹夜をして作業を進めたものの、その仕事はポシャッたと連絡が入る。(あーあ)
辞めて欲しい大臣は一向に辞任する気配がないし、当たると思って買った宝くじも、当たったためしがない。(笑)
ああ、人生寂しい限りである。
……人間だもの。
って、何でも人間だもので済ませれば、これほど平和なことはないんだなぁ~。(笑)
と、のっけから悲観的な記述でごめんなさい。(ぺこり)

思い通りにならないものと言ったら、建築家の自邸ほど、思い通りにならないものはない。
これは逆説ではない!
建築家はクライアントを丸め込むのは得意中の得意であるが、自分の家族を説得するのは大の苦手だからである。(笑)
特に女房と娘が結託すれば太刀打ち出来ないと話に聞く。
かの清家清も、ずいぶん理解者には苦しんだらしい。……
世間では名だたる建築家であっても、家に入ればただのウザイ親父だからな~。(笑)

一流の建築家、山田守がそうであったかどうかは定かではない。(念のため/笑)
先月の初め、南青山にある御自邸を見学する機会があった。
1階が蔦珈琲店(ここ!)となっており、外観だけ覗き見るのはいつでも可能である。
この日は、偶然にも某学会の見学会があったため、どさくさにまぎれて見学させてもらった。
山田さん、ありがとうございました。(ぺこり)

山田守といえば、わが国分離派の結成メンバーの一人であり、分離派の神様とまで崇められた大先生である。
古くは東京中央電信局(1925)、東京逓信病院(1937)、東京厚生年金病院(1953)など、泣く子も黙る名建築を残してきた人物。
えっ!
しらない?
うーん、じゃあ東海大学代々木校舎(1955)、長沢浄水場(1967)と言ったらどうだろう?
ん?
まだ分からない?
では、とって置き、京都タワービル(1964)、日本武道館(1964)と言ったらどうだ!
って、別にクイズをやっているわけじゃないんですが。(笑)
建築に興味がないお方でも、この二つの建物を知らない人はいないでしょう。

山田守邸
竣工は昭和34年(1959)。
施工は大木建設。
RC造、3F建て。
設計はもちろん、山田守。
もちろん、などと言ってしまったが、建築家の自邸は建築家自身が設計するものと思ったら大間違いである。(笑)
他の優秀な建築家に頼んだ方が、よほど完成度が高い!
なんてことはなかろうが、少なくとも失敗した時の言い訳にはなるのである。(笑)
はてさて、山田邸はどこまで思うとおりに行かなかったのだろうか?……
いやいや、人様の御自邸なので、余計なコメントは差し控えさせていただきます。(笑)

山田守邸 

山田守邸

山田守邸

山田守邸

山田守邸

山田守邸 

山田守邸

山田守邸

居間 
和室

縁側のある和室 
縁側のある和室

便所 
便所