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建築日誌
■トラピスチヌ修道院■    2007年11月04日

神よ!
あなたのことばは
わたしの希望
わたしは
あなたのことばを? 思いめぐらす
(詩編119の148)

みなさま。
ここは敬虔なトラピスチヌ修道院でございます。
静かな祈りの場です。
おやじギャグなど、静寂を乱すものはお控えください。
神は、いつも時を気にします。
「10時か?」
いや、十字架……
ああ!
あなたの言葉は、わたしの希望~!!
…………
すみません。
のっけからつまらないおやじギャグで。(ぺこり)

函館、上湯の川にあるトラピスチヌ修道院は、隣町の上磯町(最近は北斗市というそうだが)にあるトラピスト修道院と同じく、シトー会に属する女子修道院である。
シトー会は、カトリック教会の中でも、とりわけ祈りと労働を主要な手段とする隠世共住修道会のこと。
修道女の日課は、祈り8時間、労働8時間、静養8時間と、規則正しい三位一体で構成されている。
「何シトーかい?」
なんて聞いてはいけませんよ。(笑)

シトー会の成立は、11世紀終りごろ、フランスのシトーという名の荒野ではじめられたらしいのだが、その間いろいろとあって(すいません、はしょります)、19世紀末に厳律シトー会という独立修道会に一本化される。
男子修道院をトラピスト、女子修道院をトラピスチヌと呼ぶが、これはトラップ修道院の名前に由来するものである。
ん?
なぜにシトースト、シトースチヌと呼ばないかって?
すいません。
これにもいろいろあるみたいです。(笑)

ここ、函館のトラピスチヌは、明治31年、フランスから派遣された8名の修道女によって創立されたもの。
ただし、現存する建物は比較的新しい。
向って左側の「司祭館」が大正2年(1913)の建立で、右側の「聖堂(本館)」は、昭和2年(1927)の建立である。
大正14年(1925)に、屋根裏部屋からの原因不明の出火により、聖堂主屋のほとんどが焼け落ちたと、当時の資料にはある。
まさか、修道女の寝タバコが原因ではあるまいが、その後たびたびの不審火にあっている。(笑)

『司祭館』
大正2年(1913)建立。
レンガ造2F建。
『聖堂』
明治末期、昭和2年(1927)再建。
鉄筋コンクリート造レンガ積2F建。
施工者:川原石太郎。
設計は、なんとマックス・ヒンデルである。
ヒンデルは、あの、ヘンデルとグレーテルのヘンデルのことではなく(当たり前だ)、北海道近代建築の開拓者とまで言われたチューリッヒ出身の建築家のこと。
聖堂は、焼け残った創建当時のレンガを使い、鉄筋コンクリートで立て直し、創建当時のデザインを踏襲した。

分厚い壁と、半円アーチの小さなポツ窓から構成されるデザインは、多分にロマネスクの雰囲気を醸し出している。
しかし、とがり屋根をもつ尖塔や聖堂内部のリブヴォールト天井などはゴシック様式。
扉口のコリント式双柱などはまさしくルネサンス。
まあ、様式的一貫性を持たない、いわゆる「ちゃんぽん様式」である。
一体、建築家は「何シトーかい?」
なんて聞いてみたくなる。(笑)

宗男は、小学生の頃、よく自転車でここら辺まで遊びに行った。
補虫網をもって、蝶を採りに行ったのである。
このあたりは、ずっと畑が広がっていた。
高い高いレンガ塀の上には、キラキラと光るガラスの破片が埋められていたのを記憶している。
びくびくしながら乗り越えると、中にはトラクターにまたがる修道女などがいた。(笑)
面白くて、面白くて、一人で笑い転げていた。
すると、後ろから誰かに声をかけられた。
「何シトーかい?」
……って、すいません、しつこくて。(笑)
今でも、修道女たちは、鍬をもって野良仕事に精を出しているに違いない。


トラピスチヌ修道院 
トラピスチヌ修道院全景

トラピスチヌ修道院

トラピスチヌ修道院

トラピスチヌ修道院
司祭館

トラピスチヌ修道院
司祭館

トラピスチヌ修道院 
ルネサンス風の扉口

幼きイエズスのテレジア
幼きイエズスのテレジア
聖ミカエルの像
2代目、聖ミカエルの像