Isidora’s Page
建築日誌
■関帝廟(かんていびょう)■    2007年11月26日

この三連休は、中国へ行って来た。
――と、言いたいところですが、仕事です。
ですから、打ち合わせの帰りにちょっと寄っただけです。
だから豚まんを買いに。
ええ、そうです。
ここは、横浜の中華街あるね。(笑)

この、絢爛豪華な建築は、横浜中華街のシンボル的存在。
富貴栄華、眉目秀麗、一攫千金、馬耳東風、抱腹絶倒……
いや、ただ四字熟語を並べてみただけですが。(笑)
横浜のみならず、日本における関帝信仰のメッカとなるようにと、中国人が、中国人の手によって、中国の伝統建築工芸の粋を駆使して建造されたもの。
いや、特に排日運動とは関係ありませんから、お気を悪くなさらないでください。(笑)
その豪華さは日光東照宮にも匹敵すると、横浜関帝廟再建委員会のお方は自信たっぷりです。
はい。

横浜関帝廟。(第四代)
平成2年(1990)竣工。
木造平屋建て。
中国明、清時代の南廟堂(なんびょうどう)様式。

関帝とは、三国志でもお馴染みの武将、関羽(かんう)のこと。
義に篤く、金銀財宝には一切興味を示さなかったことから、後に商売繁盛の神として崇められ、金色に輝くお廟を建てて崇拝したらしい。(ん?)
宗男もよーく、手を合わせてまいりました。
この関帝廟には、なんと3.5キロの金箔(きんぱく)が使用されているという。
まさに、緊迫した仕事である。(笑)
金がかかっている!
金メッキではありません!!
段ボール入り肉まん以来、食の偽装は中国よりも日本が騒がれているしなぁ~。(泣)

本殿中央真中に鎮座するのが関聖帝君、すなわち関羽様である。
左右に二神明像が祀られているが、面倒なので名前は省略。(笑)
日本ではこれを「須弥壇」(しゅみだん)と呼ぶが、ここでは「関帝壇」(かんていだん)と呼ぶ。
「さて、お宝のお値段はおいくら?」
と、あのなんでも鑑定団とは違いますので、あしからず。(笑)

それにしても、派手である。
いや、壮麗である!
この極端に反りあがった屋根は、日本建築のそれにはない。
棟の上には、何やらごたごたと供え物が生えている。(供え物でいいのかな?)
髭の長い龍を筆頭に、よく見ると中央には地球儀まで付いていた。
いや~、グローバルである。
さすが、国連常任理事国!(笑)
白く彫刻された柱は「観音石龍柱」とよぶらしく、台湾から運ばれたもの。
日光東照宮のように、木造に胡粉(ごふん)を塗ったものだと思いきや、なんとこれは石であった。
胡粉だ、胡粉だ、と思っていたけど、五分(ごふん)と経たないうちに石だとわかったので安心しました。(笑)

横浜関帝廟の歴史は古く、初代関帝廟は明治6年(1873)までにさかのぼる。
その後、本格的に改築するも、大正12年(1923)に関東大震災で全壊。
そして昭和20年(1945)、二代関帝廟も戦火で焼失。
第三代関帝廟は、昭和61年(1986)の火事で焼失する。
――こうしてみると、関帝様はよほど火の神様と仲が悪かったようだ。(笑)
よって、この四代目は、まだ竣工して17年目である。
函館にも関帝廟がある。
こちらは明治43年(1910)の建立で、現存する国内の関帝廟では最古のもの。
これらの比較は、また今度!
そうそう、買ってきた豚まんの写真はありませんが、段ボールは入っておりませんでしたので、みなさま横浜中華街の豚マンを今後ともよろしくお願いいたします。(ぺこり)
いや、これ、大好きなのよ。(笑)

【所在地】 横浜市中区山下町140番地 グーグルマップ


関帝廟 
関帝廟・内部

関帝廟牌楼(パイロウ)
牌楼(パイロウ)見上げ

関帝廟牌楼(パイロウ)
牌楼

関帝廟
本殿(屋根の真ん中に地球儀)
関帝廟関帝壇
関帝壇(奥ね!)

関帝廟・観音石龍柱 
観音石龍柱

関帝廟
観音石龍柱・逆アングル

関帝廟牌楼(パイロウ)裏側
牌楼(パイロウ)裏側

関帝廟石獅(狛犬)
石獅(狛犬)