Isidora’s Page
建築日誌
■旧遠藤吉平商店(元コーヒーハウスJOE)■    2009年09月12日

男児志を決して千里を馳(は)す、

自ら辛苦を嘗(な)めて豈(あに)家を思わんや……

……新島襄(新島襄海外渡航乗船の処より)


ふむふむ。
男の児は、志を決めないまま千里ニュータウンまで馳せ参じ、自ら辛いとか苦しいとか言ってお椀をなめるのではなく、兄の家に行ってからゆっくり嘗めよう……
……なるほど
そういうことだったのか!?
吉田松陰の海外渡航失敗を受けて、新島襄が次なる渡航場所を選んだのは、新島ではなくここ函館であった。
元治元年(1864)、新島襄は女装(?)してアメリカの船に乗り込み、国禁を犯して日本を脱出する。
いや、女装が国禁なのではなく、アメリカの船に乗ることが国禁ね。(笑)
新島襄(ジョー)と言えば、同志社大学の前身である同志社英学校の創始者で、熱心なキリスト教徒。
ジョーなどといかにもメリケン風なかっこいい名前であるが、何と本名は七五三太(しめた)と言う。
「七五三縄」と書いて「しめ縄」と読むのと一緒で、ジョーは幼少期からみんなに「しめちゃん」と揶揄されていた。(はず)
もちろん、戸締りはいつも「しめた」の役割である。(笑)
旧遠藤吉平商店 新島襄脱出時の扮装再現!

後に友人にせがまれて当時を再現したということであるが、このほっかむりがなんとも妖しい。(笑)

「旧遠藤吉平商店」(元コーヒーハウスJOE)
明治18年(1885)以前の竣工。
煉瓦造2F建て。
設計・施工者共に不詳。

さてこの建物、近くに「しめちゃん」の女装場所、いや、海外渡航場所があることから「JOE」と言う名でお店を出している。
いえ、正確には「出していた」ですね。
ああ、やっぱりこの辺は不景気なのね。
またまた、廃屋同然となっております。(笑)

明治18年の絵図には「遠藤吉平商店」と書かれており、煉瓦造の店舗と隣接する和風の蔵などから出来ているのがわかる。
元々は「廻漕店」であったらしく、渡航する不法出国者への女装援助、いや、船舶による運送業を営んでいた模様。
明治35年には、成田金太郎が買い受けて「成田金太郎商店」として同じく廻漕店を経営していたが、明治40年の大火で全焼。
煉瓦造の店舗だけがの残り、その一部を改造したのが現在の建物である。
これを、有名な「大火の改新」と言う!(笑)
ちなみに石川啄木もこの時の大火で函館を去り、心を改めて小樽、札幌、釧路へと向かった。
これを「大火の改心」と言う!
って、今日は親父ギャグが冴えないなぁ~。(笑)

『太刀川家住宅店舗』と同じく、煉瓦造の上に漆喰を塗り固めて目地を切り、一見石造のようなデザインに仕立てている。
三連アーチを鋳鉄製の柱で支えている意匠も、太刀川家に酷似している。
しかし、竣工年はこちらの方がかなり古く、同じ頃に建てられたであろうと思われる「金森洋物店」(明治13年)との共通点が多い。
内部はほとんど改修されて原形をとどめないが、1Fは煉瓦式の店舗で、2Fは畳敷きの和室であったと言う。
外部だけにとどまるが、大火以前の函館明治商家建築の貴重な遺構の一つなのである。

2Fのアーチ窓には丁番跡があり、かつてはここに両開きの防火戸があったことを裏付けている。
火事の時はこれを「しめた!」と言って、みんなに大声で知らせる。
閉め忘れると、火事場泥棒が「しめた!」と言って侵入してくるので、ご注意ください。(笑)

【所在地】北海道函館市大町9-14 グーグルマップ


旧遠藤吉平商店 
旧遠藤吉平商店

旧遠藤吉平商店
斜めアングル

旧遠藤吉平商店
三連アーチを鋳鉄製の柱で支える構造
旧遠藤吉平商店

旧遠藤吉平商店 
丁番跡の見える アーチ窓

旧遠藤吉平商店

旧遠藤吉平商店