Isidora's Page

りく坊の稲生平太郎=横山茂雄めも
01~03&06

近代ピラミッド協会=編『オカルト・ムーヴメント 近代隠秘学運動史』
ひっそりしみじみしょぼしょぼ活動していると言うオカルト系秘密組織(?)「近代ピラミッド協会」。その実態は稲生平太郎先生と岩本道人先生のユニットでもあるようです(昔のことは知りません。第一期とか第二期とかあるようなので)。
副題にもあるように、本書は近代に入ってからの欧米/日本のオカルトの動きや受容を気鋭の研究者たちが論じている本です。これは非常に大切な試みだという気がするのですが(序をお書きの横山茂雄先生もおっしゃっている)、本書は現在絶版です。横山先生が執筆しているということもあって1年半ほど探していましたが、このたび入手することができました。
どこかで復刻してくれないかなぁ。わりとさくさく読めるし。オカルト年譜や丁寧な文献案内が嬉しい。(2001/8)

ウィルキー・コリンズ『アーマデイル』
 佐々木徹=監修〈ウィルキー・コリンズ傑作選〉。
『アーマデイル』は悪女ものということでけっこうおもしろそうですが、三巻もあるとちょっと長いような…。読めるかな? 横山茂雄先生をはじめとする英文学者の方たちがお仕事の合間を縫って訳されたのだから、とにかく読破しようと思います。石堂藍先生の藍読日記でコリンズは小説がうまいと評されていたから、多分読破できると思うのですが。(2001/11)

水野葉舟/横山茂雄=編『遠野物語の周辺』
国書刊行会サイトで本書の発売を知ってから、待ちわびておりました。
うふふのふ。
噂には聞いていましたが、本書の解題はすごひ。百枚を超える何と何との超力作! 長生きはするものです。様々な分野の該博な知識が、ただ知識の羅列に終わっていないところはさすが「横山茂雄」と言ったところでしょうか。
本書は作家にして心霊研究などに打ち込んだ水野葉舟の小説やエッセーを横山茂雄先生が編纂されたものです。読み終えれば、葉舟と親交のあった佐々木喜善や柳田國男、そして『遠野物語』のイメージが大きく変わることでしょう。それが狙いでもあったようですが、その点については編者的にはあまり楽観的にとらえてはいないようです。なかなか流布してしまったイメージを壊すのは容易ではないことだからでしょう。
本書を読んであらためて実感したことは、横山先生は民俗学の著作もかなり読まれているということです。バカな民俗学者たちが「英文学者の手すさび」と本書を無視しないことを切に望みます。今まで誰も手をつけてこなかったことに、驚くべきエネルギーと時間をかけて取り組んだのが本書(そして解題)だと思うからです。それに英文学者だから何だ! 民俗学者の誰一人として横山先生がやられた仕事をほとんどしてこなかったじゃん。タコツボでぬくぬくやらないでね、頼むから>民俗学者の皆様
雑誌『怪』とか民俗学の専門誌で話題にならないものでしょうか。なってしかるべき名著です。ファンはそんなことまで考えてしまうのです。って、かなり妄想入ってますが(笑)。(2002/11)

ぼくはけっこう検索エンジンを使う方だと思います。ジャンクみたいな文章が大半ヒットするとわかっていてもしてしまいます。
このページでも横山茂雄先生が編まれた水野葉舟『遠野物語の周辺』を鉦や太鼓で宣伝してまいりましたが、ネットの世界ではどういう反応か知ってみたかったのです、ぼくは。
それでヒットしたのが読売新聞の書評でした。単純に取り上げられたという事実が嬉しかったです。評者は作家の高橋克彦氏。
最初は「そーいえば高橋さんって『遠野物語』とか佐々木喜善に興味あるんだよねー」とか思いながら書評を読んでいたのですが、読み終えてしばし絶句しました。
「一体お前は何を読んだのだーっ!!」と咆哮したくなるダメ書評だったのです。高橋氏の見識を疑わずにはいられませんでした。
まず横山先生は喜善が「東北の民話の語り手」という捏造されたイメージへの異議申し立てをも射程に入れて本書を編まれたのです。そんなことは解題を読めば中学生にだって理解できます。
しかしながら、高橋氏は喜善は柳田國男の『遠野物語』への違和感から次第に岩手の伝承に目覚めていったのだろうといった趣旨のことを書かれています。それは事実と反するのです。喜善は怪談は好きでも柳田のように伝承を纏めるといったことには関心はまるでなく、文壇に出たくてしょうがなかったセミプロ作家だったのです。語り部になったのは不本意なことであり、結果的なことだったのです。
それがなぜ「喜善」=「東北の語り部」という単純なイメージになってしまったのかについてはわかりませんが、何も調べもしないで書評を書いてしまった「岩手県在住」の高橋氏の責任は重いと考えます。そもそもきちんと本書を読まれたのかすら疑問です。警察的リアリズムで調べてたっていいぐらいでしょう。高橋氏の書評に誘導されて「誤読」してしまう善良な読者がいないともかぎりませんから。
ここまで読まれた方は「どうせお前は横山ファンだから、横山の見解を信用してるだけなんだろ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。それは否定しませんが、まずは高橋氏の書評を読まずに本書をお読みください。いかに高橋氏が誤解して書評を書かれたかが理解できるでしょう。(2003/1)

『The Sneaker 2月号』(角川書店)
何と稲生平太郎先生のインタヴューが載っているのです。それもそのはず、『アクアリウムの夜』がスニーカー文庫より文庫化されるのです! 発売は2月1日、スニーカー文庫の新レーベル〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉より大好評発売予定!!! 要チェキ…なのだ。皆さん、買うのだ。んでもって、読め。
インタヴューの内容は稲生先生を知らない人でも理解できるもので、オカルトの話が中心になっています。これがアップされる頃には次の号が出ていると思うので(しゅみましぇん)、興味のある方は図書館か書店に注文して読んでください。(2002/01)

稲生平太郎『アクアリウムの夜』(角川スニーカー文庫)
自分はハードカバー版を持っておりますが、3冊買いました。あなたは何冊?(笑) 
『幻想文学』『BGM』でも取り上げられていましたが、知る人ぞ知るオカルト少年小説の名作でした(稲生平太郎先生の意図は、少年小説の枠組みを使って別種の物語を語ることだったそうです)。文句を言わないで、買って、読んでください。文庫で読めるなんて、未読の人は幸せです。素敵な悪夢のトリップを保証いたします。待望の再刊(水声社にまだ在庫ありますが)、もちろん今月のおすすめでございます(オンライン書店bk1のホラー棚コラム「東雅夫のイチオシ新着棚【3】」において本書をプッシュされておりました。
なお、『幻想文学』63号に稲生先生のインタヴューが「不思議な物語」とともに掲載されるそうです(ソースは「幻想的掲示板」)。もしかすると、インタヴューの中で文庫版『アクアリウムの夜』について言及されているかも……。楽しみです。(2002/02)

『日影丈吉全集』1巻 
収録作品は、
「見なれぬ顔」
「真っ赤な子犬」
「内部の真実」
「非常階段」
「応家の人々」
読了しているのは「内部の真実 」と「応家の人々」だけです。「見なれぬ顔」以外は文庫化されたと思いますが、今ではレアものになっていたりするんだよね。表紙カバーが日影作品にそぐわないものが多かったなぁ(倒産してしまった社会思想社・教養文庫の装丁が一番良かった気がする)。ハードカヴァにもそれは言えます。他の人が良いって言っても牧神社の表紙はダサイと思うんです。文句あるか!
断り書きにもありますが、ネタバレをしている解説ですのでうしろから読まれる癖のある方はお気をつけ下さい。なお、解説/解題ともに横山茂雄先生が担当されています。(2002/9)

『日影丈吉全集』6巻
短篇小説3。この巻では
「暗黒回帰」
「幻想器械」
「市民薄暮」
「華麗島志奇」
以上、かつて牧神社が刊行した〈日影丈吉未刊短篇集成〉をコンパイルしております。現在では古書で見つけるのも困難、そのうえ高価な短篇集だっただけに若い日影ファンには嬉しい贈り物です(ぼくも嬉しくて嬉しくて)。全巻揃えなくてもこの巻だけは、という人もいるかも。解題/解説は横山茂雄先生。作品の真相に触れているとのことで解説はまだ全部は読んでいませんが、解題だけでも鬼のように緻密です(いずれ解説が纏まることがあればと横山ファンとしては思うのですけれども)。この巻がきっかけで日影の短篇の「真価」が広く理解されるといいなぁ。
なお、bk1怪奇幻想ストアで横山先生の日影全集に関するメール・インタヴューが掲載されています。バックナンバーがどこに行ったかわからなくなる前にチェキしておこう。ぼくなんて穴があくほど読み返してしまった(照)。(2002/11)

稲生平太郎『アムネジア』(角川書店)

ついに、ついに、刊行されましたっ!!
実にめでたいのでございます。なんたって、15年ぶりだよっ!
ここを訪れた人は迷わず買うんだ、布教するんだっ!
この喜びを普通に街を歩いている人とわかちあいたい!!(危ない人です)

実際のところ、何を書けばよろしいのか、皆目、見当がつかないのですけれども、つらつら書いてみることにいたします。

『アクアリウムの夜』と同様に、『アムネジア』におきましても、作中では語られない背景が存在します。前者が文庫化された際、ネットでの感想を拝見しましたけれども、「クトゥルー神話っぽい」という感想には驚きました。言われてみればそう読めなくもないのですけれども、これはぼくにとって意外だったということでお許し願えれば幸いです(『アクアリウムの夜』にせよ、クトゥルー神話にせよ、「水」に縁深いわけですけれども)。
話を戻しまして、『アムネジア』における語られない背景とは何か?
……わかりません。
「って、それじゃ竜頭蛇尾じゃー!」とツッコミを入れられそうです。
わからないのですけれども、読みすすめますと「感じる」のです、その「何か」を。「感じる」という表現がよろしくないのであれば、頭の中で妄想が昂進していく状態になる、と形容すればよろしいでしょうか。
それだけで充分ではないでしょうか?
おそらく、作者たる稲生平太郎先生にとって、その何かを感じてもらえれば、それで満足するのではないだろうか、という気がいたします。
さて、背景もわかりませんけれども、ストーリーを説明しろとおっしゃられてもこれまた困ります。あえて合理的な展開にしていないため、ストーリーが構築しづらいと形容した方が正確かと思います。一見すると普通に見える人々の口にのぼる信じがたい言葉、夜空に瞬く怪光……。本書は「合理」をはなから否定しているように思えます。
とはいえ、おそろしいほどに本書には隙がありませんし、退屈ではありません。難解なんてとんでもない。ドライヴ感ばりばりの、これぞエンターテインメントっ!! もちろん、リアリティも手抜かりなく。
ただ、カテゴライズするときに困るわけなんですね。
一応、帯や宣伝文句にはミステリとあります。ミステリとして読めないこともありませんけれども、広義のミステリとして読みましても、読者は納得しないような気がいたします。
分類不能ではありますけれども(あえていうなら、ホラーかな?)、文章、構成、アイディア……何から何まで磨き抜かれた「小説」と呼べばことたりる、と読みながら幾度思ったかしれません。
是非、是非、本書をお読みくださいますよう、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
心配ですので、書かなくてもよろしいようなことを書きますけれども、前作のような叙情的な雰囲気を求めた場合でも、期待を裏切られるようなことは絶対にありません。闇金融が出てくるからといって退かないでください。おっさんくさくありませんから。
ぼくとしては、ティーンエイジャーのきみたちにいっぱい読んでいただきたいなぁ。前作と違いまして、本書は危険な物語ではありません(ぼくには「危険」という意見はピンとこねぇんですけれども)。稲生先生の叙情的な描写と雰囲気にはマジで若いうちにふれてほしい。文庫になるまで待つなっ、今すぐ書店に走れっ、読もう小説『アムネジア』っ!! 
ちなみに、大阪、かみのけ座(この言葉を初めて目にしたとき、演劇がからむのかなと思ったぼくであった)、機械=疑似科学、夜空に瞬く光(映画にもなった『プロフェシー』みたいな気が……。UFO系に詳しいファンのご意見をうかがいたいなぁ)、理絵、手に入れることのできない本……etc.、『アクアリウムの夜』と同じく、稲生先生の有する多面的な関心領域で本書はパッケージングされています。稲生先生のディープなファンであればあるほど楽しめると思いますけれども、一般の読者にも充分に楽しめる、くどいかもしれませんけれども、最高級エンターテインメントであります。
一方で、一筋縄ではいかない本書の結末から、「一般受けはしない」という手厳しいご意見の方もいらっしゃるかもしれません。けれども、一筋縄ではいかないところが、本書のミソなのです。決して、傷ではございません。
もし、結末をご不満に思われる読者がいらっしゃるとするならば、その方がこの種の、結末をわかりやすく明示していない小説をあまり読まれてこなかったということなのかもしれません。また、本書を読むことで、迷子になったような感覚におちいったことへの戸惑いを不満にすり替えてしまっただけなのかもしれません。たとえるならば、お酒を飲みなれていない方が、度数の高い銘酒をいきなり摂取してしまったがために、わけがわからなくなったようなものかと……。
そういう意味では、前作同様、カルト作品としてファンの間で語り継がれていく可能性も浮上してまいりますけれども、それではあまりにもったいないのです。様々な方に読んでいただきたい、それだけの内実をバリバリにそなえた作品なのですから。このページにたどりつかれた方は、なにとぞ、ご一読いただきたく存じ上げます。

最後に、本当にどうでもよろしいようなことを……。
主人公の扱いが『アクアリウムの夜』に比べて、なまぬるいという感想を持ちました。これは趣味の問題かもしれませんけれども。今回は優しさのある残酷さという気がいたします(とは申しましても、相当に「残酷」なのは保証いたしますけれども。そこが「良い」のですから)。
理絵というキャラがいちおし。きっと美人なんだよー。
それと、きみも稲生平太郎ファンだから(違います?)、気づいてるとは思うんだけれども。
『アムネジア』では「とまれ」って言葉、使ってなかったんだよ。
you know?     (2006/1/30)

ヒレア・ベロック『子供のための教訓詩集』
英国の黒いユーモア感覚、そして詩画集/絵本の歴史には暗いため本稿では端折らせていただきますが、べロックの絵本の魅力の秘密――それはいわゆる「画文共鳴」型にあるのではないでしょうか。
画文共鳴? とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。本書において詩と挿絵はけっして仲が良いわけではないからです。いえ、むしろ異質なもののアマルガムと申せましょう。ここが本書の肝であるとわたしには感じられるのです。
ベロックの詩を引用しても意味をなしません。あの挿絵がなければあの総合としてのおかしみを伝えることはできないためです。話は変わりますが、本邦の『不思議な国のアリス』出版において「萌え」系と呼ばれるような挿絵を付したものがかつてありました。ですがベロックの場合、よほどの技量をもった書き手でない限り、あのおかしみをもった挿絵に比する作品をものすることは叶わないことでありましょう。また、萌えとは無縁の世界でしょう。(われこそはと思う描き手は挑戦されたし)
ベロックの絵本は英国において長らく愛読され続けているそうです。日本においてもそれは可能ではないかと考えるものですが、いかがなものでしょう。『モンティパイソン』が受け入れられている本邦なのですから可能性はあると思うのです。
と、ここまで私見を述べてまいりましたが、本書は詩を「読んで」挿絵を「見ないこと」には理解できないものとわたしは考えます。頭をフル回転させることによって、英国特有の黒い笑いの世界に導かれると申しますか、まぁ、とにかくそのような詩画集/絵本なのでございます。
とは申しましても、まったく難しくはございませんし、お笑い芸人らによるショートコントを観る感覚で味わえる本です。こんなにお手軽に楽しめてよいのかと、ちょっとした驚きがあるほどです。
原文で本書を味わうのはともかくとしましても、横山先生も指摘されているように詩のようなスタイルの文芸作品を翻訳するのは至難の業ですが、本書ではとりわけ困難だったことと存じます。画文共鳴のスタイルを崩すことはできませんし、加えて横山先生の翻訳のスタイルは作品の空気感を伝えるか否かなのですから、最初からある程度腹をくくったものと思われます。
そのような難行を見事にクリアされたとわたしは憶測していますし、それは本書を読みの方はすでにご存じのことでありましょう。あらためて「おそるべし横山茂雄!」なのであります。
将来ちくま文庫あたりに入らないものかと妄想しておりますが、はたして……。

ともかくも本書はおすすめです。とりあえず眺めてみてください。きっと面白いはずです。いま現在面白くなくても、将来そのおかしみが飲みこめるかもしれない詩集ですから、ぜひお買い求めください。座右の本にしているような人は軸がぶれていない……と思うのですが、いかがなものでしょう。
そうそう、図書館にリクエストしてくださっても構いませんし、blogなどでも取り上げていただけますとわたしはうれしゅうございます。詩集だからといって舐めてかかると痛い目にあう、そんなかくれたスゴ本を広く読まれることを心より願っております。