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稲生平太郎著作解説

オカルティズム研究編

『聖別された肉体』
論考。
副題は「オカルト人種論とナチズム」。
ナチスのユダヤ人排斥思想の背後にある、オカルティックな人類進化=人種論について論じたものである。
十九世紀中葉から始まる近代オカルティズムの興隆とともに、どのような人種差別的妄想が成長していったかを跡付け、それがヒトラー、ナチスとどのように関わりを持っているかを詳述する。主たる焦点になっているのはアリオゾフィ(アーリアの叡知)を唱えたアドルフ・ヨーゼフ・ランツであるが、ランツ前史としてブラヴァツキー夫人の人類進化論などにも詳しく触れている。
オカルティスト同士の、あるいはオカルティズムとナチズムとの単純な影響関係を云々するのではなく、ユダヤ=キリスト教とともに歩み続けたヨーロッパ史、そしてその結果として表に現われてきた時代性という、大きな文脈の中で、このオカルティックな人種差別論を考察しているところが本書の最大の特徴であろうかと思われる。
さまざまな一次資料に当たり、事実と信じられるものだけについては歴史として位置づけるけれども、そうでない場合はあらゆる場面で慎重に断定を避けるという態度がきわめて印象的。また、一元的には決してものを見ないのも際立った特徴であり、事象を現実=妄想・狂気といった単純な二項対立に還元することなどは本書ではあり得ない。簡単な割り切りを許さないのが、人間であり、人の生きる世界であるという信念ゆえであろう。特にその点に私は共感を覚える。
個人的には、歴史的な側面というか資料としての側面にはそれほど心を動かされない。もちろん勉強にはなるが、本書の魅力は膨大な情報の提供にあるのではないと私には感じられる。例えば、「ユダヤ人の殲滅を図ることと、アーリア=ゲルマン人種が電気の神の子孫だと主張することのどちらが『まとも』で許容されうるかといえば、答えはもちろん前者なのであって、後者ではない――それが私たちの住む世界であり現実なのだ」といったような 絶望感を伴うシニシズムや、「『正統的』世界認識と『非正統的』世界認識が織り交ざりあったものこそ、私たちの精神に投影される世界の真の姿である。その一見したところ異形の像を通してのみ、私たちは私たち自身を理解できるであろう」といった美しい一文から感じ取られる透徹したまなざしに惹かれる。結局のところ、その文体と文体が形づくる思想を愛するのである。
本を読むことは己を読むことに等しいと言う。それを真理だと仮定してみるならば、私は横山さんの知識を受け止められるだけの教養の器がないのであろう。ただただ感覚的に魅了されてしまうのは、自分でも情けないが、私ごときが十全に理解できるようでは、オカルティズムの書物としては称揚するに値しないということではあるまいか、とも秘かに思うのであった。

『オカルト・ムーヴメント』
論考。編著。
近代オカルティズム史に関わる論考を集めたもので、たぶんさほど市中に出回っていない本ではないかと思うので、念のために目次を掲げておく。
「序」、横山茂雄「影の水脈――西洋近代オカルティズム略史」、岩本道人「神智学の誕生――或いは、HPBとアメリカ」、平井恭介「後期神智学協会とメシアニズム――〈マスター〉から〈メシア〉へ」、田中義廣「アガルタと太初の伝統」、浅井雅志「真理への旅――グルジェフ、その前半生」、井村宏次「清水英範と霊術家の時代」、森岡正芳「自己意識の変容と拡大――多元的リアリティを求めて」、文献案内・年表(吉永進一作成)
(全体の構成を紹介する「序」も横山茂雄による)
「影の水脈」は、十九世紀半ば、フォックス姉妹に始まる西洋の近代オカルティズムについて略述しようとしたものだが、この紙数では無理だったのか、エリファス・レヴィとブラヴァツキーについて語るに留まった。内容はともかく、文体は横山茂雄以外のものではない。

●理玖の稲生めも●
『何かが空を飛んでいる』
論考。
円盤研究の書物なのだが、もちろん類書とは完全に一線を画している。円盤関連のさまざまな事象を取り上げ、その表面的な意味付けではなく(幻覚とか妄想で片づけるのではなく)、そこからさらに一歩踏み込んで、なぜそのような体験が起きてくるのか、ということを見つめようとしている。
UFO体験と妖精体験の類似を指摘するという卓見を見せ、人はずっと空に光を見続けてきた生き物である、と結論づける。なぜそうなのか、またその光とは実際に何なのか、最終的には答えを出すことはないのだが、人間と世界を理解するうえで、そうした異様な側面が不可欠であることを語りかける。
非常にくだけた語り口でとても重要なことを述べている本。谷澤君の稲生平太郎論にも詳しいのでそちらも参照して下さい。

以下は余談。
本書の「私は前科者である」の章で、円盤に夢中になってその夢を繰り返し見た、と稲生平太郎は語っている。それは「アーキタイパルな夢」だったと。今回再読するまですっかり忘れていたのだが。で、『幻想文学』の仕事で夢に関する特集をしたときのことだ。横尾忠則先生のお宅に伺って、円盤の夢の話をうかがったのである。円盤の夢は非常に鮮明なもので、現実体験に近い、と先生はおっしゃる。
そのとき、ああ、誰でもそうなのだな、と思ったのは私にも覚えがあるからで、円盤の夢というのは、夢だとわかっていても、現実のようにしか感じられなかったりするものなのだ。見たことのある人にはわかるにちがいない。私は横山さんのように教養がなかったから、そういう夢を見ていた中学生のころ(横山さんが円盤に夢中になっていた時期と変わらない七〇年代前半のこと。要するにブームだったのですね)には原型的などという言葉はまったく知りもせず、オカルティックな世界観のうちに沈潜したのであるが、だから今でも円盤の信者には同情的になってしまうのである。あんな夢をずっと見続けていれば、現実と夢の境界が消えてしまっても不思議はないよね。横尾先生のインタビューでは、その後、あの夢は宇宙人のシグナルで……というような話へと流れていく(『幻想文学』46号参照)。うーん。
さらに余談。インタビューのあとで、横尾先生に写真を見せていただいた。これから何かの雑誌に掲載する予定だという、UFO的なものの一映像であった。ただし展覧会場を飛んでいる。要するに光の帯なのだけれども、うろこ状に連なっていて、非常に細かい時間間隔で点滅しながら進めばこうも映るか、というような、とてもとてもきれいなものだった。これは何とかなのだという先生の説明があったが、忘れてしまった。
写真というのは時間を写し込むことのできる装置、あるいは本当の刹那は撮れない装置で、その特質を使った遊びの写真を私も撮ることがあるけれども、これはどうやったら撮れるのだかよくわからなかった。その道の専門家が見ればわかるのかも知れない。こういうのを撮ってみたいな、と思ったことである。

『定本 何かが空を飛んでいる』
オカルティズム関連の論考・エッセイを集大成した評論集。
上掲『何かが空を飛んでいる』の再刊ということだったが、ついでにオカルト系のエッセイを収録して、「ついで」の方が量的に多くなったという一冊。
『何かが空を飛んでいる』以外の収録作は以下の通り。初出時とタイトルが異なるものもあるが、いちいち記さない。リンクで飛んだ先がもとのエッセー。
「影の水脈」「シオンの顕現」「天の影」 「想像力という「呪い」」*『ヴィレット』/「異界の言葉」*『インドから火星へ』/「地底への旅」*1994/3『ピラミッドの友』に掲載。カフトン・ミンケル『地下世界』書評。/「ログフォゴあるいは「岩の書」」*書き下ろし。シェイヴァー・ミステリーとシミュラクラについて。/ 「水晶の中の幻影」*ジョン・ディーの『精霊日誌』/「物語としての同祖論の「起源」」「妄想の時空」「獣人と神人の混淆」「ヒトラー、ナチズム、オカルティズム」「他界に魅せられし人々」「夢と光り物」「「心界幽玄のこと」「先住異民族の残存」*リンク先の論考ほか同工の2編をまとめ、この論考とした。書き下ろし。/「牛涎的博士」「家に憑く」*『四谷雑談』/「平田翁の「夏休み」」「「純」円盤映画を求めて」「不思議なセルロイド」

『神の聖なる天使たち』
ジョン・ディーはエリザベス女王に占星術師として仕えたとされる人物で、女王陛下のスパイだった等の荒唐無稽な伝説がまつわりついた人物である。この人物が、晩年に夢中になったのが、霊媒エドワード・ケリーの協力を得て行った天使召喚である。
この天使召喚に関わる一部始終を報告するのが本書である。きわめて繁雑な手順で行われる召喚のありさまやケリーとの怪しい関係など、本書の内容はまったく驚くべきものである。特に興味深いのは、ディーを騙した詐欺師と言われるケリーが、単純な詐欺師とは到底考えられないという事実である。これまで、ケリーの実像に迫ろうとした学者たちの試みは、みな中絶の憂き目に遭ったとも聞く。本書は世界で初めてケリーを描ききったと言っても過言ではない。
横山は本書は「闇黒講談」だと言っている。研究書だが、「読み物」なのだ。横山が最も大切にするドライヴ感がみなぎり、あっという間に読了できる。これ自体が驚異の書でもあるのだ。

「小人たちがこわいので……」
論考。
サブタイトルは「宇宙人が妖精である可能性」で、『何かが空を飛んでいる』と内容的には近い。このころ既に『ジライヤ』に連載していたのだろうか。前後関係がはっきりしないので、これが母体となったエッセイなのかどうかよくわからない。

「幾何学模様の〈悪魔〉たち」
いわゆるミステリ・サークルに関するレポート。
オカルト雑誌『AZ』に相応しい内容。

「物語としての同祖論の《起源》――英猶同祖論から日猶同祖論へ」
論考。
日本人とユダヤ人とが同じ祖先を持つとする奇矯な論理日猶同祖論について概観したもの。日本のユダヤ同祖論の始めが、ヨーロッパ全体に蔓延したこの思想(失われたユダヤ十氏族がどこかの民族の祖先であるという強迫観念)の、中でもイギリスのそれの引き写しであることを指摘。また、日猶同祖論の胚胎する精神的・時代的背景についても詳述している。例によってというべきか、こうした特異な論理を地域的・時代的特殊性の中へと還元しさることのないように論を進めている。
私は偽史関連の書物はさほど読んではいないので、そのわずかな読書体験からしか言えないのだが、偽史をめぐる書物は、日本人論に帰結する傾向が強いのではないだろうか。横山さんの論考はそういうものの見方からどうもはずれていて、普遍的な場へいつでも行こうとするように思う。そこが私には魅力的に映るのだけれども、きっとそれは一般的ではないのだろう。

「進化論の妄想が生みだしたナチズムの狂気」
論考。
『聖別された肉体』の部分的要約。特に前半のランツを中心とした部分。進化論的妄想にオカルティズムが絡まり、民族至上主義と結びつき、やがてナチズムに搾取されるという構造を概説する。

「世界文明イギリス起源論の妄想」
論考。
木村鷹太郎の同胞はイギリスにもいた、というわけで、1940年代にイギリス世界中心説を唱えたウィリアム・カミンズ・ボーモントを紹介する。エジプトはスコットランド、イェルサレムはエジンバラ、アトランティスはブリテン島だ、と主張するものすごい説。現在カミンズ・ボーモント協会が活動中だという情報が末尾に置かれているあたりが心憎い。

「ナチズムはなぜ人種混合をおそれたか」
インタビュー。
『聖別された肉体』のポイントだけをわかりやすくかいつまんで説明する。ページごとに誤植があるようなインタビューで、果して横山さん自身が原稿を見たのかどうか危ぶまれるが、このインタビューでは、特に「血へのオブセッション」を強調するように説明している。

横山さんの写真つき。写真はよく撮れてます。

「天に光、地に妖精」
論考。
『何かが空を飛んでいる』の要約のごとき一文。

「『神秘思想家ヒトラー』は真実か?」
論考。
当然のことながら、ヒトラー=オカルティストは幻想であるという立場に立ち、ヒトラーに関連するオカルティズムについて略述する。『聖別された肉体』をごく大づかみにまとめていると思えばよい。ヒトラーとランツの関わり、ヒムラーらのオカルティックな傾向に対するヒトラーの距離といったあたりを説明する、ごく短いもの。

「オカルト」
論考。
「『神秘思想家ヒトラー』は真実か?」とほぼ同じ骨子で、やや詳しくしたもの。ランツ、トゥーレ教会との関わり、宇宙氷説、オカルティズムの弾圧、スワスティカなど、項目別に、完結かつ明瞭にヒトラーとオカルティズムの関連を素描する。

「円盤現象を考える」
エッセイ。『何かが空を飛んでいる』の刊行に合わせたエッセイ。ユングの『空飛ぶ円盤』についての解説。

「『異端』と『正統』の思考」
井村宏次、岩本道人との鼎談。
異端の科学&歴史特集の冒頭に置かれたもので、異端が生起する背景を考察している。気楽な座談会。
個人的には「物」をめぐるオーラについて軽く交わされる冗談が印象に残る。手作業を愛する人間の常として「物」の魅力に弱いので。

「オカルトがなぜ悪い!」
井村宏次、岩本道人との鼎談。
同タイトルの特集のコンセプトを表わす鼎談。オカルト肯定派としての立場を示す。稲生平太郎は言葉の説明をする時以外はほとんど喋らない。
印象に残ったのは、井村さんが、中村古峡が挙げた迷信に陥る四つの理由「生命の不安」「神秘への憧憬」「心理現象の無知識」「好奇心」を紹介すると、稲生が「怖いくらい、ほとんどぼくに当てはまりますね(笑)」と素直に述べるところ。実に面白い。

「民俗学、オカルティズム、ナショナリズム」
大塚英志との対談。
『聖別された肉体』をネタ本にしているという大塚英志の希望による対談で2004年秋に行なわれた。柳田と民俗学について見落とされている点を中心に、表題関連のことについて語りあう。日本の民俗学に対するスタンスがまったく異なるので、そういった差異の際立つところがおもしろい。特に柳田の文体についてなど。最後の二ページぐらいが横山ファンとしては読みどころ。「小説家としてもう一花咲かせる気もある」という嘘のような発言もある。なお、大塚は見直しをろくにしていならしく、変な日本語、誤植が多い。編集者よ、もっとちゃんと見ろ。
「映画におけるオカルトとは何か?」
映画『リング』の脚本家で映画監督でもある高橋洋との対談。
稲生平太郎の小説・横山茂雄の著作のファンであるという高橋洋の提案により、2010年9月18日カナザワ映画祭のイベントとして対談がなされた。
南インドの強烈なオカルト(宗教)映画「アマン」の上映に始まり、わけのわからないもの、呆然とさせられるものをめぐって話が展開する。横山は、聖なるものが、この10年くらいの間にアジアでさえ消えて行っているという現状を指摘、高橋洋がそうした聖なるものに感受性のある監督であることを褒めている。高橋の発言もいろいろとおもしろく、怪奇映画は、誰が撮った映像なのか?というメタ的な視点を最大限利用できるといった見解や、花火を見てこの世の終わりだと思った幼児体験などを語っている。

「「純」円盤映画を求めて」
『The 4 th Kind/フォース・カインド』『第9地区』『スカイライン─征服─』『SUPER 8 /スーパーエイト』など、このところの円盤映画ブームに寄せた漫文。久しぶりの、稲生節が味わえる。
最初の円盤映画『謎の空飛ぶ円盤』(1950)をはじめ、「純」円盤映画を紹介。コーエン『ディーモン 悪魔の受精卵』(76)、デ・ヒーア『エンカウンターズ─未知への挑戦─』(88)を「本質に触れた」作品として評価する。

「映画の生体解剖ビヨンド」
2014年9月15日カナザワ映画祭のイベントとして、『映画の生体解剖』をもとにしたフッテージ『映画の生体解剖ビヨンド』の公開に伴い、高橋洋・塩田明彦の鼎談が行われた。ゲスト塩田さんの「映画には底がある」理論と、高橋洋製作の『ビヨンド』の解説を中心に話は進む。完全版『映画の生体解剖×映画術』は電子書籍にて発売中。

「〈他界〉に魅せられて」
空飛ぶ円盤マニアが作る同人誌『Spレビュー』のスペシャル版として「何かが空を飛んでいるファンブック~空飛ぶ円盤最後の夜に」が刊行された。稲生平太郎のインタビューが掲載されたほか、『何かが空を飛んでいる』の解説や関連項目か並ぶ。インタビューでは、円盤に魅入られた若き日のことや、興味のありどなどが語られ、興味深い。

「映画の生体解剖ビヨンドⅡ」
2015年9月23日カナザワ映画祭のイベントとして、高橋洋・白石晃士の鼎談が行われた。その部分的収録。サブタイトル「映画には触れてはいけないものがある」通りの内容。