Isidora’s Page
古雛の家

 ●野菜の里●           2001年9月1日 

 長男が産まれたときから自然食を始めた。自然食――と言ってもそんなに大仰なものではなく、私の場合は無添加食品、無農薬食品をなるべく食すというだけのことである。細かく説明を始めると一冊の本が書けてしまうので、その点は省く。
 現在では有機農法などという言葉も一般的になって、自然食などと言っても奇異の目で見られることはなくなった(と思う)が、もともと、さほど健全な印象を与えるものではないとは言っておこう。時によっては、オカルト的なものとも無縁ではない領域であるのだ。フィンドホーンなどの例を見てもわかる通り、要するに自然の中の精霊と交流してしまったりすることもあるからだし、ニューエイジ思想などとリンクするところもあるし、カルト絡みで言えばヤマギシズムなどの問題もあるからである。横山さんの『聖別された肉体』を読んだときにもなるほどと思ったものだ(補注に自然食運動についての話題がある)。もちろん、現実に農業をしているのは頭のおかしくない人がほとんどである。今ここで紹介したい〈野菜の里〉ももちろん、ごく真っ当な生産農家だ。
 瀬戸さん夫婦(と小さい子供たち)は八ケ岳の麓の小淵沢で有機農法で野菜を作っている。もちろんオカルトとは何の関係もない。ただし、かよちゃん(まあ分ると思うけど妻の方)はミステリが好きで、ホラー小説とか怪奇実話も楽しんで読んでいる。とにかくいろんな本をよく読んでいるので、いくつもおもしろいドキュメンタリーなどを教えてもらったし、SFクズ論争の時には、『本の雑誌』をコピーさせてもらった……。
 義和さん(もちろん分ると思うけど、夫の方)は私と同じ年齢だが、歴史の研究者からドロップアウトして農業に就いてしまったというたいへんな変わり種である。彼の両親ともに農業とは何の関係もないそうだから、本当に行動力のある人なのだろう。
 このうちに行くと、つい長居をしてしまう。合衆国のキットを使い、義和さんが友人に手伝ってもらって自分で建てたものなのだけれど、居心地のいい家なのだ。話の波長も合うのだろう。そして子供たちが素晴しい。
 もしも「日本長女大賞」なるものが創設されたとしたら、このうちのあかりちゃんはきっと良い線までいくに違いない。こんなによく働いて、身体だけでなく気も使い、弟妹の面倒を見ることから諸々の家事までする子はいないだろう。それも本当に小さなときからなのだ。しっかりしていて、真面目で、しかも可愛くて、おまけに字が上手だ(!)。いうことのない子供である。

 私が八ケ岳に引っ越したのは、ちょうど十年前のことで、〈野菜の里〉とのつきあいはそれ以来のもの。引っ越してすぐの頃、今までの自然食のつきあいがすべて切れてしまい、どうしようかと思い悩んでいたとき、紹介されたのである。子供(二番目の子)が生まれそうだと聞いていたので、大丈夫かと思いつつ電話をしてみると、かよちゃんが元気な声で、明日からでも大丈夫ですよ、と言う。明日? 都会ではそういうふうに話が進むことはなく、もっと日数がかかるので驚いてしまったが、早速行ってわけてもらうことにした。そして、そのままずっと今に至るまで、野菜は〈野菜の里〉から買っている。
 『幻想文学』に広告を出してもらったこともある。そうしたら野菜を取って下さる読者の方がいて、本当にありがたかった。
 有機野菜というのは虫との戦いである。青虫がキャベツや菜っ葉の上で生きているのは当たり前、虫の糞なども気にしていたら、こういうものは食べられない。最初に私が自然食を始めたとき、三芳村(千葉県)の野菜の共同購入(かなり草分け的な生産農家との提携運動の一つだった)に参加したのだが、それを長年にわたって続けていた豪傑なおばさんは、「良く洗っているつもりでもときどき虫を逃しちゃうことがあって、青虫がぽっかり浮いちゃうことがあるのよね、それもいちばん浮いちゃまずい人(姑とか夫)のみそ汁に、わっはっはっ」というような感じであった。世間一般とは大きなズレがあるかもしれない。しかし、考えてみれば虫もつかぬとは、それだけ農薬を使っているということであり、どちらを選ぶかはその人の世界観次第ということになろう。
 自然食をするというか、有機野菜を食べるということは、このようなハプニングとも適当につきあうということだ。また、野菜の種類は季節で決まってしまうから、料理にもかなり工夫がいる。時には工夫のしようもなくて、ワンパターンになるが、野菜料理のヴァリエーションは増える。一方では、この料理を作るためにこの素材を揃えよう、などということが出来なくなる。肉も一頭買い(グループを作って一頭の豚とか牛をまること買い取り、グループ内であまさずそれを食べてしまうというやり方)などをしていれば(今はしていない)、制約は異様に大きくなり、料理はますます奇妙なものになる。
 だが、長年こうして与えられた野菜だけで料理をするということを続けていると、自分で野菜を選んで買うなどということができなくなる。〈野菜の里〉の欠点は、通年ではなくて、一月から四月には地面が凍ったりする関係でお休みになってしまうということだ。野菜が届かないので、仕方なくその間は生協の野菜を買うが、これも生産者任せのボックスを買うことにしている。もはや自分でメニューを立ててからそのために必要な野菜を買うなどということはできなくなっているようである。
 こういう食生活はきっと一般的ではないに違いないが、私には合っている。野菜以外の食材もほとんど生協で入手するから、滅多に買い物にも行かない。たまにスーパーマーケットなどに行くと、物の豊富さで頭がくらくらとしてしまう。こういうところでは、必要な食品を買うのでさえ何だか気が引け、長居をしていると恐ろしくなるので、さっさと店を出る。そして生産者との直接取引が心理的にどんなに楽なものかということを痛感するのだ。
 ついでに『幻想文学』のすべての読者と、一対一で取引ができたら、いいだろうなあと夢想する。現実には事務処理的に無理なのだから、書店に機能してもらわないことにはどうにもならないのだが、そんなことができれば、おもしろいだろうな、とついつい思ってしまうのである。

 なお、〈野菜の里〉についてもっと詳しく知りたい方は、〈野菜の里〉のホームページをご覧下さい。八ケ岳の自然、農業の現状などが分ります。