Isidora’s Page
古雛の家

 ●生活について●           2002年4月7日 

 こんなにたくさん本を読んでいつ寝ているのか、と聞かれることがあるが、私はしっかりと寝ている。睡眠をとっていないと、本を読みながら寝てしまうからで、平均6時間は眠っているのではないかと思う。だいたい12時くらいに寝て、普通は5時から6時のあいだに起きる。時間のある時にはもっとゆっくり起きることもあるし、11時くらいに早くやすむこともある。
 子供らが小さいときは、夜の9時には眠れるように8時半ぐらいにふとんに入り、本などを読み聞かせてから一緒に眠ってしまう。しかるのち朝の3時ぐらいに起きる、という生活をしていた。子供を寝かしつけてから自分だけ起きるなどという芸当が出来なかったせいで、早く寝てしまえば早く目が覚めるのが自然だから、一般的に見れば奇妙な生活を数年続けたものだ。それにしところで、6時間は眠っている。
 このホームページに参加してくれている建築家で詩人の藪下くんなどは5時間ぐらいしか眠らないと言う。しょっちゅう「徹夜で突貫工事」などと言っているので(念の為に言っておくが、彼は設計技師であって現場労働者ではない。図面や書類を徹夜で仕上げるのであろう)、しんどいだろうと思う。世の中にはもっと寝ない人もいるのだろうが(30分くらいずつ5、6回寝るとか)、あまりに眠りが少ないと早死にしそうだ。「眠りは死の兄弟」などと言うけれど、適度に眠ることは死を遠ざける。
 私の場合、家事と、食事、風呂、運動など、個人的なものにかける時間は一日約4時間で、ものすごく忙しくなると、これが3時間ぐらいになることもある。幼稚園時代からの変わらぬ習慣で、夕食の後片づけだけは子供たちがしてくれるが、それ以外の家事全般はほぼ私一人の仕事だ。ただし、大掃除など、まとめてする家事は家族全員でするので、結局ふだんの掃除などは抜けるだけ手を抜くことになるのだが。
 ともあれ、単純計算すると、14時間仕事ができることになる。なにしろ私には通勤時間というものが無いので。土日も平日と変わらないのだが、第二第四の土日はおおむね山梨に帰ることしている。そう、私は今、さいたま新都心(ジョン・レノン博物館のあるところ)の近くのマンションに住んでいるが、山梨にちゃんとした家を持っている。山梨にはささやかな書庫があって、蔵書はほぼ山梨に置いているので、特集などに応じて本を行ったり来たりさせているのだ。読み終えた新刊などは、山梨に持って帰る。そのためにも月に最低一度は山梨に帰るのである。山梨にいるあいだは、14時間の仕事というのはなし。だいたい車に乗っている往復の7時間は何も出来ないし、あちらでも家事がいろいろと待っているし、季節が良ければ山にも登るし、温泉にも行くから。
 また、春休み、夏休み、ゴールデンウィークなど、子供もまとめて休めるときは、私も休みをとる。そのあいだは、しても読書とメモ書き(原稿作成のために本を読んだらなるべくその日のうちにメモを取るようにしている)だけで、仕事らしい仕事はしないことにしている。だから月の半分は土日も仕事だが、休みも極端に少ないわけではない。
 仕事、と言っても、本を読んでいる時間が圧倒的に多い。例えば東京新聞の書評では、読む時間が6時間なら、書く時間は2時間くらいで、傍目には何だか遊んでいるようにしか見えない。読書家の長男などは、お母さんの仕事は楽勝でいいよね~と小ばかにしたようす。確かに新聞で毎月三本ほど長い書評が書ければ、それだけで私一人ぐらいは食べていける。だが、世の中はそんなに甘くない。そういうおいしい仕事は世間的に名の知れた人に行くのであって、無名の書評家に行くわけではないのだ。
 書評についてはまたいずれ改めて書くとして、我が生活に戻ろう。だが、考えてみればいたって単純で、あまり言うこともないのであった。本(あるいはその類のもの)を読み、書評や雑文を書き、『幻想文学』の誌面を作る、のほぼ繰返しである。あいまにホームページなどを更新し、本を買いに出掛け、適宜子供の相手をする。
 『幻想文学』の誌面作りはいろいろな作業の積み重ねだけれど、結局はもらった原稿を誌面に形作り校正をするというのに尽きる。データでもらえればかなり楽で、手書きなら入力という作業が、インタビューなら、取材、テープ起こし、原稿作成などの作業が入る。それだけ。大したことをしているわけでもないのに、DTPですべて作っているものだから、何だかやけに時間がかかる。だが、それも、読書の時間にはかなわないし、自分でガイドを書くときの苦労に比べたら、大したものではない。
 暇が出来ると、たまにアニメとか特撮ものとかの映画を観に行く。時間が出来ないと観に行けないので、今年は『シュレック』を見逃した。もうDVDになったみたいだけれど、今は昔のようにロードショーの終わった映画を安価でかけるところがものすごく少なくなったので、一度見逃すと、スクリーンで観るのはほとんど不可能なのが哀しい。もっとも『シュレック』のようなCGはテレビで観ても変わらないけど。
 ああ、まったくどうということのない生活である。いつも忙しい感じは抜けないのに、やっていることは、本当に大したことがない。だが、書き出してみると、人の生活というのは、大方だれでもこんなものなのだろう。