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藍の細道

●筑摩書房版『日本幻想文学事典』について●(2014年6月25日)

『日本幻想作家事典』(国書刊行会)では、石堂藍と東雅夫の間で、執筆範囲を限定しない共著の扱いとした。「日本幻想作家事典について」で述べたように、どの項目が東のもの、石堂のものと、決定するのがあまりにもたいへんだからである。
東の単著として刊行された『日本幻想文学事典』は、このような共著から抜粋されている。
共著者(石堂藍)には何らの許可を得ていない。(刊行するという連絡さえもらっていない。当然、できあがった本の献呈も受けていない。)
このことがまず著作権法違反である。この点に関しては、編集者がなすべきことであり、筑摩書房に罪がある。この点について、筑摩書房は非を認め、慰謝料を支払うことに同意したため、和解した。

しかも、この東雅夫著として刊行された『日本幻想文学事典』には石堂藍の執筆分が含まれている。
それには次のようなパターンがある。

1.東が執筆したものに石堂藍が変更を加えたが、その変更がそのままにされている。(多数)
2.石堂藍が執筆したものを元に、かなり書き換えているが、なお石堂執筆部分がそのまま残っている。(例・小川未明)
3.石堂藍が執筆したものに手を加えている。(文章表現の部分的変更や形式の変更など。多数)
4.石堂藍が執筆したものをそのまま使っている。(例・秋田雨雀など)

分量的には、一割には届かない程度ではないかと思われる。大した分量ではないが、そういう問題ではないと考える。
当然、この点も抗議したが、筑摩書房の編集者は、東からは児童文学や詩人など石堂藍が書いたものはすべて書き直したと聞いている、という答えであった。「宮澤賢治は児童文学者・詩人であり、石堂が書いたものだが、国書刊行会版とほとんど変わらない、照合はしたのか」と訊いたところ、していないということであった。
編集者の弁明は、「東氏と石堂氏は長い付き合いだからツーカーで大丈夫だと思ってしまった」というものだった。それでも書面で了解を取らないのは、出版常識を外れている。私は、自分は著作者としてよぼと軽視されているのだろうと感じざるを得なかった。

編集者から連絡があったのと同時に、東からは「衷心よりのお詫び」と題するメールが届いた。それは了解を取らなかったことを軽い調子で謝罪したもので、私の執筆分が東の著書に含まれていたことについては一言もなかった。
私はこの後、東と顔を合わせたり交渉したりするのは不愉快が度を超すと思ったので、法律関係の仕事をしている義兄にすべてをまかせた。東の「単著」に、私の執筆分が含まれていることは東も認め、東とも和解には至った。いたずらに長引かせても無益なのでそうしただけで、東のことも、東のしたことも、許したわけではない。なお、今後、『幻想文学』のコンテンツ、及び私との共著の二次著作物の一方的な利用はしない、また『幻想文学』に関して何らかの発言をすることもしない(インタビューなどで偶発的にそうなった場合を除く)という条項にも東は同意している。つまり、『作家名鑑』について云々することも、私と東の仕事上の関係について云々することも、東には許されていない。

『日本幻想文学事典』をめぐる事実関係は以上のようなものである。
とにかく、この件で、私はたいへんな衝撃を受けた。 まず、『日本幻想文学事典』が東の単著ということで承認されたならば、私は自分がやってきた仕事を、執筆の他にも、校訂のようなこまごまとした仕事を、二年間の労苦も含めて、否定されてしまうのである。
東雅夫単著の『日本幻想文学事典』は、私の仕事を否定する。それは、私自身が書いたものを私が書いたものではないと宣言している。私は一方的に、自分の書いた文章の、執筆者ではなくならされるのである。これは文筆家として、許しがたい、到底承伏しがたいことである。
一般的に剽窃であれば、剽窃された著者の著書がなくなるわけではない。刊行の後先がわかれば、どちらが剽窃したかがはっきりするのだから。
しかし、このケースは違う。共著者Aが、自分の執筆したところではないところを、これは私が執筆したと主張して、一方的に刊行してしまったというような話なのである。そうすると、共著者Bは、執筆しているのに執筆していないということになってしまう。Bは仕事そのものを完全否定されるのだ。
剽窃なら、尊敬のあまり、とか、著書に心酔して、などといった言い訳も成り立つ。しかしこのケースはまったく違う。Bの仕事はなかったことにされてしまうのだ。これは剽窃などよりもよほど酷い事態である。

なお、東は故意ではなく、うっかり混入したのだと説明している。これほどの量がうっかり混入したことへの説明は一切ない。 ただ憶測することができるばかりの私としては、このように思わざるを得なかった。私は長年東の仕事のパートナーとしてやってきたつもりだったが、あるときから東はそうは思わなくなり、最近では私のことをゴミカスぐらいにしか思わなくなったのだろうなと。

また、あとがきには
「古典ガイダンス」は、『日本幻想作家事典』の該当項目に加えて、拙著『怪談文芸ハンドブック』第二部第三章をベースにしている……(以下略)」
とある。
あたかも該当項目を東が書いたかのように見える。 「古典ガイダンス」は東が文章形態を事典形式から完全に変えているため、著作権上の権利を石堂藍が主張しようというものではまったくないが、このような言及のされ方をするのは不本意である。
普通に読めば、その事典の該当部分を東が書いたと思うのではないだろうか。この点についても抗議はしたが、「共著」だということを認めているのだから、該当項目を東雅夫が書いたとは思わない、共著だと思うだろうという返答で、取り上げてはもらえなかった。論理的に考えれば当然そうではあるのだが。

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