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水の道標

●記憶とは何か②記憶と身体配列〜文学を読む・補論●

 脳と記憶の関係については、たくさんの本がでているし、ネットの中をちょっと見ても、それなりの説明に出会える。ものの本によると、脳は一個の概念をさまざまなところに格納しているらしい。例えば、ちゅうりっぷという言葉をインデックスとして、文字としての記憶、色の記憶、形の記憶、大きさの記憶、手触りの記憶、科学的知識の記憶など、バラバラに格納されてるというのだ。脳のわずかな損傷によって、ものの大きさの記憶だけが消えてしまい、ライオンとアリが比べられなくなるという事態から、このようなことが推測されている。個人的な体験からすれば、ちゅうりっぷと言えば、Googleの画像検索みたいにいろいろな画像が浮かんでくるわけで、大きさについては確かに判断は別だという気がするが、色と形は一緒のような気がしてしまうのだが……実は違うのだろう。例えば、私は多田智満子さんからチューリップの絵はがきをおみやげに頂戴した。それは黄色いチューリップだったが、頭の中でピンク色にしてしまうことも出来る。そんなふうに出来ることが、別々だということの証拠になるだろうか。あんまりならないような気がするな……。ともあれ、いろいろな情報がバラバラに入っているらしい、というのはおもしろい見解で、私たちはそれを自分では決してモニターできないというのも、実に愉快な感じがする。
 Googleで検索をかけるといろいろなデータが集まってくるように、私自身の脳から、例えば「神林長平」のデータを集めようとすると、とにかく、最初に画像と音声が出て来る。たぶんいちばん記憶に大量に残っているのは、音だろう。画像は、更新されてしまって、あんまりたくさんは呼び起こせない。だが、しゃべったことはその時々で違うから、たくさん残っている。これは言語的な記憶というよりも、やはり音声の記憶だろう。そして私はその音声から言語を再構築しているのだ。言語的な記憶もないわけではないが、例えば作品名とか、愛妻家だとか、クルマが大好きだとか……でもそれらはすべて、言語だけで独立して呼び出せるということがなく、表紙の絵やカヨ子さんの顔や、愛車などの図像的イメージと一緒になって出て来る。
 神林長平はきわめてユニークな作家だ、というぐらいのことは言語記憶に蓄えられているだろう。しかし、それはほとんど神林長平について、何も言っていない。個人的に知っている神林さんは、呼び起こされる記憶の総体として何となく私の中に存在するのであって、それはきわめて抽象的で、まったく言語化することができない、何かなのである。それは神林長平に限ったことではなく、横山茂雄だろうが、ただ一度会ったことがあるだけの編集者だろうが、息子たちだろうが、変わらない。
 記憶というのは、私にとっては、あまり言語的なものではないようで、出来事記憶を言語化して取っておくなどということは、よほど意識的にしないと出来ないし、抽象的な言語として覚えていることは、とても少ないように思う。だいたいがイメージを思い起こしてから、それを言語化するのだ。
 例えば、『幻想文学』の購入をしたいと言ってよく電話を下さる方がいる。その方の声やしゃべり方を覚えているので、お名前を頂戴する前から誰だかわかる。詳しい住所はわからないが、どこに住んでいる人かもわかるのだが、その時、私は言語的なデータベースを思い出しているわけではない。その人のくれたハガキとか、郵便振替の用紙とか、そういうものに書かれた文字を思い出しているのだ。字体も一緒に思い浮かぶというわけである。きわめて効率が悪そうだが、脳というのは、案外結構いろんなところでそんな処理をしていないとも限らないではないか。ただ自分にはモニターできないだけで。
 言語的な記憶が優勢だという篠田さんは、言語の溶けている池のようなものがあって、鯉にエサをやろうとすると水面に顔を出すように、何かの記憶を呼び出そうとすると、その時に初めて不定形の状態だった言語が形を取るのではないか、と言っていた。言語的な記憶と言っても、例えば「石堂藍はきつい性格だ」というような形で蓄えられているわけではなく、いろいろな形容詞の集積所みたいなのがあって、石堂藍と検索をかけると私に相応しい形容詞がたくさん出て来る、というような感じなのではないかと考えてみた。私の場合は、そこに具体的な出来事記憶がたくさん詰まっている感じになるのだろう。私の脳はあまり論理的には出来ていないに違いない。
 結局、私にとっての記憶は、映画の断片にも似ている。もっと空間的な感じで、自分もそこに参加しているのだから、演劇的と言っても良いかもしれない。もしかすると、言葉そのものは私にとってはちっとも重要なものではなく、言葉の周辺に広がるイメージや、言葉が作りだす世界から受けるインパクトなどが、はるかに大事なものなのかもしれない。だから、言語によって感動を喚起された場合でも、それは言語そのものを覚えるという方向には行かず、出来事記憶になるのかもしれない。この点については、あとでもう少し詳しく述べてみる。
 
 このような興味から、非常におもしろく読んだのが、菅原和孝という文化人類学者の書いた『ブッシュマンとして生きる』(中公新書)である。
 カラハリ・ブッシュマンのフィールドワークを行なっている菅原は、身体行動を観察し、それを直接的に理解することで、〈身体の人類学〉の構築を目指して仕事を続けていたが、ブッシュマンの複雑な言語に習熟するにつれ、その語り(物語)の世界に引き込まれるようになる。やがて菅原は、会話の構造や語りの構造がきわめて演劇的であることに気づくようになる。そして、ある時、一つの衝撃的な事例に出会う。
 それは、若い第三夫人をライオンに襲われて殺されてしまった男の話だ。
 まず物語は、若い第三夫人が嫉妬から呪いをかけられたことを前説として語る。それから、第三夫人と男がくつろいでいたようすが描かれる。それは、部族の人々が快いと感じるような典型的な身体配列である。それがその直後の惨劇を際立たせる。それを現実に身体を使って演じさせながら、男は説明を続け、夫人に降りかかった不幸を語るのである。
 演じるとは言っても、身振りではなく、あくまでも身体配列である。身体配列の中に継承されるべき文化があり、そして身体配列の継承とともに物語(歴史)もまた継承されるのである。物語は、ただの言葉ではなく、実感的な身体配列を伴ったものとして受け継がれていく。
 菅原は、この話を老人から聞いていた青年たちが、物語の再現に伴って同じ身体配列を取ったのを見て、「これを見たとき、恐ろしい惨劇の記憶が、特有な身体配列を通して老人から青年たちに確実に手渡されたことを、私は知った」と語ることになるのである。

 この書物で描かれるフィールドワーク全体が、自分の身体に添いながら世界を捉える一つのあり方を示したものとして印象深いのだが、歴史の一部を強固に形作っている集団的記憶が、身体配列の記憶と共にあるということにも、何かひどく実感的なものがあった。それもまた五官のイメージによる記憶の一つの形だと言ってしまうと欠けるものがありそうだが、ともかくもそのような記憶のありようが、私には深く納得されて、心に沁みたのである。
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★【水の道標】では、背景に有里さんの壁紙集【千代紙つづり】から何点か使わせていただいております★