■特攻観音堂■ 2004年12月15日
三軒茶屋からやや南へ下ったところに、面白い観音さまがある。
江戸札所第三十二番 世田谷山観音寺。通称「特攻観音」と呼ばれている由緒正しき(?)寺である。
とにかく、境内は立派な造りである。門標は故元内閣総理大臣・吉田茂の書であるという。
参道を見渡すと、まず「旧小田原代官屋敷」が目に付く。門は閉ざされていて中へ入ることはかなわない。けれども、どことなく生活感が漂っている。どうやら、本坊として使用されているようだ。
仁王門の前に大ぶりの狛犬が鎮座している。青銅でできたもので、継ぎ目がブラック・ジャックの傷口のように痛々しい。鎌倉の大仏様の裏側を見るようで、これは何とも珍しいものである。
左を見ると平凡な地蔵菩薩と並んで「さざれ石」が置いてある。何度か同様の石を見ているが、ここのは良くさざれている気がする。(笑)
仁王門の左右には「密迹力士」と「金剛力士」がある。おお、こんな街中の寺にしては立派過ぎる。ありえない。平安時代後期の作とされるが、作者の説明はない。とにもかくにも、金網の目が細かすぎて、中はほとんど確認できなかった。
仁王門の中には、四季折々の写真が飾ってある。うーむ。妖しい。どう見ても妖しい。住職が撮ったものであろうか? 京都の苔寺の近くに、似たような場所があったような。……
中に入って仰天した。六角堂である。面白い。珍奇である。京都の六角堂を模したものとされるが、こちらのほうがデザイン的に優れている。確認は出来なかったものの、中には「不動明王」と「八大童子」が奉られてあるという。旧国宝で、運慶の孫に当たる康円の作であるという。見てみたい。確認してみたい。しかし、残念なことに中は一切見られない。
右側へ目を移すと、これまた仰天する。卒倒する。「阿弥陀堂」である。思わず飛雲閣かと思った。3階建てである。誰かが暮らしている。「二条城より移築される……」と説明書きには書いてあるが、面白すぎる。どう見ても面白すぎる。これぞ、非対称の芸術である。
中には左甚五郎の「鬼念仏」があるという。見てみたい。この目で見てみたい。しかし、「閉ざされた城の中のイギリス人」のように、ここも一切見られない。扁額には「韋駄天」とあり、棟には鳳凰が見て取れる。
六角堂の横に小さな池がある。立派な錦鯉が泳いでいる。池の中には「夢違観音」が御立ちになっている。法隆寺のそれを模したという。それにしても大きい。本物はわずか87cmだと書いてある。どうして、こんなに大きくしたのか?
そして、本堂である。でかい竜神様がまず目に付く。おかしい。おかしすぎる。バランスが悪すぎるのだ。竜神様は元福井城にあったもので、ボストン美術館のそれを復元したという。なぜ復元したのだろうか? なぜ、観音堂のお飾りになければならないのか?
極めつけは「特攻観音堂」である。なんだろう。見てみたい。確認したい。しかし、とてもとても残念なことに、修理中であった。中はもちろんのこと、表だって見ることは出来ない。防災シートの中には何があるのだろうか? 見てみたい。嗅いで見たい。職人は、何か灯篭のようなものを動かしていた。なんだろう。……ああ、訊いて見たい。しかし、職人は笑いながら仕事に精を出しているだけだ。ああ、残念である。まことに残念である。
特攻観音堂。昭和26年5月に開眼したとある。戦後である。新しいのである。どれもこれも、新しいのである。大東亜戦争で、云々……。と、きな臭い匂いもする。
新しいとはいえ、これだけ揃えば、立派なものである。
今日は病院の帰りによっただけだが、後日、ゆっくり観察に来るとしよう。……
興味のある方は、世田谷観音のHPへどうぞ!
旧小田原代官屋敷門
ブラックジャックの狛犬
さざれ石
金網に隠された金剛力士
六角堂
非対称の阿弥陀堂
仁王門
本堂(観音堂)
神州不滅特別攻撃隊之碑